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Fight With Dreamアーカイヴ

このページは過去に連載していた事実に基づく小説のバックナンバーです

8月シリーズに開催が決定したシングル総当たりリーグ戦は「グランドスラム」と銘打たれた。それを前に、新生FMWならではの闘いを提示したいという思いがハヤブサにはあった。相手としては、フロリダで夢を語り合ったグラジエーターに勝る者などいるはずもない。

 

敵対関係にはあるが、目指す方向性が同じなのは日々の闘いの中で感じ取っていた。またリーグ戦へ臨む前に、シングルプレイヤーとして自分の実力がどれほどあるのかも確認しておきたかった。

 

新生となってから迎えた3つ目のシリーズ。最終戦は八王子にある野外会場だった。7月下旬ながら、梅雨のように蒸し暑い夜…口元も覆われたマスクのハヤブサは、呼吸がしづらく動いているだけでスタミナを消耗したメキシコ修行時代を思い起こした。

 

「ガス欠になったらグラジについていけない…いやな蒸し暑さだな」

 

目の下にペイントを施しながら、ハヤブサは一抹の不安を覚えた。そうでなくても、このシリーズ中にヒジを負傷しており、肉体はケガのデパートと化していた。

 

パープルのコスチュームに身を包んだハヤブサがリング内へ飛び込むと、目の前に立つグラジがとてつもなく巨大に見えた。これまでも毎日のように闘ってきたのに、1対1のシチュエーションとなるとまるで感覚が違った。

 

思えば、グラジとシングルマッチで対戦するのはこれが初めてだった。デビュー2戦目のハンディキャップマッチで半殺しにされたのは、昨日のことのように憶えている。

 

ハヤブサとして戻ってくる前は一介の若手だったから、グラジは雲の上のような存在でしかなかった。そんな男と、ついに一騎打ちで対戦するのだ。

 

いくらヘビー級に転向したといっても、対格差は歴然としている。パワーでかなわないのであれば、ハヤブサはスピードと飛び技で対抗するしかない。

 

さすがはグラジ、どの技も真っ向から受け止めた上でやり返してくる。その一発一発は、ケタ違いの重さだった。

 

「俺はグラジとFMWの理想ばかり語り合っていたけど、自分自身がそれを受け切らなければ、不可能だっていうことまで考えたことがなかった。呑気だなあ、俺って…」

 

薄れゆく意識の中で、自分に苦笑した。頭の中で空想するのと、じっさいに痛みがともなう試合が同じであるはずなどない。それでも、破壊力あふれる大技をことごとくカウント2で返していく。

 

終盤、勝機が訪れる。ハヤブサは意を決しコーナー最上段へと登った。ファイアーバード・スプラッシュ、フェニックス・スプラッシュと並び決め技として使っているシューティングスター・プレス…SUPER J-CUPで獣神サンダー・ライガーに出して以来、レパートリーに加えられたものだ。

 

この技は空中でバク宙し、正面から着地して仰向けの相手をプレスする。ところがスタミナの消耗により目測を誤ったか、ハヤブサの上半身が回り切っていない状態で胸から落ちてしまった。

 

つまり、胸を反らせたままプレスした形に。当然、自分の体重もかかり上半身が圧迫された状態となる。逆に“く”の字となったハヤブサに、客席からは「危ない!」と悲鳴があがった。

 

胸だけでなく、背骨にも衝撃が走った。ハヤブサは感覚を失った体に「事故ったか!?」と思いながら虚空に視線をやった。

 

自分からは動けない。不測の事態だったらレフェリーが止めるはずだが、どうやら試合は続いている。ハヤブサはグラジにされるがまま上半身を起こし、コーナー最上段へ乗せられた。

 

そこから雪崩式に落とされ、アッサムボムで叩きつけられた。返せる余力などなかった。

 

セコンド陣が駆け寄ると、紫のマスクの口元が赤く染まっていた。誰もが、先ほどのシューティングスター・プレスで胸を圧迫し、血を吐いたと思いすぐさま救急車が呼ばれた。

 

じっさいは最後の雪崩式アッサムボムのさい、受け身をとるべくアゴを引いたところその状態で衝撃を受けたためノドの中を切ったことによるものだった。試合後に立ってみたら歩けたので、ハヤブサは締めのマイクも務めてから自分の足でバックステージへ戻っていった。

 

「大丈夫だから。救急車呼ばなくてよかったのに」

「大丈夫なわけないじゃないですか! 血を吐いてるんですよ? いいから素直に救急車へ乗って病院で診てもらってください」

 

伊藤豪レフェリーと中川によって強引に乗せられ、近くの病院へ向かったところやはり背骨の一部が欠けていた。「入院の必要はありませんが、しばらくは安静にしてください」と言われ、その日は解放された。

 

「あーあ…またやっちゃった。でも、グラジと闘うってこういうことなんだよな。次のシリーズはほとんどがシングルマッチだしなあ…いつまで続けられることやら」

 

自分の体なのに、ハヤブサはあまりの状況に呆れるしかなかった。自宅へ着いた頃、伊藤から電話があった。

 

「グラジはなんて言ってた?」

「最後の技…雪崩式アッサムボムを“カミカゼ・アッサムボム”と名づけると言っていました。あの技は、不安定なコーナー上から出す技だから自分もケガをする恐れがある。俺は、それほどの覚悟を決めてあの技を出した。なぜなら、相手がハヤブサだからだ。エザキに対しては、たとえ対格差があっても俺は100%でいきたい、と」

「……そうか。わかっているよな、あいつは」

「それにしても江崎さん、背骨が欠けているって…次のシリーズ、出られるんですか?」

 

伊藤の口調からは「大変なのはわかっていますけど、重要なシングルリーグ戦にハヤブサが出ないとなったら、会社としてどうすればいいのか…」という不安が混在していた。それぐらい、言われなくともわかっている。

 

「豪ちゃん、休むわけないじゃん。今の俺が、休めるはずないだろ。這ってでも出るから、荒井社長にそう伝えておいてよ」

 

新生FMWが勝負を懸けるグランドスラムを前にして、すでにハヤブサは満身創痍だった。気がつけば、ポスターに入っていた“超新星”のフレーズは“不死鳥”へと変わっていた。

デスマッチのような派手さに頼らず、レスリングで観客を満足させることができるか――実力者・大矢との一騎打ちは、新生FMWとなってから掲げたテーマに対する答えを出すべき一戦だった。ハヤブサ自身、2シリーズ目にして初のシングルマッチでもある。

 

新日本プロレスの道場で鍛えられた大矢は大成しないまま一度は退団する。だが、メガネスーパーが起ち上げた団体・SWSでリングへ復帰し、その後はインディー団体を流浪しFMWへとたどりついた。なぜスターになれなかったかというと、キャラクター的にもスタイル的にも地味だったのに尽きる。

 

それは、裏を返せば派手さに頼らぬ堅実なレスリングができるということ。敵対するリーサルウェポンのメンバーながら、ハヤブサが目指す新生FMWを体現する上で誰よりも適切な対戦相手といえた。

 

前回に続き、この日の後楽園ホールも満員に。1回目はご祝儀的な意味で入ったのだからと受け取り、営業面でもスタッフが気を抜かず汗水垂らしてチケットを売ったのも大きかった。

 

レスラーだけではない。絶対的カリスマの大仁田に頼っていれば大丈夫だった頃とは状況が違う。「選手・スタッフが一丸となって…」という、オープニングで山田リングアナウンサーが必ず観客へ伝えている言葉にウソはなかった。

