堀江敏幸さんの『バン・マリーへの手紙』

 

 

 

 

 

『バン・マリーへの手紙』と目にすれば

 

バン・マリーとは名前で、その人に宛てた手紙なのかと思ってしまいそうですが、

 

“バン・マリー”とはフランス語で“湯煎”、あるいは“湯煎をする鍋”を意味する言葉なのだそうです。

 

 

 

24の随筆のはじめ、「牛乳は嚙んで飲むものである」にそれは記されていて

 

それは、堀江さんの幼稚園時代の思い出。

 

 

冬に先生が石油ストーヴの上で“湯煎”してあたためてくれた小さな牛乳瓶。

 

「ユセンしないとでてこない味なのよ」と言った先生の、よくわからないけれど心に残った“ユセン”という言葉。

 

(実際のそれは、“お燗”だったようなのですが)

 

 

 

そこから話は枝葉を広げ、“バン・マリー”は考察されていくのですが、

 

“湯煎”でほんのりとあたためられた牛乳のようにおだやかな受け取り手を期待しつつ、

 

「まだ見ぬ聖女バン・マリーにむけた手紙のように、これからの日々の愚考を湯煎にかけていくことにしたい」と、

 

そんな想いで綴られた随筆集です。

 

 

 

 

 

堀江敏幸さんの書く文章は美しく洗練されていてとても好きです。

 

純文学の匂い、そしてフランス文学者らしさを感じます。

 

また、こういう文体を書く人をあまり見かけなくなったような気がして、貴重にも感じるのです。

 

1964年生まれの堀江さんですが、同世代にもあまりいないように思います。

 

 

文体や言葉の選び方にあらわれるセンスは、思考のセンスと同じだと感じます。

 

 

 

けれども、堀江さんのテリトリーに連れていかれると、こちらの知識や教養が追い付かないがゆえに

 

時々置いていかれてしまうことも……💦

 

 

それでも、画家や詩人、作家、音楽、動物、食べ物、言葉、思い出、出会った人びとや日常の一コマを

 

その美しい独特の文章で味わうことのできる喜びを感じます。

 

 

 

自分の知らないことに触れられることは楽しいですし、たまに置いてきぼりになってうしろをトボトボついていくのも

 

また楽しいものです( ´艸`)

 

 

 

そして、時々垣間見える、湯煎した牛乳のような堀江さんらしさ。

 

 

ああ、こうして書いてみると、この本はとても堀江敏幸さんらしさの詰まった一冊のように感じられてきました。

 

 

 

 

「牛乳は嚙んで飲むものである」は何度読んでも面白く感じてしまいます。

 

そしてここから始まっていく感じがまた楽しいのです。(あくまで個人的感想です)

 

 

 

私も、思いあがりをやさしくただし、欠けた部分をおだやかに補ってもらいたいなあ…

 

 

“思考を湯煎していく”って、少し緩めてほどほどにして眺めてみる、そんな楽しみ方、味わい方なのかもしれません。

 

 

今回、「飛ばないで飛ぶために」が印象的に感じました。

 

「悪魔のトリル」「崩れを押しとどめること」「キリンの首に櫛を当てる」なども。

 

覚え書きとして書いておきます。

 

 

 

 

今日もお付き合いくださりありがとうございます。

 

 

明日もどうぞいい一日でありますように💛

 

 

 

 

☆おまけ☆

ちょっと絵がさみしかったのである日のランチの写真を載せておきます😋

 

こちらは季節限定の「ホタルイカ・菜の花・からすみ・ふきのとうのピザ」

 

りんごと胡桃、ゴルゴンゾーラのサラダ

 

 

おいしゅうございました🍷