今年に入って、

天照大御神や日本の神々のことが気になり始め

調べ始めると、

大きな風を感じるようになりました。
大きなうねりが背後前方押し上げられるような なんとも言えない力にまとわれるような。




元来、私は日本に生まれ、日本人というDNAやアイデンティーを持ちながら、欧米かぶれしていた人間でした。(映画やメディアの影響は大きいと思います)


仏神や日本の伝統、文化に全くと言っていいほど興味がなかったのです。




ここから、なぜ、そんな私が伊勢を訪れる経緯に至ったか、
なぜ日本の文化や祖先を立ち返るようになったか、私自身も振り返りながら書いてみようと思います。
少々長くなると思いますが お付き合い下さい。


********************
【海外に憧れて 外に向く】

日本人として生まれたことに誇りが持てなかった若い頃..とにかく日本より世界

国内旅行にも興味がなく、旅行に行くなら海外

旅行というより、バックパックひとつで1人旅
当時のバイブル「地球の歩き方」片手に(懐かしいな)


わざと汚い格好をして(女子1人ですので狙われないように..)計画も立てずに旅先もホテルも行き当たりばったり


名付けてハッタリ旅行笑



****************

【既成概念を壊したい】

バイトでコツコツお金をためての繰り返しで、二十代前半で7カ国くらい行きました。

若い頃はあえて、既成概念を壊すことをやってました。これは私が芸大出身であることもつながっているのかも知れませんが、



物の見方をいろんな角度で捉えるという視点のずらしの延長です




いろんな世界に足を運んで、文化や習慣の違いを実際にみて経験する 世界は沢山の人がいて

とにかく広い視野で世界を見て沢山の人に会って、固定された概念を開き、決めつけやら いろんなものを解放したり、紐解きたいという衝動が強かったと思います。




同い年の友人が、ブランドもののバックを買う為にバイトしている傍ら、一生懸命働いて貯めたお金が、たった一回の飛行機代と旅費に消えていく

欲がなかったわけでもないけれど、物より経験重視
経験は何物にも変えられないことをこの辺りで身をもって感じています。



次はどこの国へ行こうかという感じで、
旅を続けていくうちに今度は住みたくなり
しまいには海外にも移住しました。



正直日本がキライで、日本の社会が窮屈で
日本を離れてみても 日本人という顔や体型、強いて言うならば日本人という宿命からは抜け出せない事に気付きます。



なぜアメリカに生まれなかったのだろう..
日本に帰ってからは逆カルチャーでしばらく生気さえ失っていた時期もありました。


アイデンティティとはなんなのか?
日本人としてなぜ誇りに思えないのか?

ある時、日本の学校が日本人にしていくのだということに気づきます


文化や社会 宗教 風習が人格形成に大きな影響を与えているのです



では、ひとつの命 としてこの地球に生まれる元々の自由意思はどこにいくのでしょうか?

こういった問いかけを海外にいた頃、旅をしている最中、ずっとしきりに考えていました。




そんな私がようやく日本人に生まれてよかったと思えるには、まだまだ時間がかかるわけですが

紐解かれていけばいくほど




全ては経験、全てに意味があり、
全ては繋がっている



ようやく点と点が繋ぎ合わさった時
手と手を自然に合わせていました。





****************
日本人としての記憶の断片


【田舎、自然、お墓参り】
幼い時は両親の祖母が田舎に居たので、
神社詣り、お墓参りは年に2、3度習慣化されていました。

般若心経はトイレに貼ってある紙で小学低学年の頃には完全に覚えました。(意味は全く知らず)


毎盆、正月に多くの親戚が集い、
従姉妹達と山や川など自然の中で遊んだ記憶は未だに鮮明にあります。


父が単身赴任で、ほぼ母子家庭。家族で一緒に出かけた記憶も写真もほぼ皆無だったものですから
内心、

田舎連れて帰って放ったらかしで「楽しよるなー」と子供ながらに気づいてました(笑)


いつも記憶は田舎の自然
こうした記憶を持てたことは本当に有り難いなあと思います。


「田舎にかえる」という経験を持てない世代のちょうど中間世代かもしれませんね。



今ではどちらの祖父母も他界していますが、自然と田舎といえば 「おばあちゃんの家」という認識でした。


セミの鳴く声、台所に集まる女性軍団と
座敷であぐらをかくおっちゃんたち


お経の意味もわからないけれど、こういうものだと記憶に入っている


どこかしら哀愁のある記憶に辿りつきながらも分からなかった 気づけなかった





日本の神々のことを調べていくうちに、



なぜか呼ばれているのかな?と
感じるようになりました。



コロナが発症し、ステイホーム中も

より気持ちも強くなりました


この間は、自分の内側を【整える】ことは
かなり集中してやってました。



調べたいものが 知りたい事が 自ずからやってくる という感じになってきました





天気も晴天


無理もなく 自然な流れで日程を組み


無事に来れました。(それだけで充分!)




清らかな空気と、

清らかな境内を歩くだけでリフレッシュ

慣れない操作でしたが、少しでもシェアしたくて動画も撮りました。





記事はいくつか分けて書いていこうと思いますので、しばらく伊勢神宮旅行記お付き合いください


ここまで読んで頂きありがとうございます😊



下記(独り言に近い後書きです)
ーーーーーーーー

みえないせかい みえないものとみえるものが介在するこの世界


みえないけれど 感じる

みえないけれど 知っている



これから 私たちは大きなうねりを感じていくことでしょう

今まさに始まったばかり


コロナは序章






そうであるならば、進みます


私という全てを使って 出し切ります


私を精一杯全うします