タイでの日常。午前中は割とパソコンを操作。午後は映画を見て過ごします。時々外を歩き、その他筋トレも。週末はどこかに出かけますね。

 

では、11月2日(火)の旅記事です。前までの記事はコラム調でしたが、旅記事に戻りまして、鹿児島市内散策編です。

 

散策といっても目的はあるので散策ではありませんが、まあ、途中は思い付きで道を変えているので散策とも言えますね。大まかのこの日の旅を言いますと、まずは大前提として徒歩というのはいつものことで、基本的に幕末ですよね、鹿児島といえば。

 

鹿児島といえば戊辰戦争や明治維新だが、お前はどう思っているのだ?となれば、佐幕派です。

 

しかしながら、立場に固執しないというのが当方の生き方でして、現実を知る、見るのが大事であり、それぞれにそれぞれの言い分があるということから出発するのが本当の民主主義であり自由主義。だから薩長土肥ということも当然認識しながら、旅はするのです。

 

坂本龍馬を巡って高知は当然のこと、江戸、神戸、長崎は当然のこと、脱藩の道も訪ねたことがありますから。

 

また脱線しましたが、出発は鹿児島中央駅から。午前9時、徒歩観光開始です。

観光案内所で観光地図を入手し、出発です。鹿児島は二度目でして、実は前も同じようなルートを歩いているのですが、かなり前だし今回は動画をたくさん撮影するのも楽しみの一つです。行きたいところに〇を付けました、何せ回る場所がとても多いので。それだけ鹿児島市内に見どころが集中しているのですが、このブログでは全部を載せることはしませんよ爆  笑

全部を載せることはしませんが、例えばこの人、知っている人は当方の同士です笑

歴史を学ぶことで今を見直し、未来へつなげるというのが当方の考え方です。戊辰戦争の薩長の行動を当方は肯定しません。自分のことを佐幕派と書きましたが、それは江戸幕府の体制を肯定ということではなく、薩長による戊辰戦争の名目や流れは間違っているということです。いまだに靖国神社に幕府側が祭られていないことも反感の一つです。その事実を知らない日本人があまりにも多すぎますが。

 

大東亜戦争での死者と分けて考えなければいけないこともあるのが靖国神社であり、その歪んだ状態を是正するのは、国の仕事であると当方は考えています。

 

戊辰戦争は薩長のやったことは間違いだと思っていますが、しかし、その後の日露戦争になれば、その行動力は必要だったことになります。この辺りが歴史の妙味ですね。

 

テクテクと歩いて、こちらの方。西郷隆盛です。西郷隆盛も大久保利通も、良し悪しは別としてその時代人らしい大胆さがあったのは事実ですね。どちらも非業の死を遂げていますが、一定の志を持っていたことは確実に評価されるべきと思います。なぜなら、少なくても今の政治家は全員、見習ってほしいところですから。公のために生きる、それが政治。しかし何がどうなっているのか今の日本。

この西郷さん像のところに年配の男性ボランティアガイドがいました。大阪城でもそうでしたが、こういうボランティアは年配者ですね。もちろん定年退職した後という人が多いでしょうから年配者にはなるのですが、根深い問題としてですよ、海外ではボランティアは割と若者が多いんですよね。日本は災害地は若者が多くなりますが、文化歴史になるとガクッと年齢層が上がりますね。そして全体としてボランティアが少ない。キリスト教との違いはあると思いますが、でもタイにいると仏教精神の影響と思えてならない、施しが多いのですよ。

 

年配のボランティアガイドさん、「あちらの銅像も見ましたか?」と西郷隆盛と向かい合っている銅像を聞いてきたので、「はい、小松帯刀像ですね、撮影しました」と返事。

そして「地図はありますか?」と聞かれたので、既に〇をたくさん付けた地図を見せると、とても嬉しそうに見ていました。

更に当方が二度目だと知ると、「では、すべての説明は不要ですよね」と笑っていました。はい、不要です笑

 

