またはもや久々投稿。
以前に3年ぶりに投稿して猛省してるとか言ってるけど、またもや2年も空いてる。笑
最近noteが流行ってるのからそっちに書こうか迷ったけど、まぁなんでもいいか
僕は、8年間過ごしたゲーム事業部を5月いっぱいで離れることにした。
異動することになったが、「なった」というより「した」が正しい表現だと思います。
エンジニア→事業責任者→PM(プロジェクトマネージャー)、と職種を変え事業を変え紆余曲折もあり濃厚な8年を過ごしたわけですが、異動の最大理由は、「新しいことに挑戦したい」に着地しました。
振り返ると、元々ゲームがめちゃくちゃ好きで事業部を選んだわけでもなく、市場が伸びてて活躍する場面が多そう&活躍したときのインパクトが大きそうという理由が前提にあり、事業部の先輩たちと話していくうちに「一緒に働こう」と言ってくれる熱い人たちが多かったからだと思います。いざ、配属されて右も左もわからない且つエンジニアとして研修では下から数えた方が早い成績だった僕も、3,4年目くらいになるとリーダーやってプロジェクトもしっかり回って仲間にも恵まれて割と順風満帆というか、組織にも馴染んでるというか、必要であり期待されている存在として扱ってくれていたと勝手に思ってます。
2016年12月のタイミングで会社を作り事業責任者として邁進するも、1年半で会社自体は撤退(グループ会社と吸収合併)することになり、この時はホント色んなことをを学ばせていただいた。成果は全く出なかったけど、市場への感度や関わり方であったり、組織の作り方など苦しくも充実して、改めて会社に貢献しよう認識したターニングポイントでした。その後、新たに新規プロジェクトのPMをさせていただいたが、1つ目のプロジェクトでは全く自身にノウハウがなく、事と成りもわからず。以前エンジニア自体に一緒にプロジェクトをやっていた当時のPMや周りに相談しながらも「一般的なPM形態はウチに全く当てはまらないんですよね。市場や組織も変わる中で、ウチ流のPM像が求められる。Pが違えば求められるものも変わるしやることも変わる、特殊な職種になっちゃいましたよ」と。確かになぁとその時は理解したものの納得はせず、1つ目のプロジェクトは全くうまくいきませんでした。割と社会人人生でいくつか壁に立ちはだかることはあったものの、超えられなかったことはなかったので、「あともうちょっと!ここで乗り越えれば成長できるはずだ」と踏ん張っていたにも関わらず、ダメでした。要因はいくつかあると思います。経験はもちろん無いし能力や知識もなかったし、エンジニア上がりで開発わかってるだろうと進められてきたけど、全体の開発推進ってなると全くやることが違った。それはまぁぶっちゃけ自分に落ち度があるし日々勉強してちょっとづつ進めれてはいたが、最終的には一緒に働く人が合わなかったなぁと。表面的には平然を装ってもこんなに拒絶することはあるんだと、いろんな意味で大変勉強になった。マイナスなことを書くのは嫌いなのでこのぐらいにします。その後、途方にくれ辞めようかと本気で考えて、転職サイトには登録しなかったけどいろんな人に会って、自分のキャリアを見つめ直し、1からやり直そうと思っていた時、以前上司だったプロジェクトに呼んでいただき、ひとまずはそこでもう一度頑張ろうと思えた。今までの社会人生活でドン底だった僕を拾ってくれ、また当時の上司は話を斡旋してくれて、本当に感謝しています。このお二人がいなかったら僕はこのまま底ついて、田舎に帰ってしがない生活でも送ってたかもしれません。2つ目のプロジェクトでは、PMとして良い結果が出た・良い言動ができたかというとそうではないでしょう。ただ、働く人たちが最高で、改めて僕は「人」を大事にする、したい人間だと気づかされました。働く仲間も、サービスを使ってくれている人も笑顔にできるそうゆう人間になりたいたいんだと。