首を痛めたミラノは治療も兼ねて1カ月間、日本へ戻ることにした。思えば、もう1年以上も離れたままだった。最初はあったホームシックも今は感じなくなったが、やはり久々に帰れるのは嬉しい。
といっても会社をやめた時点でアパートは引き払っており、今さら別れた真実のもとへいくわけにはいかない。実家の盛岡も、デビュー前だけに顔を合わせる気にはなれなかった。
神戸の道場が一番いいのだろうが、何かと東京にいる方が動きやすいと思い校長に相談したところ「楽太郎師匠のところにいけ。俺が連絡を入れておいてやる」と言われた。
楽太郎師匠とは、落語家の三遊亭楽太郎(現・六代目円楽)のこと。天龍源一郎と中学時代の同級生だった関係で全日本プロレス時代から応援し、関係者の間で知られるほどの熱心なファンだった。
ウルティモ・ドラゴンが天龍の団体に参画したことで知り合った以後は、闘龍門設立時から協力を惜しまず、生徒たちを自宅に住み込ませてまでして面倒を見ていたのだ。落語に疎いミラノでもテレビの人気番組『笑点』で軽妙なトークを展開する姿は見ていた。どれほどの人物なのかぐらいはわかる。
「校長…僕のようなデビューして間もないペーペーがそんな方のところにいったらご迷惑では…」
「いいんだよ! 俺と師匠の仲なんだから。それより、師匠のところで少しは勉強させてもらえ」
言われるがまま、ミラノは成田空港へ着くと楽太郎師匠のもとへ直行。「おー、よく来たな。校長から話は聞いているよ。確かに男前だなあ」と、有名人とは思えぬ気さくさで迎えてくれた。
とはいえ、やはりたたずまいからして違うとミラノは思った。気品、風格といったものがさりげない仕草や言葉遣いからも伝わってくる。イタリア人に見られるためにはどんな立ち振る舞いをすればいいかとずっと考えてきたから、そういうところへ敏感になるのだろう。
食と住を提供してもらうだけでもありがたいのに、師匠はミラノの「こういうプロレスラーになりたいんです」という話に耳を傾け、人前で表現することに関するアドバイスも聞かせてくれた。メキシコでは同世代ばかりであり、校長はほとんどいなかったらこういう話ができるのはとても新鮮だった。
楽太郎師匠のところから病院へ通い続けるうちに、首の痛みも消えた。このままずっとお世話になりたいと思ったが、12月のヤングドラゴン杯まで1カ月を切っている。
「師匠、お世話になりました。師匠の教えを胸にまたメキシコで頑張ります。ありがとうございました」
「おう、おまえさんが立派なプロレスラーになって日本に帰ってくるのを楽しみにしているよ。これで俺も、また闘龍門を観戦しにいく楽しみが増えたってもんだ、ハッハッハ」
飛行機の中で、ミラノは師匠に教わった物の見方や発想をすぐに試したいという気持ちでいっぱいだった。あれほど性に合わぬメキシコに、早く着かないかと思っている自分が笑えた。
「……ミラノさん、日本でなんかあったんですか?」
「えっ、何もないよ。なんで?」
「いや…なんとなく落ち着いたというか、自信みたいなものが感じられるんで」
「そう?」
道場に戻ると、同僚たちが口々にそう言ってきた。確かに、どうしても拭えずにいたおどおどする感覚は自分の中から消えていた。失恋、辛い練習、自分だけがやらされる特訓、ナウカルパンの街、思い通りにいかぬ入場シーンや試合…ネガティヴなことばかりを背負い、押し潰されそうになっていたのが、それこそ肩の荷を下ろしたかのごとく楽になったのだ。
楽太郎師匠のもとにいたことは、閉塞するミラノの精神をいい方向へと解放させた。しばらく練習を休んでいても、ヤングドラゴン杯に向けての不安はまったくなく、むしろイケるとの思いを確固たるものにできた
ミラノがメキシコを留守にしている間、自分たちで描いていく闘龍門のコンセプトがより具体的に定められていた。闘龍門2000プロジェクトは“T2P”の名称で呼ばれ、オリジナルのロゴマークもデザイン。基本スタイルは「ルチャリブレ・クラシカ」と名づけられた。
華やかな飛び技とは違ったルチャの魅力を体現するべく、ミラノらはホルヘ・リベラ先生にジャベを教わってきた。それをプロジェクト最大のカラーとして発揮するための舞台が、いよいよ訪れたのだ。
第4回ヤングドラゴン杯は12月8日にトラルネパントラ、翌9日にナウカルパンで2日間に分けて開催された。参加選手8名のトーナメント形式。ミラノと同期は軍人キャラの大柳二等兵のみ。1期下からは伊藤と辻本が入り、あとは斎藤了、森隆行、岩佐卓典、土井成樹改めセカンド土井と先輩陣がエントリーされた。
キャリア的には4期生の斎藤が一番上で、すでに本隊でも活躍しており当然優勝候補筆頭にあげられていた。前回、決勝戦まで進出したことから本人も心中に期すものがあった。
ミラノ1回戦の相手は伊藤。のちの大鷲透である。他の生徒たちがジャベを習わされる中、大相撲出身という個性を生かし校長から「おまえはとにかく食って太れ」と命じられた男だ。
つまり、パワーを武器としておりミラノとは対照的な持ち味となる。自分のカラーを発揮するには、どちらかというと同じスタイルの方がやりやすい。いきなりの難問だ。
初日の観衆は、わずか116人。エストレージャではなく、日本の若い無名選手が主役の興行となるとこれが現実だった。
しかしミラノは観客数などまったく気にすることなく、自分の中にあるプロレスを体現できる喜びで心を満たしながら、透明犬ミケーレとともにゲートを歩んでいった。過去3度の試合では感じられなかった、入場とともに場内の空気が変わる瞬間の快感が、肌を刺激した。