今日は大雨なので、地元博物館へこんなの見に行きましたよ画像無断拝借
わたくしが生息する地域の伝統芸能を集めた企画展示です。
画像右のかちょええ獅子、わたくし母(故人)の生家の地区の獅子舞です。
なぜか那須地域は獅子舞、念仏踊りなどが盛んで、こんなにあったんだ
という数の芸能があります。
それを一気にまとめた初の企画ですコロナ退散の意もあるそうです
母方の祖父(去年他界)が長年踊りの指導をしてたこともあり、
わたくし獅子舞大好き小学生のときなど絵に描いて賞を取ったことも
母方のじいが生きてたら喜んだだろうな~、こんな胸アツな企画
何はともあれご覧くださいませ。1時間あるので最初だけでいいっすよ
期間限定動画で、12月には消される予定です。あと昔よりテレテレ踊ってます
今はみんな会社員で練習に時間がさけないこともあり、演目を口頭で伝えて踊ってます。
そういう意味ではテレテレしてるのも仕方ないんですよね
深くかがむ姿勢で1時間踊るのもキツいと思います。
一方昔はみんな農民。
足腰は無駄に強く、どの家も土間があったので、練習時間も場所もたっぷりあったとか。
なもんで踊るの嫌でサボる奴のところへ無理やり押しかけたりしたそうな
またわたくしがガキの頃は酒飲んで踊るもんで、すんげ~怖かった
動画中も子供をビビらすシーンがありますが、あれは酔っ払いのやることなので、
意味はほぼありません。今の人がやっても怖くないし、やめた方がいいと思います。
動画は平成24年のもの。じいはすでに指導から引退しておりました。
博物館の企画自体はきっと喜んでくれたろうけど、この踊りを見たら、
助走をつけて殴る勢いでしょうね
そして日本全国どこも同じように、これらも消滅の危機にあります。
実際完全に消えたものもあるし、踊りが無くなり、残された獅子頭を奉納するだけの
ところもあります。頭の羽が抜け落ちた獅子頭はなんか寂しい姿でした。
最後に目録(フルカラー1500円)を数冊買って散財してきました
今回の企画の他、「那須野が原に農場を・華族が目指した西洋」と
「近代を写実せよ・三島通庸と高橋由一の挑戦」という過去企画のもの。
ちなみに「那須野が原」とは、わたくしがよく使う「那須」より南、
那須野が原台地という広大な扇状地を主に指す名称です。
那須野が原は明治時代、近代農畜産業の実験場でもありました。
有力な華族が次々入植、開拓事業を始めました。
お陰で今も生乳生産量は本州一を誇ります。
そして日本の油絵の始祖、高橋由一。みんな知ってる鮭の絵で有名です。
那須野が原開拓時の風景をいくつか残しています。
県令・三島とどういう経緯で繋がっていったのか等、これから読んで勉強します
ウィキ抜粋
那須野が原とは、獅子舞や念仏踊りの土着性と、理論に則った近代農業、
これらが交差していたじつに面白い地域なのでございます
最後までお付き合いいただきありがとうございました。やさい屋菜園でした。