そこから本当にやりたいことって何だろうかと半年ちょっと前ぐらいから考えるようになりました。まず、自分に今の職種の可能性に期限をつけました。ここまでいって大成しなかったら撤退だ。別に職種で期限を決めなくってよかったんですが、前のPM業もダメで、ダメダメ続きだったらダメなんだろな、ぐらいで目指せるべき指標でもあったのでちょうどよかった。結果は90%達成ぐらい。このままやって伸ばしてもいいかなと思ったけど、ちょっと違うなと。何かというと、僕はモノを作っていない。マネジメント業務なので、進捗のホウレンソウを基にうまくいってんのかうまくいってないのか、うまくいってなかったら業務フローや管理体制を安定するまで自分がやり、など日々テコ入れして立て直すのが仕事。90%達成といって残りの10%は、問題を未然に防ぐ体制を作っておくべきなんですが、そこまで手が回らなかった。一部分を作業者も兼任してしまったのが失敗だった。誰かに任せれば良かったが、任せるリソースの余裕もないし、まぁちょっと頑張ればいいかと思って抱えてしまったのが仇になってしまった。あれは失敗。プレイングマネージャーとかもあるけど、新規タイトルなんてやることが死ぬほどある中からやっちゃダメ。運用ならある程度ナリでいける部分があってコントロールしやすい部分が出てくるから良いかもですが。
そんなこんなで、結局モノづくりが好きでプレイヤーなんでしょうと自分は。なので、やっぱそうゆうコンテンツを作れる人になりたいし、やりたい。ただ、ゲームのプランナーとかはできないだとなとヒシヒシと感じていた。「この〇〇が面白い」とか「これが可愛い(ないしカッコいい)から売れるな」とか全くセンスがなかった。もちろん、面白いことは理解できるし可愛い or カッコいいも理解はできるが、それを狙ってできるかというと、わからない。訓練が相当必要そうだ。ましてや、やりたいかというと怪しい。結局、自分はリアルなモノづくりが好きなんでしょう。料理とか家具とかファッションとかそうゆうの。リアルっていうとちょっと語弊があるかもしれませんが、そんな感じ。テレビのバラエティ動画とか、スポーツとか。うまく言えないけど、そんな感じ。ゲームももちろん好きです。ゲーム事業部に入ってからはガラケーアプリやスマホゲーなんてやるのも仕事なので、いろんなもの触ってゲームをやる習慣は身につきましたし、スマホゲーはプランナーやプロデューサーの方がやってるから仕組みを知ってる程度はやるにしても差別化とれなそうと思ったので、コンシューマーゲームをやりまくろうと今でもやってます。PS4のソフトは20~30ぐらい持ってますし、ちょっとクリアして良かったところや次回作はここを改善して欲しいなど意見ももちろん言えます。ただ、ゲームプランナー/プロデュースとして自分が今後なりたいかというとそうではないだろうなと。だから、ゲーム事業部を離れて、自分が今一番興味があり、なりふり構わず「やってみたい」に向き合った場所に行こうと思いました。異動と言ってもほとんど知らないひとばかりで、気持ちは転職している気分です。今までの知識や経験の半分以上無駄になるんじゃないかと思っていますが、まぁそれはそれでいいかと。
そんなこんなで、業務は4月いっぱいで5月は有給など使って1ヶ月小休止いただいております。いろいろあって正直ちょっと疲れてました。今は本を呼んだり、運動したり、次の配属先に関わるコンテンツに触れたり、下準備に勤しんでいます。コロナの影響もあり外出はほとんどしていませんが、次スタートダッシュできるようにまずは精神から。このブログも「小休止」を読み終えて、なんとなくブログ書こうと思って殴り書きしました。
・いつでも平常心
・勝負所、引き際の見極め、力の抜きどころ
・必要とされるキャラや人柄になる
・GNO(義理・人情・恩返し)
今の自分には合っていた本だったかもしれません。
30代の社会人人生、新たにスタート、最高の人生にしよう。