今、司馬遼太郎の「燃えよ剣」を再読しています。下巻に入りました。下の写真はバンコクの某ホテルのロビーで、用事があって行ったときの時間調整のため本を持参していました。なお、このように、表紙をそのままアップしない場合は著作権に抵触する可能性はまずありませんので、写真を使います。

また、下記に土方歳三の写真を使いますが、他から使う場合は最低限、出典元を明記する必要があります。

 

それと、新聞の切り抜きをフェイスブックなどのSNSに平気でアップする人が驚くほどいますが、新聞社の許可が無い場合は大原則として違法です。掲載を繰り返す知人たちに、未許可の掲載は著作権法違反だと教えてあげても無視して継続する年配者多数。

 

そういう人たちに限って社会問題や環境問題の新聞記事の無断掲載、無断転用、引用を繰り返しながらも、自分たちは社会正義をやっていると自認しているようです。


そもそも、自分の文章じゃないという人任せも情けないよね。さらに違法引用で、根本が間違っているのに。

 

燃えよ剣は、過去に10回は読んでいるのですが、また読みたくなりました。

 

土方歳三が副局長だった新選組は過去にとことんはまり、かなり調べ、そして関連場所に行きました。北海道の旧幕府軍、官軍の上陸地はもちろんのこと、日野を歩き回り、都内も歩き、当然ながら京都は数えきれないだけ足を運び、全て歩いて距離を体感。

北海道では特に五稜郭から一本木関門付近までは土方歳三の足跡を考えながら、何度歩いたことか。

何度読み返してもまた読みたくなる燃えよ剣の魅力。その一つが現代では忘れられた漢がそこにいるからだと感じています。古い価値観と言われても構いませんが、しかしどの時代であっても人を引き付けるものはあると思うのです。

箱館戦争時の肖像写真(田本研造撮影、1868年)

 

そして、土方歳三の潔さ。なんと思われようが自分の道を行く。

 

現代では目先の利益、長いものに巻かれろが行き過ぎて、自分を主張しない人だらけになっていると思います。とっても弱弱しいと感じます。逆に主張しているのは匿名のネットで、それはもはや主張というよりも罵詈雑言多発。他人の過去を暴露するというまさしく漢ではない下品な人が国会議員になる国ですからね。

 

暗殺が怖いから帰国しない、つまり自分の言動に責任を持たない卑怯者だと自分で証明しているわけです。怖いのなら最初からやらなければいいのに、議員報酬を得ていながら国会に出ず、何をしたいのですかね。

 

とにかく、今を生きていない人が多いように感じています。会社や組織に縛られ、本来の自分を見失って定年を指折り数えている人があまりに多すぎやしませんかね。本当に自分のやりたいことより、組織にいる方が正解なのですかね。

 

あるいは、目先の利益につられ続けている。だからそういう人たちの一部は例えば詐欺に簡単に引っかかるわけです。

 

人生、先のことなど分かりません。この当たり前のことを正面から受け止めたなら、今を生きるしか、今という時間を大事にすることしか無いと思うんです。

 

もちろん、将来のための蓄えや大事にすべきことがあります。しかしどれだけ何があれば安心なのか、満足なのか。貯金のための人生、会社や組織にいることで自分の存在意義を確認し続ける人生って、どうなんでしょうかね。

 

現代日本人は歴史上かつてないだけ、病的にビクつくようになったと思います。ガンだ貯金額がどうだと、とにかく将来を不安視しすぎです。だからあまりにも様々なことを怖がり過ぎて、今を充実させてないと感じてしまいます。そして不安というものはどんどんと肥大します。そのほとんどは実際には起きないのに。取り越し苦労だらけで楽しいんですかね。

 

いつかどこかで振り返って、それで満足できるのか、いや、これで良かったんだとまるで酸っぱい葡萄のように考えるのか。

 

時間は今の連続でしか無いので、将来を良くしたいなら今を良くするしか無いと思うのですよ。

 

当方はなぜ歴史に触れるのか。歴史を読むとき、現地に行くとき、そこから学びがあることが過去の人物や出来事を敬うことになると思います。海外にいても、日本人として日本のことを振り返ることは止めません。そして今の自分を見直し、将来に繋げます。

 

自分が忘れていた感覚を、過去の人が一生を使って証明したことを知ることで、見直せるのが歴史の魅力の一つだと思うからこそ、歴史に触れるのです。

 

今という時間を生き切った男が土方歳三。おべっかも忖度も無く、自分が大事だと思った道を、自分らしく生きた漢。思想も無い殺し屋だという批判は有りますが、確かに歴史に名を残した人物の生き方は参考になれど、巷の人たちのような批判をする気にはなれません。

 

当方が尊敬する人物の1人です。