 

タッグマッチと違い、シングルはそれこそちょっとした動きさえも見逃さぬかのようにじっくりと凝視される。前半、ハヤブサは苦戦するのを承知で大矢の土俵へ飛び込み、グラウンドの攻防を展開した。

 

自分の地力がどの程度あるのかを確認する狙いもあったが、もっと現実的な問題としてこの時点でヒザと足首がガタガタになっていたため、負担が大きい飛び技を極力セーブするためだった。これは、ハヤブサの体がヤワだったからではない。

 

「ウチはテレビ放送がない団体だから、地方でも全力でやらなければならないんだ。俺自身、地元の熊本で味わった思いをFMWのファンに味わわせたくない。最低限、ケブラーダなどの飛び技は絶対に出すから」

 

この2シリーズ、ハヤブサは地方でも飛び技を出し続けた。それだけでも相当な負担となるのに加え、ヘビー級の体重だとより負荷が来る。

 

従来のヘビー級の選手たちが難易度の高い飛び技をやらないのは、結果的に選手としての寿命を縮めてしまうからだ。にもかかわらず、ハヤブサは地方のファンにも喜んでもらうために宙を舞った。

 

下半身はすべての動きの軸となる。ヒザと足首の具合を図りつつ、グラウンドを仕掛けていった。当然、そこで沸くことはない。それが見入っているのか、あるいは退屈しているのか。

 

正直、やっている最中はどちらなのかわからなかった。だからといって、ここで安易に派手な技へ頼ったら意味がない。ハヤブサは自分に言い聞かせながら、大矢に食らいついていった。

 

劣勢の展開が続いたが、中盤からは徐々に飛び技も出し挽回する。気がつけば20分が経過し、勝利へと直結する大技をお互いが狙い合っていた。

 

大矢の十八番はバックドロップ。独特の角度で落とされるため受け身がとりづらく、一発もらったら返せないことは覚悟していた。それでもダメージで体が動かなくなったところを狙われ、持っていかれた。

 

後方へ投げられると、その瞬間は何が起こったのかわからぬまま頭を打ちつけ「グワーン!」となる。状況を把握できぬうちに3カウントが入ってしまうのだ。

 

衝撃を感じた直後に無意識のまま体が反応するかどうかは、経験がモノ言う。耐久力とは、その能力を指す。ハヤブサは、2シリーズを通じまだ3度しか大矢のバックドロップを食らったことがなかった。

 

それを思うと、よく返せたとしか言いようがない。大矢の手が尽きたところで逆襲へ転じ、たたみかけたハヤブサはブレーンバスターの要領で抱え上げると開脚するように尻餅をついて、後方ではなく前方へと叩きつけた。

 

観客が「なんだ今の技は!?」とあっ気にとられる中、レフェリーが3カウントを叩く。飛び技以外のオリジナルホールドがほしいとフロリダで開発した「ファルコンアロー」だった。

 

ハヤブサは、なんとか大矢の壁をブチ破りベルトも手にした。前回と同じく、興奮したファンがリングサイドへ押し寄せキャンバスをバンバンと叩く。しかし、マイクを通じて放たれたヒーローの言葉は、意外なものだった。

 

「このベルトを…返上したいと思います」

 

大矢に勝てたのは嬉しかったが、自分にはまだシングルで未対戦の相手の方が多い。WING勢、グラジエーター、そしてポーゴらに勝たなければ、チャンピオンを名乗れない。そう思ったら、自然と返上という言葉になった。

 

大矢戦に関しては、タイトルを獲るよりもレスリングで勝負できることを証明する方がハヤブサにとっては重要だった。そして今後、さらにそれを前面へと押し出すにはこのベルトをみんなで争い、その闘いを見せていけばいい。

 

後日、返上したベルトはシングルの総当たりリーグ戦で争われることになった。そしてハヤブサには、その前にやっておきたいことがあった。グラジエーターとの一騎打ちである。

リングの上で相手と闘っているうちに、観客のノリに後押しされて全体に加速がついたような感覚へ見舞われることがある。音楽的な言い回しを用いると“グルーヴ感”とされるものに近い。

 

この日の6人タッグマッチが、まさにそうだった。リーサル軍のパワフルでダイナミックな攻撃に対しハヤブサは飛び技を中心に、新山と田中は対格差を補ってあまりある気迫と突貫精神で対抗。どの選手とどの選手がぶつかっても、場内はドッカンドッカンと来る。

 

見る側は闘いを目のあたりにして気持ちが高ぶり、やる側はそんなオーディエンスのリアクションによってノセられる。相乗効果がさらなる相乗効果を生み出す、ライヴにおける理想的な関係。

 

大仁田時代のFMWとは明らかに違った、新生独自の空間がそこには現出していた。その中でハヤブサは持ち得る空中技を次々と披露していく。

 

大技を乱発せずに観客を引っ張るのがレスリングの理想ではあるが、それは一撃必殺のフィニッシュホールドを体得してこそ可能なもの。現在の自分が、まだその域に達していないのはわかっていた。

 

だからこそ、この試合に関してはとにかく出し惜しみせずハヤブサというプロレスラーのすべてを見てもらった方がいいと思った。エプロンからトップロープ上に飛び乗って放つスワンダイブ式ニールキック、セカンドロープへ飛び乗り反動を利してバク宙するライオンサルト、ライガー戦でも見せた場外へのトペ・コンヒーロ。

 

華麗に舞うたび「おおっ!!」というどよめきが発生し、歓声へと変わっていった。ジュニアクラスならともかく、ヘビー級の肉体で飛ぶ姿は驚き以外の何ものでもなかった。

 

ただ、これらはすでに他の選手も使っている技。ハヤブサは、オリジナルムーブを披露するつもりでいた。メキシコ修行時代、ウルティモ・ドラゴンの龍の穴で開発した難易度Dの秘密兵器、フェニックス・スプラッシュである。

 

大仁田引退試合では、金網電流爆破デスマッチだったため出せるシチュエーションではなかった。本当はすぐにでも日本のファンに見せてド肝を抜きたかったが、最終戦で出した方がインパクトを得られると溜めていたのだ。

 

そのチャンスは終盤に訪れた。ボディースラムで相手をセットしたあと、キャンバスへ背を向ける形でコーナー最上段へ登る。そして自分の体を左方向へ180度ひねりながらジャンプし、そのあと空中でさらに450度前方回転させて胸から着地――決まった瞬間、客席が静まり返った。あまりに想像を絶する動きだったため、目の前で何が起こったのか理解できなかった。

 

だが、すぐに沈黙は大歓声へと変わった。カットに入られ3カウントは奪えなかったものの、この一発でハヤブサを見る周囲の目も変わった。プロレスラーを納得させるには、誰もできないことをやって見せるのが何よりも効果的なのだ。

 

ここまでは狙い通りだったのだが、その後の乱戦中にうまいタイミングで大矢のバックドロップに持っていかれ、自らピンフォールを喫してしまう。後楽園における新生FMW初試合で、エースと目される男が負けたとあればアンハッピーなエンディングとなるところだが、試合後には熱狂したファンがリングサイドへ押し寄せてキャンバスを叩き「ハヤブサ!ハヤブサ!!」と、その名を口々に叫んでいた。

 

