皆様ご無沙汰しておりました。yasです。
2週間ほど前、7/6は我がバンドの初Liveでした。
ですが、俺自身は出る事ができませんでした。
以前から闘病しておりました母の容態がここ2ヵ月良くありませんでした。
主治医が驚くほど急激に容態は悪化して行き、入退院を繰り返す状態。
2週間入院して、退院したものの家に居られたのは一日だけ。
金曜に退院して日曜の早朝には救急搬送されるような状態でした。
そんな状態の中、7/1に主治医に呼ばれて病院へ。
「今週いっぱいがヤマです」
あまりにも急すぎる宣告でした。
急激に容態が悪化している事は家族も見て分かっていました。
もう長くはない事も悟っていました。
「もう1年もたないだろう」
「年は越せないかもしれない」
「あと一ヶ月くらいかな…」
と、家族が予想する余命はだんだんと短くなっていました。
あと一ヶ月くらいと想像していたのに、主治医から告げられた残り時間は
たった6日間。
「今のうちに会わせたい人がいたら…」と言われました。
身体的な辛さから認知症の状態が続いていて、俺が見舞いに行っても
俺が誰なのかさえ理解できない状態。
でも、父の事はちゃんと分かってる。
これが夫婦愛なのでしょう。
母が俺の事を忘れてしまった翌日、一人で見舞いに行きました。
きっと自分の事は分からないのだろうと思いながら。
病室に入るなり、母が泣きながら俺の名を呼んでくれました。
思い出してくれていました。
肺を侵した癌細胞のせいで呼吸さえ難しい状態で
「ごめんね、私もう終わりだわ」
「何言ってるの!早く元気になって退院しよう!」
言いながらこらえていた涙が止まらなくなって。
今まで照れくさくて言えなかった言葉もちゃんと出てきて。
「母さん、産んでくれてありがとうな。俺、母さんの子供で良かったよ」
「離婚しちゃったり、病気になったりして母さんに心配ばっかりさせて親不孝だったね。」
「まだ何にも親孝行できてないんだから、まだ終わりだなんで言わないでよ」
「元気になって俺の嫁さんとか孫とか見てもらわなきゃ!」
自分でもおかしいと思うほど言葉が出てきます。
考えた言葉じゃなく、本心からの言葉。
母は
「私の子に生まれてきてくれてありがとう」
「あんたは充分親孝行してくれたよ」
「ごめんね、あんたの子供、抱っこしてあげられないわ…」
「これまでは私の世話があって自由にならなかったよね、
これからはあんたの人生はあんたの物だよ。
自由に恋愛したり、結婚したり出来る時間が出来るんだよ」
「Kちゃんがお嫁さんに来てくれてたらどんなに良かったかねぇ…」
まともに呼吸さえできないのに、必死に話してくれました。
Kちゃんは昨年の春に別れた元婚約者。
自分の看病のために地元に帰って来たせいで彼女と遠距離になって
そのせいで婚約解消になったと母はずっと責任を感じていました。
そんなんじゃないんだ。母さんのせいじゃないんだ。
俺が悪かったから別れる事になったんだ。
自らの死期を悟った人間が自分を責めるなんてやめてくれ。
母と会話できたのはこれが最後でした。
翌日から意識が無くなり、ほぼ眠っているような状態でした。
そして7/4の早朝、病院から電話が来ました。
「血圧がもう計れない状態で、脈も殆ど取れなくなりました。すぐに来て下さい。」と
父と二人、母の手を握り見守ります。
苦しまず、眠っているような状態。
浅く、微かな呼吸だったのが、大きく息を吸い、吐き出したのが最後でした。
父が「呼吸、止まったな…」と一言。
すぐに看護師さんが病室に入って来て
「今、先生を呼びますね」と一言だけ。
時計を見ると5時5分。
しばらくそのまま待ち、先生が来て確認。
「私の時計で午前6時7分、死亡を確認させていただきました」
離婚して以来、心も身体も荒み、病に冒され
親の死に目には会えないと思っていました。
そんな荒んだ自分を正しい方向に修正してくれたのはKちゃんでした。
「この人と結婚して人生をやり直したい」
その想いがあったからこそ、立ち直れたのだと思います。
だから、母の最期に立ち会えたのは彼女のおかげです。
そして、最後に母とちゃんと話せたのは神様の贈り物。
感謝しています。
Liveは代役をお願いして無事に終わりました。
今日で弔問に来て下さる方への対応も一通り終え
遺品の整理や手続きもほぼ終わり、やっと一段落といった所です。
「これからは自分の時間を自由に、有意義に使いなさい」
母の最期の言葉を遺言と思い、生きていこうと思います。