タイで三度目となるヘルファイアーパスは、今回12月29日に行きました。ヘルファイアーパスとは泰緬鉄道の一部の区間だが、難所だったことと、今でも痕跡を見ることができる観光地。捕虜だった人や遺族にとっては戦争遺跡ともいえるでしょう。

 

ここは夜間も作業があり、いつも灯りがともされており、そこで多くの捕虜やアジア人が死んでいるためヘルファイアー(Hellfire)と呼ばれています。日本では泰緬鉄道(リンク設定有)また、現地や英語圏ではデスレイルウェイ(Death Railway)、死の鉄道といいます。

現地では多くの外国人、特にヨーロッパやオーストラリアからは年配者が来ており、タイ人は多くの若い人が来ていました。

 

当時は重機は無いので、ほぼ手作業。ダイナマイトの利用も一部では、ありました。重量物の運搬に象も使っているが、既に記載の通り、多くの捕虜や使役したアジア人が亡くなっています。この写真はハンマーアンドタップカッティングと呼ばれる場所で、ほぼノミとハンマーで切り開かれたと言われています。日本軍人がいつも言っていたのが「スピードー」で、つまり「急げ、さっさとやれ」という言葉は今も語り継がれているのです。

 

前回の記事の中で、泰緬鉄道に触れました。

 

タイ・カンチャナブリ泰緬鉄道センターと連合軍共同墓地で歴史を知る

タイ・カンチャナブリ泰緬鉄道センターと連合軍共同墓地で歴史を知る

 

記事の一部を抜粋します。自分の記事なので著作権は当方にあります。

「日本軍人は12,000人、連合軍の捕虜62,000人が従事することになるのです。他にもミャンマー人18万人(死者4万人)、マレーシア人8万人(4.2万人)、タイ人についてはその数がまったく分からないという状態。アジア地域からも多くの人が建設に関わったのですが、今でも正確な数字が分からない状況なのです。ミャンマー側152km、タイ側263kmの全長415kmの間で亡くなった連合軍捕虜は1万人を超えているといわれています。」

 

本日は、映画の紹介です。このレイルウェイ 運命の旅路 (The Railway Man)(リンク設定有)は、実話をベースにしたもので、有名な俳優としてはコリン・ファースさんが主人公なのですが、奥さん役でニコール・キッドマンさん、そして真田広之さんが故永瀬隆さん(リンク設定有)役で出ています。レンタル店で借りられますので、日本語吹き替え、あるいは字幕でご覧ください。また、個人的には、永瀬さんがかなり悪く描かれているようにも感じるのだが、敵側からすればそのように見えても仕方がありません。現実世界の二人は、和解して永瀬さんが亡くなるまで交流が続いたのです。

小生は泰緬鉄道関連で捕虜側の本も読んでいます。捕虜経験者の本を読むと、想像を絶する虐待や拷問が多々出てきます。個人的にはそれらはあったと考えています。人間、特定の状況になるとどこまでも残酷になれるのは、心理学でも実証されていますね。

 

そして、この映画は確かにかなりの部分が実話です。しかしながら映画という性質上、大幅に変更しているのが、捕虜期間中に虐待された主人公が元敵の永瀬隆に会う辺りから。実際には現地にこのような博物館は存在しません。別の博物館は複数ありますが、映画のものは存在しません。

 

映画の後半に出てくる複数の場所は観光地であり、年末年始の旅で動画撮影を目的として一通り行ったのですが、そのまま使われています。動画は後程ユーチューブにして公開します。

 

歴史を知るとは、何も日本国内だけの話ではありません。世界の歴史となれば膨大な話となりますが、少なくても日本が関わったことは、少しでも知っておくべきだと思いますので、しつこいようですが何度も紹介している次第です。