陸前高田 ヤルキ キャンプ -20ページ目

1月23日 いちろうくん AGAIN

23日。月曜日。


この日もイス屋(石屋)。

朝、デビしゃんの到着を待ってると、なんと隊長が登場。
噂を聞いて駆け付けてきた!?
いーから、勉強しとけー。

その後、ハード作業マニアのXも合流。


残りの作業をしました。
結局、40コぐらい並べたのかな~。
ボス級は、10コぐらい。

大変だったけど、経験値は上がったかな~。
photo:04

photo:03

photo:05

↑完成!

午後過ぎに、本部長のところを訪問。
軽く情報交換したあと、鳴石のKさん(通称:テキヤ)が、ヤルキハウス近くで解体と竹切りをやってるとのことで、様子を見に行きました。

で、本部長は、翌日から手伝いに行くことになりました。


そのあと、浄化槽の配管を依頼する会社を訪問。
。。。今年度の浄化槽取り付け助成金財源はもうないらしく、来年度からしか出ないとのこと。
しばらく、仮設トイレだな。


更に、完了申請を出してもらう工務店を訪問。
とりあえず自分たちで建てたものの、どーすれば完了したことにしてもらえるか相談しました。

工務店もなんだか忙しそうで、ホワイトボードは、やらなきゃいけない現場でビッシリ。
「次から次にたまんねーよ」という主任も、なんだか嬉しそうだった。

仕事がないより、たくさんあった方がいいからね。
うらやましい限りですねー。


夜、元ヤルキャン居候のピエロから電話がきました。
なんでオレの番号知ってんだ!?

photo:01

夏頃まで、岩手沿岸でピエロボランティアとかいって、安売り大道芸をして廻ってたっけ。
確かヤルキャン出たあとは、宮城を荒らしにいってた。

読売新聞を立ち読みしてたら、ヤルキ本の記事が載っててビックリして電話してきたと。

「こんなに被災地のためにがんばってくれてありがとう。
日本人を代表して、本当に感謝の言葉を表したい。」
なんてこと言ってました。

すかさず「勝手に代表すんな!」って言ってやったけど。

でも、ヤルキャン引退メンバーから電話をもらうことって、何気にないから多少嬉しいかな。


ピエロの方は、11月までスーパーカブ一台でネバってたらしい。。。
photo:02

むしろ、そっちの根性が大道芸だし。

本当は川越のラーメン屋だったんだけど、いざ仕事に戻ろうとしたら、店内マックロになって使い物にならなくなってたそうで。。。
半年以上も明けてりゃね。

リフォームして、営業再開することもできるけど、また春になったらピエロボランティアするから、閉店を決断。

30年以上続けた店を閉めるのはツライけど、子どもたちの方がもっとツライ、とかゴニョゴニョ言ってたな。

んー、ブランデーラーメンだの何たらラーメンだの一回は食ってみたかったんだけどね。

そういうことで、ちゃんと生きてるみたいです。


ジョン

iPhoneからの投稿