みんな、敗戦の向こう側にある夢と可能性をその目で見たのだ。1カ月前までは、大仁田へ対し同じように熱狂していた多くのファンが、自分の名前を呼んでいる…ハヤブサの素顔とマスクのわずかな間を、また涙が伝った。

 

「おかしいッスよねえ…俺、それまでの人生の中で感激して泣いたことなんてほとんどなかったし、そんなに泣き上戸な人間じゃないのに。それでも涙が止まんなかった。今日味わえた思いは、自分がプロレスを続けていく限り一生忘れません。俺には、ファンの皆さんの声援に応える使命があります」

 

バックステージで報道陣に囲まれたハヤブサは、質問を待たずして自分から一方的にしゃべりまくった。いっぱいになった胸の中の思いを、吐き出さずにはいられなかった。

 

数日後、専門誌を見るとフェニックス・スプラッシュの連続写真が見開きで掲載されていた。これは効果的だとハヤブサは喜んだ。今までになかった技の動きがこうして写真で詳しく確認できれば、FMWを見たことがない人も興味を持ってくれるはず。

 

また、テレビ東京が放送していたプロレスの特集番組でも、フェニックス・スプラッシュを出すシーンが繰り返し流された。こうして「FMWにものすごい飛び技を使うプロレスラーがいる」という噂は、業界とファンの間であっという間に広がっていった。

 

期待や注目してもらうのはありがたいこと。それと同時に、プレッシャーにもつながってくる。新生となって2シリーズ目の最終戦、後楽園ホールでは大矢との一騎打ちが組まれた。しかもこの試合は大仁田が引退とともに返上し、FMWへ残した世界ブラスナックルタイトルの新王者決定戦となった。

 

団体の至宝というべきベルトを巻いてこそ、エースの名にふさわしい。ある意味、見る側はハヤブサが巻いて当然という目で見る。しかし、プロレスラーとしての実力では大矢の方が上であることぐらい、自分が誰よりもわかっていた。

 

新生FMWとして認めてもらうべくめいっぱいやった結果、自分でハードルを上げた。それを繰り返すことでプロレスラーはステータスを高めていき、できなければそこ止まり…喜びと厳しさは表裏一体なのだ。

 

6月中旬よりスタートした新シリーズは、5月の評判が伝わったか地方も3割ほど観客動員数がアップ。特に西の聖地と呼ばれる博多スターレーンでは、後楽園に劣らぬほどの熱狂的なムードで迎えられ、ハヤブサもそれに応えるべく2度目のフェニックス・スプラッシュを披露した。

 

こうして東京へ戻り迎えた最終戦。大仁田との引退試合でも大きなプレッシャーは感じなかったハヤブサが、後年「あの試合がレスラー人生で一番緊張した」と回顧した日を迎えた。

あっという間に感じた新生FMW初シリーズ。その最終戦の後楽園ホール、開場前のハヤブサは不安で押し潰されそうになっていた。

 

今も頭に焼きついて離れぬ開幕戦の目を覆うような閑散とした客席。その写真が専門誌に載ったことで「しょせん大仁田がいなければそんなもんか。だったらFMWはもういいや」とファンに思われ、1カ月前に足を運んだ人たちが離れていったとしても不思議ではない。

 

開場し、控室でオープニングを待つ間もソワソワして仕方がなかった。伊藤レフェリーや、大仁田引退後にFMWの代表取締役へ就任した荒井が戻ってくるたびに客足がどうか、何度も聞いてしまった。最初のうちは「まだわからないですよ」と言うばかりの2人だったが、スタート時間が近づくに連れて「けっこう埋まってきましたよ」「満員ですよ!」「人数だけでなく期待感も大きいみたいです。開始前のざわつきが違うんですよ」と、いい報告が聞かれるようになる。

 

新生となって以来、すべての会場で入場式をおこなってきた。FMW=大仁田厚のイメージを払しょくし、改めて残った者たちの顔を記憶に刻んでもらうためだ。シリーズ中は、ハヤブサが選手を代表し挨拶してきた。

 

この日も定刻と同時にオープニング曲が流れ、社長業に専念するべくリングアナウンサーの座を降りた荒井からバトンを受けた山田敏広が「本日はFMW最終戦後楽園ホール大会にご来場いただき、まことにありがとうございます。選手・スタッフ一丸となって頑張りますので、応援のほどよろしくよろしくお願い申し上げます」と頭を下げる。それだけで、待ってました!とばかりの大歓声が起こる。

 

「それでは新生FMW、選手入場式をおこないます!」

 

団体として生まれ変わったのを機に作られたテーマ『チームFMW』のゆっくりとした旋律によるイントロが転調するや、それに合わせて万雷の手拍子が鳴り響く。バックステージにて入場を待ち構える時点で、ハヤブサは目頭が熱くなり、胸がいっぱいになっていた。

 

地方でもみな温かったが、この後楽園はそれを超えて熱さが伝わってきた。ファンに待たれていることがこんなにも“来る”ものだとは…思えば自分は、プロレスによってそういう体験をまだしていなかった。

 

ハヤブサの信念は、この時に決まった。感動こそがプロレスなんだと――。

 

仲間たちとともにキャンバスへ立ったハヤブサはホールの最後列まで視線をやり、満足げに四方を見渡した。数え切れぬほどの「ハヤブサーッ!」という歓声がやがてリズムを自然発生させ、コールへと変わる。

 

その中で、ハヤブサはマイクを握ったままなかなか言葉を出せずにいた。「何やってんだ! ここで言葉に詰まってどうすんだよ? 俺たちがFMWをやっていくって、ファンに伝えなきゃ」と自分に言い聞かせると、よけいに心がブルブルと音を立てるかのように揺れて声が出ず、代わりに目から涙がにじんできた。

 

その様子に、万雷のコールが一瞬にして水を打ったような静けさへと変わる。みな、ハヤブサが声を振り絞るまで待っていた。

 

「……本日は…新生FMW旗揚げシリーズにご来場いただき、本当にありがとうございます。我々一同、一丸となってファンの皆様に胸いっぱいのプロレス…を、楽しんでいただきたいと…」

 

最後の「思います」がどうしても言えなかった。胸いっぱいのプロレスとは、その時の自分の状態を素で口にしたものだった。

 

以後、ハヤブサは新生FMWのカラーを聞かれたさいに「胸いっぱいのプロレス」と答えるようになった。この時、観客から感動を与えられなかったらそのフレーズは生まれなかったかもしれない。

 

嗚咽をあげるハヤブサを支えるかのように、再びその名を呼ぶコールが場内を包み込む。こんなにも期待されているとあれば、あとはやるしかない。

 

シリーズをまわる中で、FMWは興行におけるベーシックな形を作りあげていた。若手同士の試合から始まり、工藤めぐみらの女子プロレスがあり、WING同盟とリーサルウェポンによる凶器も乱舞するハードコアなスタイルがあり、そしてメインをハヤブサがレスリングで占めるというパッケージ。

 

ポーゴが鎖鎌などの凶器(本人は「凶器じゃねえ、武器と言え!」とこだわりを持っていた)を使い、金村は有刺鉄線バットを振り回す。そんなド派手な血みどろの試合に加え、女子もシャーク土屋が悪役として頭角を現し、工藤を脅かす存在となって過激さを増していった。それらのあとにメインを締めなければならないのだ。

 

果たして正統的なレスリング中心の内容に観客は満足してくれるのか。そうした自問自答を抱えながらのシリーズだった。そしてこの日も、初の後楽園ということで各選手気合が入り、WING勢も女子も大盛り上がりとなった。

