Fight With Dreamアーカイヴ

Fight With Dreamアーカイヴ

このページは過去に連載していた事実に基づく小説のバックナンバーです

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大阪府立体育会館のメインアリーナに立ったのは若手時代に1回のみ。あとはその地下にある第2競技場ばかりだった。全日本の関西におけるビッグマッチの会場として定着しており、場内の雰囲気もメジャー感が違う。

何よりも、観客がどのように受け入れてくれるか。こればかりはリングに上がるまでわからなかった。基本、他団体のプロレスラーは外敵とみなされる。ただし、ハヤブサは誰が見てもヒーローキャラクターであり、そのへんがどのようなリアクションとなるのか読めない。

「たとえブーイングを浴びせられようと、いつも通りにやるしかないよな。三沢さんもそう言っていたじゃないか」

迷いを吹っ切るべくハヤブサは何度となく自分に言い聞かせ、この日は純白のマスクを被った。全日本における初のカードは、ザ・トルネードというマスクマンと組み、マウナケア・モスマン(現・太陽ケア)&志賀賢太郎とのタッグマッチ。

いずれも生え抜きの選手であり、層の厚い全日本で中堅クラスを務めている。ハヤブサを“査定”するには申し分のない相手だった。パートナーのトルネードはアメリカ人だったため、それほどコミュニケーションをとらぬまま出番を迎える。

FMWから持ってきたテーマ曲がかかり、ハヤブサは花道への扉をくぐった。その瞬間「ぶわっ!」と表現したくなるような圧力を感じた。歓声だった。

ブーイングがないどころか、まるでホームリングのように歓迎された。ハヤブサはいったん立ち止まり、360度見渡した。すると背後の2階スタンド席からひとりのファンが“FMW”の3文字が入ったタオルを掲げているではないか。

これには本当に勇気づけられた。FMWのファンも、自分のために全日本の会場へ来てくれている――いつもはそこで翼を伸ばすように両手を広げるポーズをとるのだが、その時ばかりは嬉しさのあまり思わずタオルを指差してしまった。

いい雰囲気でリングインしたハヤブサだったが、目の前に立つモスマンと志賀の顔には露骨なまでの敵がい心が表れていた。当たり前のことだが、他団体からの客人をもてなすのとはわけが違う。

特に若い志賀は真正面から意地をムキ出しにしてきた。そうなると、最初は歓迎ムードだった場内の空気も次第に変わってくる。

「志賀、インディーに負けてんじゃねえぞ!」
「王道プロレスを見せてやれ!!」
「ハヤブサ、飛び技だけで全日本に通用すると思うなよ!」

試合がエキサイトしてくるごとに、やはり全日本のファンはモスマンと志賀に声援を送るようになっていった。一発一発の重さはさすがメジャーだと思ったが、ハヤブサは落ち着いて対応。終盤からは得意の飛び技を繰り出し「おおっ!」というどよめきを発生させる。

そして最後はファルコンアローからのファイアーバード・スプラッシュを鮮やかに決めて志賀から3カウント奪取。観衆は拍手で勝利を称えた。

ファンの時代にテレビで見ていたリングへ自分が上がってプロレスをするのは、不思議な感覚だった。バックステージでマスコミ向けのコメントを終え、振り返ってもどこか現実味が得られない。

馬場は試合に関して何も言わなかった。自分ではこれでよかったのかどうか判別し難い。とりあえず、観客が喜んでくれたのだからヨシとするしかないと都合よく解釈し、ハヤブサの全日本初参戦は終わった。

数日後、荒井から次の全日本参戦を伝えられた。4・19日本武道館…伝統のシングルリーグ戦「チャンピオン・カーニバル」の優勝決定戦がおこなわれる都内のビッグマッチである。

より広い川崎球場を経験しているとはいえ、両国国技館と並びプロレスの殿堂である武道館で試合ができる喜びは言い表せない。「継続して参戦させていただけるのは、江崎君が認められた証明だよ。僕らとしても誇らしいよ! 次も頑張ってね」と、荒井も自分のことのように喜んだ。

