歳のせいだと思う、病気のせいではなく。
 
わたしのなかには、いくつかの景色がある、鎌倉、お茶の水、原宿、御代田の追分。
 
帰りたいのは、鎌倉の家の祖母の家、もうとっくにない。
 
追分の伯母の山荘は夏に(気持ちが)帰る場所で、そこも、もうない、伯母も亡くなって10年になる。
 
お茶の水も原宿も、もはや当時のものではない、つまり、もう場所はない。
 
そこに行けば、縛りから解かれて、自由な気持ちになれる、当時そうだったように、そんな感じ。
 
またあるいは、それらはあの世のシンボリックなことで、あちらに帰りたいのかもしれない。
 
(認知症の方が徘徊したり、施設から帰りたいと言うのは、こういう気持ちかなぁ)
 
死んだら希望通り、あの場所に帰れるのかもしれないなぁ。
 
この世が、うたかたなのかもしれないなぁ。
 
 

HPの画像をスマホで撮ろう、みたいな講座をやっていた。
生きるって、ことごとくめんどくさい。