 

プレッシャーは確かに感じたが、ハヤブサは腹をくくることができた。たとえメイン前の試合の方が面白かったと言われてもそれはそれでいいじゃないか。大事なのは、今の自分ができることをめいっぱいやる――それだけを考えよう。

 

セミの興奮が覚めやまぬ中、ザ・グラジエーター&大矢剛功&リッキー・フジのリーサル軍が先に入場。そして後楽園に、ハヤブサの哀と愁悲壮感漂うテーマが流れる。

 

鮮やかなパープルのコスチュームへ身を包み入場。花道にまで熱狂した観客が押しかけてきた。SUPER J-CUPや大阪でのサブゥー戦、そして川崎球場でも味わえなかった快感が背筋を走る。

 

まだまだこれから、ここがスタートなんだから…と言い聞かせつつ、ハヤブサは噛み締めずにはいられなかった。実家を飛び出し、FMWへ潜り込んで以来初めて抱いた思いだった。

 

「俺…プロレスラーになってよかった――」

プロレス団体は選手の入れ替わりが常。全員が新人時代からいる生え抜きではなく、他団体出身者やフリーとして参加する者もいる。ハヤブサが海外へ出ている間、FMWの陣容はかなり様変わりしていた。
 
自分が若手時代は対抗団体だったWINGの主力勢がごっそりと抜けてFMWへ参戦し、WING同盟を結成して抗争を繰り広げていた。業界では先輩となる大矢剛功(ひさかつ)もいたし、なんといっても大仁田のライバルだったミスター・ポーゴも残る。
 
田中正人や中川浩二のように若手時代から苦楽をともにしてきた人間は問題なかったが、それ以外の選手たちに自分をエースと認めさせなければならない。新シリーズが開幕する直前、リングアナウンサーから新たに社長へ就任した荒井昌一が、ユニットごとに今後の体制について説明する場を持ったが、どれもハヤブサに関しては言葉にはせずとも「どれだけできるのやら…」と、懐疑的な雰囲気になった。
 
中でもWINGの松永光弘と金村ゆきひろは、デスマッチファイターとして大仁田引退試合の相手を務めたかった。それをまったくそっち方面の実績も経験もない人間に横取りされたとあれば、プライドも許さない。
 
「エースとか持ち上げられているけど、それに見合うレスリングなりデスマッチができるんかい」
 
ハヤブサはまず、そんな視線を覆すファイトをしなければならなかった。無論それは、ファンの中にも存在する見方だった。
 
自分に対する認識を変えさせるには何をすべきか。それにはハヤブサらしさよりもまず、新生FMWらしさを確立させることだと思った。あまりに強大すぎる大仁田のイメージから脱却し、新しい団体として生まれ変わる。
 
それが、エースとしてのイメージとイコールで結ばれるはず…ハヤブサが考えた新生らしさとは大仁田と対極的なスタイル、つまりはデスマッチではなくフロリダでザ・グラジエーターと語り合ったスペクタクルなレスリングによる攻防だった。
 
その中で、デスマッチをやりたい人間はやればいい。ただ、はじめからそれを前面に押し出したら大仁田時代と印象が変わらなくなってしまう。
 
しばらくはレスリング主体のスタイルにしてイメージを変えよう。それによって自分がエースとして認めてもらえたら、デスマッチだってなんだってやる。ハヤブサはそういうつもりでいた。
 
こうして迎えた新生FMWとして初の大会。埼玉・深谷市民体育館の客席は――寂しかった。つい2週間前まで大仁田の引退フィーバーでどこへいっても超満員だったのがウソのように閑散としていた。
 
覚悟はあったものの、現実として見せつけられると声が出なかった。ここまで如実に現れるものなのか。
 
「でも、逆に考えたら何もない俺たちに期待してくれているファンの人たちがいるんだから、それに応えてひとりずつ増やしていこう」
 
ハヤブサは、後輩たちにそう言って気持ちを奮い立たせた。新生FMWは正規軍とWING同盟、そしてミスター・ポーゴ率いるリーサルウェポンによる三軍抗争がメインストーリーに据えられた。
 
とはいえ、マッチメイク的にはデスマッチではなく通常のプロレスルール。こうなると、どうしてもWING勢をアンダーカードに据えざるを得なくなってくる。それが「俺たちを排除するつもりか」と受け取られた。
 
シリーズが進むごとに観客動員における力不足を実感し、内部統制をとれるほどのものを見せられていない。「自分はエースになりたくてFMWへ戻ってきたわけではないのに、なぜ一プレイヤーとして以外の精神的負担を背負わなければならないんだ?」。ハヤブサがそう思っても不思議ではなかった。
 
もとはといえば、盟友である雁之助との二大エースとしてやっていくつもりで日本へ戻ってきた。何もかもをひとりで背負うというシチュエーションは想定外だったし、自分にそれをやれる自信もなかった。
 
シリーズ中、何度となく「雁之助がいてくれたら…」と言葉が出かかっては、グッと飲み込んだ。エースという立場を拒否すれば、自分がなりたいと思っている人間は何人もいるはず。
 
それでもハヤブサは、大仁田引退前に「江崎さん、俺たちどうなっちゃうんですか?」と伊藤豪レフェリーが泣きながら飛び込んできた時に、腹をくくっていた。グラジエーターと交わした「俺たちのFMWを作っていこう」という約束も忘れてはいなかった。
 
そのグラジエーターはリーサルウェポンへ加入した。言葉こそなかったが「俺はエザキと敵対することでニューFMWを作っていく」という意思によるものとハヤブサは受け取った。
 
シリーズ中はリーサルとの抗争が中心となり、ハヤブサとグラジエーターは飛び技を含めたダイナミックな闘いを見せていった。観客は少なかったが、その攻防には大きなどよめきと拍手が発生。少なくとも足を運んでくれたファンを満足させることはできたとの手応えは感じられた。
 
レスリングを中心にとはいっても、まだまだそれほどの実力がないのはハヤブサ自身が一番わかっていた。リーサルには、新日本プロレス出身で確かな技術を持つ大矢がいる。それと比べたらまだまだ未熟であることを、当たるたびに痛感させられた。
 
だから得意であり、見栄えがする飛び技を惜し気もなく出していくしかない。体のデカいグラエジエーターがそれを正面から受けきることでさらに栄える。
 
こうして地方巡業で試合を重ねるごとに新生FMWらしさを模索し、いよいよ最終戦の後楽園ホールへ。東京でもガラガラだったら…シリーズ中、ハヤブサは一度も熟睡できなかったが、前日の夜もやはり朝まで眠れなかった。

自分が今、どういう状況にいるのか。意外に思えるほどハヤブサは落ち着いてそれを把握できた。爆破のダメージよりも、息をするごとに灰を吸い込むのが辛かった。どう考えても、ここから長くはできない。

 

そう思った時、ハヤブサの覚悟は決まった。金網に囲まれ翼を広げることができぬ中で、1個所だけ跳べるところがあった。

 

「大仁田さんの存在感を超えるには、大仁田さんには不可能なことをやってみせるしかない」

 

大仁田の十八番であるサンダーファイアー・パワーボムをハヤブサが使うと、キャンバスにはもくもくと白煙が立ちこめた。プロレス界では、相手の得意技を出すと「掟破り」と言われる。

 

