「不安」

「恐れ」

「無価値観」

感じる時

自分は無力だ

自分にはどうすることもできない

という

意識が沸き起こり

キューっと

縮こまっていくのを感じる。

 

もし

私たちが

そもそも「神」で

「愛」の存在なのだとしたら

なぜ

そういった

状況が起こるのだろうか?

 

それは

そのバイブレーションに意識を合わせ

「楽しんでいる」から。

 

私は、

長らくスピリチュアルに傾倒してきたけれど

「愛」とか「神」とか

いう言葉を

敬遠してた。

 

もっと言うと

「天使」とか

「アセンション」とか

もう、超怪しい〜〜〜!

と、

冷めた目で見てた。

 

中学生の頃

出会ったこの本。

 

購入した本が

なぜかサイン本で、

シリーズで持ってた。

 

「天使」を信じてたというわけでも

メッセージに深く感銘したわけでもなく

「なんか気になった」だけ。

(なんか心が美しくなれる気がして

本を開いてみるものの

全くメッセージが入ってこなかった。

←自分は、心が汚いからだ!と

自己否定してました。)

 

その本は

ほとんど活用することもなく

捨ててしまった。

 

昨日、クリムト展へ行って

触れた「天使」の絵。

クリムトの絵の質感って

本の挿絵に載ってた

「天使」の質感に似ていて

なんだか懐かしくて。

 

ふっくらした頬に

はじけるような瑞々しさを

感じたんですよね。

 

我が子にも

そういったみずみずしさを感じると

愛おしくて仕方なくなるのですが

なんだか

目には見えないけれど

そういった存在がいて

サポートしてくれているような気がしたんですよね。

 

(あ、怪しいですよあせる

 

自分では気がついていないけれど

ずーっとサポートをしてもらってた

気がするんですよね。

 

中学校の私に

天使のメッセージ本持つという経験

大人になった私に

子どもを産み育てる経験

昨日の私が

クリムト展へ出向く経験

 

「天使」と知らずに繋がってしたような気がする。

 

私はよく

「ハイヤーセルフ」と言うけど

天使とは

「ハイヤーセルフ」が

具体的に存在になったものだと感じてる。

 

私たちも

「ハイヤーセルフ」が

肉体に宿ったものだしね。

 

(見解は「今」私が感じているものなので

違った見方をしている方も多々いると思います。)

 

私たちは

地球で

肉体を持って生きている。

 

その地球の周波数で生きているから

「不安」も「恐れ」も「無価値観」も

そこに意識を合わせ続けれ限り

起きてくる。

 

そうだったんだ!と

「目覚める」ことを

サポートしてくれていて

私たちに近いところで

「気づき」を促してくれていたのではないかと。

 

肉体を持ちながら

「不安」や「恐れ」や「無価値観」などの

重たい周波数に同期せず

「愛」などの

軽やかな周波数に同期して

生きていくよう

たくさんのヒントを

投げてくれている。

 

「不安」も「恐れ」も「無価値観」も

そうやって楽しんでたんだなぁ、

と知る。

そしてリリースしていく。

すると

どんな世界が待っているんだろう!!!

ワクワクする。

 

しかしながら

この地球で

この肉体で

という

現実から

目を背けられない。

この怪しい世界を

信じるからには

きちんと

この地球

この肉体

感じつつ

サポートを受ける必要が

あると思っている。

 

「グラウディング」と

言いますが

この地球と

この自分に

しっかりと根を下ろし

「ハイヤーセルフ」や

「天使」のサポートを

受ける必要がある。

 

そういった

準備のできた人から

「目覚める」のだ。