それから10分ほど色々な話をしたのです。現地の方とのお話はとっても楽しいし、特に歴史ガイドをする人はそれだけではなくたくさんの知識がある人が普通なので、とても楽しい時間となります。ガイドをするくらいですから話好きが多いのも当然で、姫路の国府山城では、ずっとお話が止まらないほどでしたから。

 

ああ、ここは前回、とても印象的だった場所です。ちゃんと残されているんですね。

そして城まで来ました。前も来ています。

そこから再びテクテクと歩いてこちら。前回旅した時は感動してしばし眺め、撮影した場所で敬天愛人です。

はい、西郷隆盛が籠った場所です。城山の裏手になりますが、その後移動していくことになります。前回はここまで来て、西郷隆盛最後の地に向かったのですが今回はルートを変えて。

前回は城山に上らなかったので、行きます。

いいですね、ここからの眺め。快晴で何より、桜島がばっちりと見えます。桜島は今回も行きますよ、行けるときに行かねばというのが桜島ですから。午後12時50分になっています。実際は一つ一つの場所で割と説明を読んだりしていますので、時間がかかっています。ちなみに、一度も座っていません笑

西郷銅像のところで話をしたボランティアガイドさんですが、どうやら長いこと城山には行っていないようですね。なぜなら自然遊歩道の上の辺りは悪路だと言っていたからです。実際はすべて舗装されていて歩きやすいものでした。それとも違う山道かもね。横道があったのは確かでして、でも観光客はまず通らないでしょうが。

そこから歩いて西郷隆盛終焉之地です。ここは考えさせられる場所です。前回もしばし時間を取った記憶があります。

さて、ここからどっちに向かうか、桜島に行くか南洲神社に行くか。時間的にまずは南洲神社にしました。ここは前回、来ていない場所です。なぜなら終焉地から仙巌園まで歩いたと記憶しているからです。今回、仙巌園よりも行っていない場所を選びました。

うーむ。

ふーむ。

そこから下るように桜島フェリーターミナル。そして桜島に向かいます。時間は午後3時です。

あまり時間が無いので、バスを利用。まあ、さすがにここは朝一番からでないと徒歩観光は無理です。

薩英戦争の砲台跡がある鳥島で下車。

そこから歩いて、赤水展望広場です。

そして再びバスに乗り、湯ノ平展望所。ここで周囲を観光して、同じバスに乗り戻るのです。

前回とは結構違うバスの利用の仕方なのか、単に忘れているだけなのか、そんなことを考えたバス利用でした。

戻りのフェリーの中。風の中撮影していると、話しかけられました。何となく後ろに誰か座ったのは分かったのですが、声をかけられて振り返ると女子高生です。

室内席に座っていた三人組の1人かなと思ってそちら方向を見ると、中から笑いながらこちらを見ている他の女子高生。あ、いやいや、別に女性を観察していたのではなく、普段から特定の場所では行き交う人を男女問わず観察する癖があるので、なんとなく覚えていただけですよ笑

 

「どうしました?」と聞くと、「あのー、撮影の仕方を教えて欲しいんです、どうしたら夕日を美しく撮れますか?」とのこと。どうやらカメラをたくさんぶら下げているから、知識があると思ったようです。

 

しかし彼女が持っているのはスマートフォンだったので、「スマートフォンは機種によって撮影の仕方がまったく違うし、今は一眼で撮っているからね~」とやんわり断ると「私も一眼は持っているんですが、今回は学校の研修で持ってきていなくて」とのこと。でも、こういう行動力っていいよね、すごく魅力的な女性だなと思いましたよ。

 

その後、なぜか色々と雑談となり、結局そのまま港に到着してしまいました、あはは。午後5時30分です。

 

フェリーターミナルからはバスを利用し、あっという間に鹿児島中央駅に到着。宿に戻り、これで2泊の鹿児島観光は終了です。

つづく