これは藤波辰爾が長州力との抗争の中でサソリ固めを出したさいに、新日本プロレス『ワールドプロレスリング』実況アナウンサー・古舘伊知郎が「掟破りの逆サソリ!」と叫んだことから定着したものだった。だが、ハヤブサの目的はそれではなかった。

 

大仁田をダウンさせるやコーナーへ登り、さらに金網へ足をかけてそのてっぺんまで到達。リングに背を向けながら、鉄でできた骨組の上へと立った。

 

通常のコーナー最上段の2倍はある高さから、不死鳥はムーンサルト・プレスで舞った。空中殺法を得意とするプロレスラーは数あれど、間違いなくもっとも高い位置から落下したことになる。

 

これで勝負が決まっていれば、ハヤブサは大仁田の存在をある部分は凌駕できただろう。引退試合ゆえに100は無理だとしても、限りなくフィフティ・フィフティに近づけたはずだった。

 

ところが、大仁田はこれをかわした。通常のムーンサルトと比べると滞空時間が長く感じ、次の瞬間にはかつて味わったことのない衝撃が全身を包んだ

 

顔面から灰だらけのキャンバスへ突っ込んだ時、ハヤブサの心は折れた。ダメージによるものではなく、引退試合の意味を噛み締めた上でその答えを体現するために出した技を大仁田が受けなかった現実が、余力を根こそぎ奪っていったのだ。

 

「ああ…ここで、この技を受けないのか。さすがは大仁田厚だ…復帰するつもりなんだな」

 

翌年の12月、その予感通りに大仁田はリングへ復帰する。「俺のカムバックはあり得ん!」と言い続けてきただけに「ウソツキ!」と非難のマトとなり、そうした声に対し「おまえらは一度でもウソをついたことがないのか!」と開き直っていたが、ハヤブサに言わせれば「何を今さら…」という気にしかなれなかった。

 

本気で引退するならば、受け継ぐものが覚悟を決めて放った技を受け止め、負けることによってバトンを手渡すという物語を描くのがプロレスラーらしい去りぎわだとハヤブサは思ったが、大仁田は違った。もう、何発食らったかわからないサンダーファイアー・パワーボムの3連発によって、勝負は決した。

 

ハートで負けるつもりはなかったのが、もうどうでもよくなっていた。ここで自分が頑張ってこれからのFMWを背負っていくつもりになっても、いつかはまた戻ってくるのだろう。そう思うと体に力は入らなかった。

 

試合が終わり、リング上で大仁田が何度もファイアーポーズを繰り広げる間、先に控室へ戻ったハヤブサはぶっ倒れていた。救急車が到着するまでこのままいたいと思ったが、しばらくするとマスコミの山がドーッとなだれこんできた。

 

それをかき分け、這うように大仁田が近づいてくる。ハヤブサは大の字になったままだ。

 

「ハヤブサ…俺を二度とリングに上げるなよ!」

 

「はい」と返事をしつつも、頭の中では「わざわざそんなことを言うってことは、上がるってことだよな」と自分で自分に振っていた。誰にも気づかれず、引退試合のその日からハヤブサの中では、大仁田復帰との内なる闘いが始まったのだった。

 

病院へ運ばれたハヤブサは、67針を縫った。背中と胸、そして腕にパックリと口を開けたかのような傷が走っていた。

 

それに対してのショックはなかった。望んでデスマッチをやったわけではなかったが、新弟子の頃から見慣れた風景だったので傷が刻まれても「こういうものなんだ」程度の思いだった。

 

川崎球場から3日後には、すでに大仁田のいないFMWは動き始めていた。まずは専門誌が、邪道の証が刻み込まれた肉体を撮影したいと取材を申し込んできた。

 

マスコミも、新生FMWのエースとしてハヤブサを全面的にフィーチャリングしていく方向だった。それまでの大仁田=デスマッチという団体のイメージとは違った可能性を見いだしたのだ。

 

撮影から2日経ち、抜糸するとやはり傷跡としてクッキリ残ったが、そんなことは気にしていられなかった。次期シリーズは、2週間後に開幕する。

 

それまでにハヤブサは、これからいっしょにやっていく選手たちから認めてもらわなければならなかった。逆の立場で考えたら、海のものとも山のものともわからぬ男が海外からひょっこりと帰ってきて大仁田と闘ったばかりか、エース面などされたらいい気がしなくて当然。その時点で、自分がリーダーとしてやっていくという話も内部ではされていなかったのである。

5万8250人の人間が、いっせいに声をあげる瞬間がこんなにもゾクゾクとすることを、ハヤブサは初めて知った。その歓声が鳴りやまぬうちに「青コーナーより、挑戦者…ハヤブサ選手の入場です!」という荒井リングアナのコールが聞こえてくる。

 

ダグアウトから踏み出した足元に、どこか哀愁を漂わせる旋律のリフレインが絡みつく。ハヤブサのオリジナルテーマ曲を作るという話を会社から聞いたのは、川崎球場での凱旋が決まり肉体改造のためにフロリダへ渡った頃だった。

 

あとで知ったのだが、SUPER J-CUPと大阪のサブゥー戦の映像を見てイメージを膨らませ、製作されたのだという。クレジットは「ハヤブサプロジェクト」となっており、誰が作曲したものなのか、今もってわかっていない。

 

「最初に聴いた時は、地味だなーと思いましたよね。その頃のプロレステーマ曲って、ロック調でノリがいいっていうのが相場でしたから。でも、ファンに聞いたら初めて耳にしたのにハヤブサのイメージにピッタリだったって言われたんです」

 

同じフレーズが繰り返される構成だから、初公開の時点で耳に残ったのだろうとハヤブサは受け取った。このテーマ曲によって、ハヤブサは悲壮感を背負いながら闘うことを宿命づけられたのかもしれない。

 

リングへ向かい一直線に歩を進めたハヤブサだったが、金網の近くへ来たところで両腕を大きく広げながらきびすを返し、360度スタンド席へ己の姿を見せつけた。メキシコで修行していた頃からのポーズだ。

 

同じ感覚でやったつもりが、あとで映像を見返すとどこかバタバタしていて余裕がなかった。青さ丸出しというか、ポーズは落ち着いて決めてこそナンボなのに…バックステージでは緊張していなかったが、さすがに金網の前までくるとあがっていたのだろう。

 

そして、その緊張が自覚できたのは金網の中へ入った瞬間。リングの大きさはもちろんいつもと変わらないのに、冷たい鉄製のもので四方を囲まれているだけでとてつもなく狭く感じたのだ。

 

「逃げ場がないな――」

 

外から見た限りではなんの変哲もないのに、内側へ身を投じると独特の圧迫感があり息苦しさを覚える。マスクを被っているから顔は見られていないにもかかわらず、ハヤブサはあせりが観客まで伝わってしまうのはまずいと思い、努めて表情を引き締めんとした。

 

大仁田が入場し、反対コーナーへ立って自分と向かい合った瞬間、その息苦しさがスーッと消え失せた。たとえ対戦相手であろうと、金網の中へ1人でいるよりは2人でいた方が気はラクになる…そんなシンプルな感覚によるものだったのかもしれない。

 

金網の扉が閉じられた瞬間は恐怖を感じたが、大仁田の存在を確認するや意識がそちらへ向かったため、これも消えていた。初めて1対1で対峙してみたら…思ったよりも小さく感じた。

 

若手時代は雲の上の存在であるところを嫌というほど見てきた。自信によるものなのかどうかは自分でもわからなかったが、大仁田を前にしてハヤブサは「登れない木ではないな」と思った。

 

