江國香織さんの新刊『川のある街』。
川のある街の3つの風景が描かれています。
ひとつめは、小学生望子(もちこ)の住む街。
子どもの頃、大人の話をこんなふうに聞いていたなあ…とか、
登下校の時の様子、友達との距離感、フェンスの内側と外側や川の境い目の感じ方の違いとか、
そんなかつての感覚を懐かしく思い出しました。
毎年夏に望子のワンピースを縫ってくれるお母さん。
私も母によくワンピースを縫ってもらったなあ……
すぐ着られなくなることを気にする望子に「服が毎年着られなくなるのは子供だけだし、それでいいの」と望子のお母さん。
子供のうちは子供でいられたらそれだけで幸せなんだと、今しみじみ思います。
ふたつめは、河口付近で暮らすカラスたちと人間たちのお話。
カラスの目に人間たちの暮らしがこんなふうに映っているのかと面白く感じました。
人間たちと同じようにカラスたちも、個性や違いのある世界を生きていて、寄り添ったりはぐれたりしながら
自分の居場所を探している…
そういえば、一時期我が家にも一羽のカラスがよくやって来たことを思い出しました。
片方だけのイヤリングや金物のかけらを運んできたり、その頃はまだ家にいた愛犬むぎをからかったりしていったっけ。
あのカラスの目に我が家はどんなふうに見えていたのかなあ…なんて思いました。
みっつめは、運河のある外国の街で長く暮らしてきた女性、芙美子のお話。
訪ねてきた姪っ子や周辺の人たちが芙美子の様子を案じています。
認知症が進んできているようで、芙美子の生きる日常はまだらで、途切れ途切れになってきているのです。
アンソニー・ホプキンスの映画「ファーザー」を思い出しました。
切なく心細くも感じるけれど、
時代の潮流を先取りするように意識高く生きてきた芙美子さん。
最期まで芙美子さんらしさを失うことなく守られてほしいなあと思いました。
移ろい流れていく川のように、おなじく移ろい流れていく私たち。
いずれはみなひとつところに辿り着くのでしょうか……?
装幀も扉写真も素敵です。
そして、ポール・ギャリコの『スノーグース』。
こちらは、以前にこのブログでも『雪のひとひら』などと一緒にご紹介した覚えがあります。
「スノーグース」「小さな奇蹟」「ルドミーラ」の三編が収められた小編集。
冬に読みたくなる一冊です。
そして読み返すたびに静かな感動を覚える、大切にしている本の中の一冊でもあります。
イギリス、イタリア、リヒテンシュタインと舞台も時代も異なる三編ですが、
迷子になった渡り鳥のスノーグース、おとなしい荷役のろば、ひ弱で役立たずと思われていた小さな牝牛と、
いずれの話にも動物が、主人公とともに中心に描かれています。
素朴で善良な魂、素直で力づよい信仰、信じるちから、まっすぐな祈り、そして深い愛情と信頼…
ふと空を見上げたくなるような気持ちになります。
『雪のひとひら』や『ジェニィ』、そして映画化もされた『ミセス・ハリス、パリへ行く』などなど、
ポール・ギャリコの作品の幅の広さには驚きますが
たとえば「ルドミーラ」の中にもミセス・ハリスを感じるように、作風は違っても
どの作品にもギャリコの統一された世界観があることを感じます。
ニューヨークに生まれ、スポーツライターを経て作家となったポール・ギャリコ。
ヨーロッパ各地を回り、さまざまな人たちと出会い、その生き方、暮らし方を見聞きした経験が
作家としての養いになっていったのかなあと思います。
矢川澄子さんの訳文も美しいです。
建石修志さんの挿画も素敵です。
もう一冊、酒井駒子さんの『森のノート』。
私は少しうつむいた伏し目がちの表情や横顔にとても惹かれます。
それは子どもでも大人でも動物でも。
酒井駒子さんの描く絵の、そのひっそり、ひんやりとした空気感が好きです。
『森のノート』は、東京の家と山の家を行き来する駒子さんの心に留まったこと、その情景が綴られた画文集。
贅沢な一冊だなあと思います。
36の散文に添えられた絵は、文章の情景を表してはいませんが、文章と絵の統一された質感が、ひとつの風景を織りなしています。
なぜか少し不思議な世界に迷い込んだような感覚になるのは、森の引力なのか、
はたまた酒井駒子さんのもつ引力なのでしょうか……
最期の「地下鉄」で、女の子に感じる奇妙さや違和感がリアルで面白く、
街と森を行き来するひとの感覚の鋭さを感じます。
東京もまた森の中なのかもしれません。
少々急ぎ足でごめんなさい。
お付き合いくださりありがとうございます。
皆さまどうぞよい週末をお過ごしくださいませ💛