こんにちは。
梅雨あけというタイミングで、今朝、漬けていた梅を干す作業をしました。
いよいよ夏本番ですね。
今日は、旅のお供に連れて行った本を一冊ご紹介したいと思います。
詩人石垣りんさんのエッセイ集「朝のあかり」
この本、とてもよかったです。
石垣りんさんの詩は、教科書にも載っていたりするので
「表札」「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」などよく知られていると思うのですが
エッセイは初めて読みました。
この本は、今までに刊行されたエッセイ集の中から選んだものを再編集したものだそうです。
エッセイを読んで感じたことは
自分自身にも世の中にも甘えのない真っすぐな目を持ち
自分の考えをはっきりと主張する潔さです。
それと同時に、特に弱い立場にある人たちに向ける温かな眼差しも感じます。
1920年(大正9年)生まれの石垣りんさんは
1934年(昭和9年)14歳から定年を迎える55歳まで銀行で働きながら詩作を続けました。
生涯独身をとおした背景には、家族の生活を支えるという事情もあったと思われますが
「好きなことをしていくために働くことを選んだ」と
複雑な生い立ちや諸事情には責任を求めていません。
この時代、女性が結婚を選ばず働き続けることに対する世間の偏見は強く
不快な想いをしたり、生き辛さを感じることも多かったようで
その大変さや寂しさ、孤独、せつなさについても書かれていますが
“銀行”や“仕事”という傘に守られている有り難さも書かれています。
職場に対してやや批判的なエッセイが
実は銀行の機関誌に載せられたものだと知ると、ある意味おおらかさを感じますし
そういうところに書く機会を得て、ひるむことなく自分の気持ちを表現できることも
すごいなあと感じます。
詩にもそういうパンチ力、底力を感じます。
ご本人にお会いした方によると、おとなしく控えめな印象だったとのことですが
内に秘めた芯の強さと真っすぐな気持ちをお持ちの方、
書くということに自分自身を注いだ方だったのかなあと思います。
りんさんにとって、詩を書くことは「たったひとつ、どうしてもしたかったこと」だったそうです。
詩は「私の内面のリズム」「思いの行列」「生活に対する創意工夫」「祈りのかたち」「もうひとつの日常語」と。
そして、
「いつも思ったこと、感じたことを遠慮なく書いてしまったあとには、気持ちの負債がふえる」
「ヒドイ目にあわされるのではないか」と「おそれと不安が手もとに残る」と語っています。
それだけの覚悟をもって書かれていたこと思うと
詩作は、銀行の仕事の片手間にしていたことではなく
こちらこそがまさに“仕事”であり“使命”だったのだと思います。
また、「詩は詩的なものを書くものではない」という表現にもハッとさせられます。
詩は虹のように美しいと感じて、詩を書こうとするとき、
虹を書くのではなく、虹を指している指、それが詩なのではないかと…
仕事、自由、贅沢、幸福、家族、孤独、老い、生きがい…語られる言葉の中に
書き留めたくなるような印象的な表現や美しい言葉がたくさんありました。
「どうして手もとにあるものの中に幸福を感じなければならないのだろう」
「私は家族というものの親愛、その美しさが、時に一人の人間を食いつぶす修羅を思いえがく。
すがるという行為の弱さとすさまじい力。(中略)無意識にうけとり続けたものがあるに違いない」
「その休みをどうするかは時間、時間はいのちの問題となる。
休みを欲しがらなかった日。自分のいのちはどのようにして、誰にささげられてきたことだろう」
「ごくつつましい暮らしの中で、ぜいたく、という言葉の使用法を私のように取り違えている人は
周囲を見まわしただけでも、かなりいるように思われます」
「私は、このお金で自由が得られると考えたのですが、お金を得るために渡す自由の分量を知らずにいたのですから」
時代は違っても、視点や言葉には少しも古さを感じません。
素晴らしいと思います。
特に「花嫁」というエッセイは秀逸です。
“ゆたかでない人間の喜びのゆたかさ”に
胸がいっぱいになります。
タイトルになっている「朝のあかり」は
りんさんの好きな“明るさの持つ静かなにぎわい”
家人に批判されても、“月給を運んでくる者”として味わいたい小さなぜいたく。
50歳で手に入れた川辺の1DKの部屋のひとりの暮らしと時間…
今の私の気持ちにぴったりとくる素敵な一冊でした。
熱く語って長くなってしまいました(^^;
お読みくださりありがとうございますm(__)m
またお会いできたら嬉しいです。