子供の頃、家の近くに生えていた木によく登った。でも、あまりに高々と伸びているとやり方は同じはずなのに「こんなデカいのは無理だ」と思ってしまった。付け人時代の大仁田が、まさにそういう存在だった。

 

これが大仁田と肌を合わせられる最後の機会という意識はそれほど強くなく「俺はこの人を踏み台にしないといけないんだ。この試合でこの人に対し何も残せなかったら、俺は終わりだ」と、もっと現実的な見方で自分に言い聞かせた。たとえ引退したあとも比較される宿命にあるのは明らかであり、その存在との闘いは続いていく。

 

やるべきことは定まっていたから、よけいな迷いもなく試合へ集中できた。開始のゴングが鳴ると、自分でも意外なほどに冷静だった。

 

不思議なもので、生まれて初めて爆破を浴びてからの方がより冷静になれた。ただしダメージは覚悟していた以上に大きく、有刺鉄線に触れた瞬間、体の中心をつんざくかのよううに頭のてっぺんまでシビレが駆け抜けた。

 

爆破の熱さよりもシビレ。切り傷や火傷の痛みは、試合が終わってから感じたものだった。

 

ヘタに動くと金網に突っ込み爆破するため、慎重なグラウンドの攻防が繰り広げられた。そうした展開の中で、最大の試練が刻々と近づいてくる。

 

開始から15分後に、リングを囲んだ大型時限爆弾が爆発する。もちろん、試合はその後も続く。通常は衝撃とダメージを最小限にとどめるため、その瞬間はリング中央で伏せる。

 

ところが、爆破まで10秒を切ったところで棒立ちの大仁田へ突っ込んだところかわされ、ハヤブサは金網に激突。つまり、より時限爆弾付近でカウントダウンがゼロとなった。

 

「ドン!ドン!ドン!ドン!!

 

電流爆破の「パンパン!」という乾いた音とは明らかに違う、腹に響くような重々しい爆音が鳴り響いた。あっという間にハヤブサの体は閃光と煙に飲み込まれた。こんな事態は、時限爆弾マッチ史上、かつてなかった。

 

爆破の衝撃で、ハヤブサは体ごと吹っ飛ばされていた。立ちこめた煙が夜空に吸い込まれると、キャンバス中央でレフェリーの伊藤豪へ覆い被さるように大仁田が倒れており、そこから少し離れたところへ、屍が横たわっているかのようだった。

 

時限爆弾が爆発する直前にハヤブサが接触した金網とは逆側。いかに爆破の衝撃が凄まじかったかを、如実に物語っていた。

 

それまでは大仁田の名を呼ぶ声の方が大きかったのが、この場面では誰もが口々に「ハヤブサーッ!」と叫んでいた。本当に、最悪の事態が頭をよぎったのだ。

 

しかし…灰まみれとなったその肉体は少しずつ動き出した。うつ伏せの状態から顔をあげると衝撃でマスクが裂けるように破れていたが――ハヤブサは、生きていた。

気がつけば、安藤が誌面でハヤブサとミラノの関係を綴り始めて2年半が経過していた。今や読者の間にもすっかり定着し、欠かせぬ連載として好評を博している。

 

「ずっとファンでしたけど、知らない話がまだまだあるのが新鮮です。これからも楽しみにしています」

 

ひとりの…いや、この場合は2人のプロレスラーについてここまで長期的にその半生を追った連載は専門誌でも例がなく、双方のファンからそんな声が届く。一時期、なかなか時間がとれずハヤブサが施術を受けるのは途絶えていたが、最近になってミラノが自宅を訪問する形で再開。

 

顔を合わせると、お互いが相手の章を読んで「あんなことがあったのか。知らなかった」と言って笑う。2人のコミュニケーションツールの役割を果たしていると思うと、安藤も嬉しくなった。

 

「そうだ、FMW時代の同僚の田中将斗選手から僕のところに連絡がありまして、この連載をずっと読んでいるっていうんです。昔のFMWの話が出てきて面白いって言ってくださって…当事者の方々にも懐かしんでいただけたらいいですよね」

「いやー、けっこういると思いますよ。特にここからは新生FMWの話になるんで、当時の仲間たちはやっぱり読みたいと思うんじゃないんですか。かかわった人間にとっては、本当にかけがえのないものでしたからねえ、FMWって」

 

2月にしては暖かい日射しが差し込むとあるファストフード店。花粉症に悩まされていると苦笑しつつ、ハヤブサは記憶の反すうを始める。

 

「僕も安藤さんに触発されて、自分のブログであの頃のことを少しずつ書き留めているんですよ。両方読んでもらえば、ひとつの物事を別の角度から見ることができていいですよね。それに、そうやって書いておけばこうして取材していただく前に思い出せるし」

 

連載を始めた頃よりも、ハヤブサはより積極的に活動をしている印象を安藤は受けた。やれることで自己表現を続けている。その意味では、たとえコスチューム姿でリングに上がるにはまだ時間を要すとしても、彼はプロレスラーなのだ。

 

「それにしても…よく自分から名乗りをあげられたなと話を聞いていて思います。その時点で江崎さんは海外へいっていたから日本での実績らしい実績はなかったわけじゃないですか」

「そうなんですよ。J-CUPで活躍したといっても戦績としては1回戦敗退だったし、一度戻ってきてサブゥーに勝ったのも内容的にはまるで納得できなかった。その2試合しかやっていない男が、あの大仁田厚引退試合の相手に名乗りをあげてしまうって、よくよく考えたら恐れ知らずもいいところだなと、自分でも思います」

「川崎球場のようなスタジアムクラスの会場が札止めになった中でメインに立つ。しかも初体験の電流爆破デスマッチで金網の中…何もかもが未体験で、僕だったら絶対に手をあげられません」

「うーん…でも、あの時はやれるやれないでは考えていなかったですね。とにかくFMWのためにやらなきゃいけないんだ!っていう思いしかなくて。カード変更が決まった時点で、すっかりやる気になっていたからプレッシャーもなかったし。いい意味で開き直れたんだと思います。自分がしっかりしなきゃいけないんだって――」

 

        ☆     ☆

 

J-CUPに出る時の緊張と比べたら大丈夫だな。あの時、荒井さんに言われた時は本気で嫌だったけど、こういう状況になると経験しておいてよかったなって思うよ」

 

気を使って、顔を合わせるたびに「江崎さん、リラックスしてください。僕らもできるかぎりのことはやりますから」と言ってくれる伊藤豪に対し、ハヤブサは笑いながらそう返した。あの時、メキシコの電話口で「新日本プロレスがやるジュニアヘビー級のオールスター戦に出てください」と言われた時の動揺と比べたら、自分でも感心するほどに落ち着いていた。

 

あとはどんな試合を見せるかを考えるのみ。大仁田引退試合は「世界ブラスナックル選手権試合~ノーロープ有刺鉄線金網電流爆破時限爆弾デスマッチ」と発表されていた。FMWの看板タイトルにハヤブサが挑戦する形だが、そこはあまり意識しなかった。

 

大仁田の引退試合であり、電流爆破マッチとしておこなわれることの方が遥かに大きな意味があった。ロープの代わりに有刺鉄線が張られ、そこに電流が流されているとあればロープワークができず、空中殺法を得意とするハヤブサは大幅に出せる技が制限される。

 

なおかつ15分が経過すると時限爆弾が爆発し、その後も闘い続けなければならなかった。一度もそんな経験をしていない者が、その道のスペシャリストである大仁田相手にどう太刀打ちすればいいのか。

