光りつつ春は来にけり… | 長寿症候群

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光りつつ春は来にけりひそやかにサイドブレーキ解除する朝  (順子)

15年前の、ちょうどこの時期、
私は7年間の専業主婦生活を経て、「職業」にカムバックした。
その朝の心象を詠んだ歌が表題の一首。

「ほどほど」が苦手で、今考えればバランス感覚の悪い女だった私は、
若い頃はがむしゃらに走りすぎて燃え尽き、
ダウンということを幾たびか繰り返した。
やがて疲れはて、白旗を掲げて「専業主婦生活」に突入した。

夫からの条件は、「決してお金を稼がないこと」だった。
それから、車の運転をしないこと。

望むところだった。
お金を稼がなくていいなんて、天国だ。
車の運転なんかしなくても全然困らない。
元気な足があるし、
その時住んでいたのは鹿児島市の中心街で、便利な場所だったし。
私は、「お金にならないこと」にせっせと励んだ。
そのひとつが「短歌」だった。
紙と鉛筆があればできる。
先生への謝礼や、歌会の会費その他、出費はそこそこあるが、
間違っても収入になることはない。

でもね。
やがてそんな生活に疑問を持つようになる。
私は私の人生のハンドルを人に預けてしまっていいのか?
ということ。
で、やっぱり何か仕事がしたくなる。
でも夫は全くとりあわない。
そりゃそうだよね。

そんな何年間があって、
夫は鹿児島から千葉、東京本社へと転勤し、
私は相変わらず短歌やら、スポーツジム通いやらで
日々を暮らしていた。
でも思い続けるということは、やっぱり大切。
ある日、夫の会社の社長がスカウトに来るわけです。
そして、夫と3人いるところで、
「奥さんに仕事を頼みたいんだけど…」
夫は、断れず、私はめでたく仕事復帰。

全てがめでたかったかどうかはわからない。
数年後には夫が危惧したとおり私は仕事人間になり
あんなこともこんなこともあった末、
再び独身となり、
でも今度は本当に自分がやりたくてやっている仕事であり、
ある程度人生のことも勉強してバランス感覚も良くなったと思うから、
そう簡単に燃え尽きることもない。
むしろ充電しながら走っている感じがする。

15年前の春、私は自分のハンドルをとりもどし、
7年間ロックしたままだったサイドブレーキを
「ひそやかに」解除したのだった。

人生の節目はひそやかにやってくる。

ここまで書いて、ちょっと泣きたくなった。
「よく頑張ったね」と、
自分で自分の頭をなでてやりたかった。
相変わらずハタ迷惑な人間ではあろうが、
私にとってはかけがえのない私。
誰がほめなくても私はほめよう。

今日、満60歳の誕生日。