若いころに買った茨木のり子さんの詩集。

 

「自分の感受性くらい」(花神社)

 

 

今読むと、どの詩も潔く、清々しいほどに尖っていて

 

そのときの私とよく似ている気がしてきます。

 

収まりのよくない感受性に手を焼いていたころのこと。

 

 

 

 

「廢屋」という詩の中の一節にあるように

 

“それは絶えず何者かと 果敢に闘っている”ようでもあり、

 

 

でも何者かが自分であることに気づいている、

 

その行き場のないもどかしさと孤独、

 

そして、この感受性があるからこその自分なんだという

 

誇りにも似た気持ちが相まみえている、そんな感じがします。

 

 

 

 

 

それから時を経て、1年ほど前になるでしょうか、こんな本を手にしました。

 

「茨木のり子の献立帖」(平凡社)

 

 

本の帯に、~「倚りかからず」の詩人は料理上手だった~とありました。

 

詩の印象と家庭的な一面が一致しないということでしょうか。(笑)

 

 

 

 

1926年(大正15年)生まれの茨木のり子さんですが

 

そのレパートリーの広さにびっくり!

 

水炊き、茶わん蒸し、胡麻豆腐、鶏とびわの甘酢あんかけ、

 

ちぢみ、チャプチェ、ツォンズ、

 

ポテトキャセロール、ガスパチョ、パエリア、マカロニナポリタン、ブイヤベースetc.

 

“ヤンソンさんの誘惑”もありました。

 

チーズケーキ、プリン、栗ぜんざい、

 

アイオリソースやコーラルソースも。

 

 

 

 

手書きのレシピが載せられているのですが

 

自分用の覚え書き程度でシンプル。

 

そこから料理に仕上げるには想像力がいる感じですが

 

味わい深くて眺めているだけで楽しいです。

 

私は料理をする人をとても信頼しています。

 

 

 

 

 

そして、短い日記も抜粋されているのですが

 

その淡々とした備忘録のような日記も味わい深くて楽しめます。

 

何処に行ったとか、誰と会ったとか、何を食べたとか簡単に記されているだけの

 

詩人というより 一主婦の日常の記録。

 

 

 

 

それでも、台所や食器、飾り棚の写真、夫婦のエピソードも含めて

 

どんな人だったのかがとてもよくわかります。

 

23歳で結婚して、結婚してから、“茨木のり子”のペンネームで詩の投稿を始めた彼女の

 

ベースにあったものを感じます。

 

 

 

「茨木のり子の家」という本もあり、こちらも素敵です。

 

昭和な日々の香りがします。

 

 

 

 

そして、最近この本を読み返しました。

 

「詩のこころを読む」(岩波ジュニア新書)

 

 

初めて読んだのは多分中学生か高校生のころ。

 

学校の課題か何かで読んだので、

 

後から読んでもどこか教材のようなイメージが残っていたのですが

 

あらためて読むとこの本、名著ですね!

 

 

40年くらい前の出版なので、時代の変化を感じるところはあるのですが

 

本質的なところは変わらないと感じました。

 

 

ジュニア新書ということで、ジュニア世代に語りかけるように書かれているのですが

 

取り上げられている詩も、それを語る茨木のり子さんの視点や言葉も素晴らしくて

 

感動しました♡

 

 

これを書かれたのは50歳を少し過ぎたころでしょうか。

 

その頃には既にご主人を亡くされていらっしゃった…

 

 

作品の並びが、

 

「生まれて」 「恋唄」 「生きるじたばた」 「峠」 「別れ」となっていて

 

意図したわけではないのだそうですが、“誕生から死”という流れになっており

 

今回、そのことにも深い感慨を覚えました。

 

 

年齢を重ねて、経験を重ねて、

 

だからこそ感じられることのあるよろこび。

 

生きることってやっぱりすごいことなんだと感じました。

 

言葉の力も!

 

自由に表現できるって素晴らしいヽ(^。^)ノ

 

 

晩年になっても、倚りかからず…と凛としてうたった茨木のり子さん。

 

その胸のうちは…?と繊細なお心をおもんばかります。

 

(私は倚りかかれるなら倚りかかりたいと思うようになりました(^^;)

 

 

 

最後までお付き合いくださりありがとございます。

 

皆さまどうぞお元気でお過ごしください。

 

すこやかな毎日でありますように(*'ω'*)