 

「技はほとんど出せないだろうから、あの空間でいかにハヤブサらしさを出すかだよなあ…うーん……」

 

プロレスラーは、技だけで自身を表現するのではない。マスクやコスチュームもその方法のひとつであり、たたずまいやかもし出す雰囲気でも観客を惹きつけられる。

 

金網と電流が走った有刺鉄線、小型爆弾と時限爆弾に囲まれた特殊な空間の中で、ハヤブサはまだ日本では浸透していない自分のイメージを現出させる必要があった。それをあれこれと考えていたら、爆破への恐怖心が湧いてくるシマもなかった。

 

1994年5月5日。その日もハヤブサは自分でビックリするほどにリラックスしていた。控室でも普段以上にジョークを飛ばすため、後輩ながらみんなのまとめ役である中川に「江崎さん、もうちょっと緊張してくださいよ」とたしなめられたほどだった。

 

メインまでの待っている時間も、長くもなく短くもなく。休憩時間明けあたりに鏡へ向かい始め、ハヤブサへ変身するには欠かせぬ目元のペイントを施し始める。このあたりから無口になり、だんだん気持ちが入れ替わっていく。

 

ペイントを終えると、スーツケースを開けた。そこには茶色のマスクとコスチュームが納められていた。凱旋マッチ用に新調したものだった。メキシコでは赤、黒、白の3つを使っていたため、ブラウンが新鮮に映ると同時に日本での試合であることが実感となって自分の体に染み込んでいく感覚が包んだ。

 

アメリカでピンクや水色もいっしょに作ってはいたが「地味な色をカッコよく見せてみよう」と、凱旋第1戦はブラウンでいこうと決めた。以後、このコスチュームはハヤブサの“勝負色”となる。

 

ダグアウトの裏で出番を待つ時点で、場内の異常な興奮が伝わってくる。普通ならそれに委縮してしまうところだが、ハヤブサは「ここまでデキあがっていたら何をやっても反応はいいはず」と受け取り、やりやすくなった。大仁田、引退試合、電流爆破…鉄板の要素はいくつもあった。

 

あとは自分自身がそれに劣らぬほどの存在感を示すことができるか――荒井リングアナウンサーの「ただいまより、本日のメインイベント、大仁田厚引退試合、世界ブラスナックル選手権試合、ノーロープ有刺鉄線金網電流爆破時限爆弾デスマッチ、時間無制限1本勝負をおこないます!」のコールが耳をつんざくように飛び込んできた。

「話を聞いていると、闘龍門JAPAN本隊とは別のプロジェクトとして独自路線でやっていくことによって、ハードルが上がってしまいそれで苦悩したように思います」

「おっしゃる通りです。自分らの実力に見合わないぐらいに期待と幻想が膨らんじゃって、そのプレッシャーは相当なものでした」

「いっそ、それまでのジム生のように本隊で新人としてやれたらどんなにいいかと思いませんでした?」

「あー、今思うとそうですよねえ。でもあの頃は余裕がなかったから、本隊の方でやりたいなんていう考えは浮かばなかったです。もうT2Pとして動き出しているわけだし…」

 

安藤は、当時取材していた先輩の記者から「ミラノたちは最初からスターで人気があって、存在感も本隊の選手たちと遜色がなかった」と聞いていた。それだけに、じっさいのところはかなり精神的にシンドかった事実を知り、意外に思った。

 

「まあ、今となってはあの戦略で正しかったんだと思います。同じことをやっても勝てないのはわかっていたし、すでに選手の数的にも僕らが入り込める余地はなかったですから…それにストレスは溜まりまくりでしたけど、なんだかんだで解消はしていたんで。僕、その頃には“下半身パラダイス”って呼ばれていたんです」

 

そう言うと、ミラノはいたずらっ子のようにニヤリと笑った。当時、日本企業のお偉いさんの娘でインターナショナルスクールに通うグループがいた。彼女たちは親が買ったチケットをもらって見に来ており、大会が終わったあとにジムへ招いて屋上でちゃんこパーティーを催すうちにいい仲へとなっていった。

 

携帯電話もなかったので、連絡手段はジムへの直接電話。「ミラノさん、○○ちゃんからお電話です!」と呼ばれると、吹き抜けの道場内にその声が響き渡り、筒抜けとなる。

 

道場では年長者になったため、夜も出歩きまくったミラノ。夜間の一人歩きは禁じられていたため、必ず誰か仲間を誘い遊びにいった。こうしたやりたい放題の行動が日本企業の間で噂となるまで、そう時間はかからなかった。

 

「闘龍門にいるイタリア人キャラの男がウチの娘に手を出したらしい」

 

そんな評判が、ドラゴンの耳に入らぬはずなどない。ある日、校長室へ呼び出されたミラノは「おまえなあ、女遊びもほどほどにしろよ。チケット買ってもらえなくなったらどうするつもりだ? おまえ、社長さんたちになんて言われているか知ってるか? 下半身パラダイスだぞ!?」と、こっぴどく叱られた。

 

のちにT2Pとして本隊と絡むようになった時、CIMAらクレイジーMAX勢がミラノ率いるイタリアンコネクションに対しケンカ腰で向かってきたのは、その時点でジム内の素行について聞いていたからだとミラノは言う。「あいつら、メキシコへ何しにいったんや? 俺らの時なんて、それどころじゃなかったのに…」との思いが、制裁的行為へとつながったのだ。

 

ヤングドラゴン杯優勝から8カ月ほどが過ぎた2001年の夏。T2P勢がリビングへ集合する中、いよいよ11月に日本へ逆上陸することが校長より告げられた。実質3カ月もない。

 

そんな中、ミラノだけはドラゴンに連れられ9月にいったん帰国。闘龍門JAPANのビッグマッチ、大田区体育館大会のリング上からファンに向かい1113日に後楽園ホールでおこなわれるT2P日本第1戦の挨拶をするためだった。

 

久々に体感した闘龍門の会場は、独特の熱気が充満していた。駆け出しの頃、神戸チキンジョージや地方巡業で見た風景とはまるで違うもの。簡単に言うと“デキあがって”いるのだ。

 

どの選手が入場してきても大歓声。ファン時代に経験したプロレス会場と明らかに別なのは、客席のほとんどを女性ファンが埋め尽くしていたからだった。

 

自分がリングへ上がった時、彼女たちがどんなリアクションをするのかがまるでわからなかった。本隊の人間ではないのだから、思いっきり拒絶される可能性もある。

 

ましてやこの日はメインで、軍団抗争の決着戦としてマグナムTOKYOvsドラゴン・キッドvsCIMAvs望月成晃vsダークネス・ドラゴンの金網5WAYエスケープマッチが組まれていた。華やかな中にも、どこか殺伐とした空気をミラノは感じた。

 

周りはほとんど全員が先輩。神戸道場で世話になった相手には「○○さん、ご無沙汰しております」と、初めて顔を合わせる場合は「お疲れ様です。闘龍門6期生のミラノコレクションA.T.と申します。よろしくお願いします」と挨拶して回った。

 

それだけでも精神的にかなり疲れるのに、ビッグマッチでピリピリしているため誰もがノーリアクションか「ああ」としか答えてくれない。出番が近づくに連れてミラノは息ができぬほどの不安に包まれた。

 

第3試合終了後、イタリアンファッションに身を包み、メキシコと同じテーマ曲に乗りキャットウォークを披露しつつリングへ上がった。第一声の「ボンジョルノ!」には、好意的な拍手が返ってきた。

 

一通り大会のインフォメーションをすると、ヤングドラゴン杯の決勝戦で敗れた斎藤がリング内へ入ってきた。じつはその後にメキシコで組まれた再戦でもミラノに返り討ちされており、何を言いたいのかは言葉として出る前から明らかだった。

 

「メキシコでA.T.には2敗しているのを忘れていません。校長、後楽園でやらせてください!」

 

この斎藤のアピールにより、ミラノの日本第1戦の相手は決定。因縁のカードが実現することで観客は喜んだ。

 

結局、ミラノは拒絶されることもなく挨拶を終えた。そこでホッとしたのも束の間、メインの金網戦では本隊のレベルの高さをまざまざと見せつけられた。

 

自分のような日本で実績のない新人のことなど、先輩たちが意識するはずはないと思いながら、一方では金網の中にいる5人から突き刺さるような視線を向けられている気がしてならなかった。「おまえみたいなやつがここに入って来られるか?」と言わんばかりの、パーフェクトな内容だった。

 

「こんなにすごいものを見せられたら、やっぱり俺たちは別のことをやるしかない。問題は、それを日本のファンが受け入れられてくれるかだけど…」

 

日本逆上陸第1戦までの1カ月半は、そんな思いを反すうする日々だった。結論など、やってみなければ出るはずもない。ミラノの鼓動は、1113日へ向けて日増しに高まっていった。

ミラノは、後輩の伊藤が自分と同じように体操の教室へ通わされたことを聞いていた。力士出身でありながら飛べたら面白いという校長の魂胆だったが、結局は「飛んだらみんなと変わらない。おまえは食って食って体重を増やしてパワーファイターになれ」と路線を変更された。

 

相撲経験者としては、まだそれほど太っていなかった伊藤だが、さすがにパワーはある。中盤まで圧倒し、ジャベを力ずくで返す。ミラノは苦戦を強いられた。

 

カナディアン・バックブリーカーが決まった時は逃れようと必死になったが、最後はグラウンドに持ち込みSTFで逆転勝利。デビュー戦ではステップオーバー・トーホールド・ウィズ・フェラガモの略として使ったが、この頃にはウィズ・フェロモンに名称を変え、技の形もアレンジした。

 

翌日の準決勝&決勝はホームリングともいうべきアレナ・ナウカルパンで開催。メキシカンのスペルエストレージャやドラゴン・キッドなどの先輩も何名か出場するとあって、前夜とは打って変わり1195人もの観衆が集まったが、それが自分たちの力ではないことぐらいミラノも自覚していた。

 

「今は自分たちが主役じゃないけど、このトーナメントをきっかけに俺たちに対する見方を変えてやる!」

 

確かにジャベを主体とするスタイルは空中戦と比べて沸かない。それは本場であるメキシコでも同じだった。だからこそ、ひとつの関節技でどよめきを起こせるようになった時の意義は大きい。

 

地味というジャベのイメージさえも覆してやる――ミラノには、それぐらいの意気込みがあった。準決勝は5期生の土井成樹改めセカンド土井。V9時代の巨人軍の名二塁手・土井正三からとったのは言うまでもない。

 

野球のユニフォームのズボンを履いた土井は、基本的なジャベであるカンパーナ(相手の両手両足を固定した上でキャンバスから浮かし、釣鐘のように揺らしていたぶる)で追い込んでいく。この試合でもミラノは苦戦したが、伊藤戦同様にSTFでギブアップ勝ち。決勝の相手は、やはりというべきか4期生の先輩・斎藤だった。

 

日本から取材にきたマスコミも、斎藤の優勝で予想は一致していた。デビュー数戦のミラノがまだ知られていなかっただけに、そう見られても致し方ないところだった。

 

だがミラノは、1回戦&準決勝では温存していた何種類ものジャベを繰り出し、優位に進めていく。見たこともない攻めによって明らかに斎藤が戸惑い、そして徐々に追い込まれていくのがわかった。

 

最後はアームロックとヘッドシザースの複合技でミラノが勝利。ホルヘ・リベラ先生に伝授され、ウルティモ・ドラゴンの指導を受けて磨いたその技…ATロックを、試合で初めて使ってみた。

 

プロレスラーになって、初めて勝ち獲った勲章である。本当ならば大っぴらに喜びたかったが「自分はイタリアの伊達男だから、どんな時でもスカして、キザに振る舞わなければならない」と言い聞かせた。

 

「見たことがない技がたくさん出てきましたけど、まだほんの10%ですよ。完成はしていないけれど、僕なりの形は見えてきました。日本のファンには、大技連発のプロレスをもう一回見つめ直しませんか?と言いたいですね」

 

とてもデビューして7カ月の新人とは思えぬような大口をミラノは叩いた。半分はキャラクターを意識したものであり、もう半分は本音でもあった。

 

闘龍門の先輩たちは「ジェットコースターのようなプロレス」と評価されていた。間合いをとった上で試合を構築していくのが常識とされる中、とにかくノンストップで技を出し続けるスタイルは斬新であり、だからこそ短期間で日本のプロレスシーンに食い込めた。

 

それと同じことをやったら先輩たちには追いつけない。だから「おまえたちは独自のコンセプトで勝負する」という校長の考えは正しいと思えた。たとえ「ド新人が何を言っているんだ?」と笑われようとも、ジャベを強調する必要があったのだ。

 

あとで知ったことだが、日本では主力のひとりとなる斎藤が敗れたことで、闘龍門ジャパン勢はミラノに対し警戒心を強めたという。特別扱いを受ける男に自分たちが食われたら…と受け取るのも当然だった。

 

とはいえ、ミラノ自身は斎藤に一度勝ったぐらいで今の自分がジャパン勢に太刀打ちできるなどとは微塵も思っていなかった。だから、そう受け取られるのがプレッシャーとなった。それを払拭するために大風呂敷を広げていたようなものだ。

 

ヤングドラゴン杯が終わると、ドラゴンはT2Pとしての日本上陸を視野に入れた上で5期生以下の指導に当たった。中でも誰もが驚いたのは、通常は四角いリングを六角形にすると聞かされた時だった。

 

「リングの形を変えることによって、ジャパンとの差別化を図るんだ」

「でも校長、なんで六角形なんですか?」

「ん? UFCもそうだろうが。それに昔からメキシコにはあったんだよ」

 

アメリカで生まれた“なんでもあり”の総合格闘技イベント・UFC(アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ)はオクタゴンと呼ばれる六角形のリングが、金網で囲まれている。日本のプロレスに関しては、まだ前例がなかった。

 

日本におけるT2P幻想が高まる中、地球の裏側でミラノたちはきたるべき日に向けて腕を磨き続けた。それでも不安は消えない。その頃、ジャパンのリングはCIMAらクレイジーMAXとマグナム率いる正規軍に加え、空手・武輝道場からプロレスラーになった望月成晃(まさあき)率いるM2Kなるユニットが台頭し、3軍による抗争劇が絶頂を迎えていた。

 

試合映像がメキシコのジムへ届くたびに、ミラノは「こんなにも盛り上がっている中に入っていって自分らのように地味なスタイルが受け入れられるはずがない」と、ますます不安になった。それを何度かドラゴンにぶつけてはみたが、答えは決まって「そんなことは気にしないでジャベだけやっていろ、バカ」だった。