「今年はいいことが続きそうだな。人生において、こういう一年があるのかも…」

4月7日、快晴。花嫁衣裳に彩られた春子を見つめながら、ハヤブサはそんなことを思った。お互いの両親だけが出席し、家の近くの神社で挙げた小さな小さな式。しあわせよりも、これでケジメをつけ家族を築いていく責任の方が実感としては大きかった。

それでも大仁田のカムバックによって不本意な日々を送っていた前年と比べたら、リング内外で充実している。こんな日々がずっと続いたら…と思わずにいられなかった。

婚約指輪も結婚指輪もプレゼントしなかったのは罪悪感を覚えたが、春子は何も言わなかった。インディー団体の選手でありながら全日本へ上がるまでになったハヤブサも、ひとたびマスクを脱ぐと子供っぽく、チャランポランな男であるのを誰よりも知っていた。

挙式から1週間後にはFMWのシリーズが始まり、その合間に全日本へも参戦。武道館大会は金丸義信と組み小川良成&志賀とのタッグマッチが組まれた。

大阪で敗れた雪辱を狙う志賀だけでも厄介なのに、パートナーの小川は百戦錬磨の試合巧者。勝利につなぐことができず、金丸が捕まり黒星を喫してしまう。とはいえ武道館の最後部までに届くダイナミックな動きは見せられたし、何よりも三沢、小橋、川田利明が巴戦でチャンピオン・カーニバルの優勝を争う闘いと、それを包み込む大観衆のリアクションを体感できたのは大きかった。

以後もハヤブサはビッグマッチ限定ながら、全日本へ参戦を続ける。一方、FMWでは雁之助との抗争が激化。その中で、ひとりの男と盟友関係を深めていった。新崎人生である。

「座れ」

 

日本中の誰もがマネをする独特の低く、こもった声。それが、ドスが効いているようにしか聞こえなかった。言われるがまま着席したものの、そこからは何も言葉を振られない。

 

「まずい…馬場さん、怒ってんだろうなあ。待ち合わせ時間に遅れたのが原因で参戦が取りやめになったら、なんてマヌケなんだ!」

 

もちろん、自分から話しかけるなどもってのほか。まったく会話がない中で刻まれる一秒が、とてつもなく長く感じた。これなら、怒鳴り声をあげてもらい謝り続けた方がまだ気が楽だ。

 

テーブルをはさんで向かい合い、そこからはまた沈黙が続く。1分、2分、3分…ハヤブサは、ただただ馬場を見つめるしかなかった。

 

「ほいじゃあ、いくか」

 

2、3度腰を上げる仕草で勢いをつけてから馬場が立ち上がる。ようやく会見場に向かうようだ。沈黙から解放されたハヤブサはホッとしたが、それはほんの一瞬。よくよく考えたら、今からが本番なのだ。

 

会見中は、馬場が発表事を述べたためほとんど発言しなかった。テレビで見ていたあの大きな体の隣に、自分が座っているシチュエーションが信じられず、頭の中が真っ白になっていると、いきなり「なっ?」と振られた。

 

あとで記者に聞くと「馬場さんがジョークを言ってから振ったんだよ」と教えてくれたが、何を振られたのかまるで耳に入っておらず「は…はい!」と返事をするのがやっとだった。

最後に「頑張ります」程度の抱負を述べて、会見は終了。

 

マスコミにツーショットを求められると、馬場の方から右手を差し出してきた。両手で握るとあり得ない大きさで、マスク越しにもビックリした顔がわかったと顔見知りの記者が笑った。

 

会見が終わったあと、全日本プロレスへ参戦するにあたりああしろこうしろといった説明や、自分が何者なのかを聞かれるとばかり思っていた。そこで粗相があったり、馬場さんの気に入らないことを言ったりしたら立ち消えになると思い、これまた緊張したのだがそうした密な話し合いはなく、発表された参戦大会の日付をフロントの人から改めて告げられただけだった。

 

「……そうなんです。馬場さんからは何も言われなかったんで、拍子抜けしました」

「ああ、それに関しては何も心配することないよ。大仁田さんが全部説明しているはずだから」

「大仁田さん?」

「そうだよ。今回の全日本さんへの参戦は、大仁田さんが馬場さんに話をしてくれたから実現したんだよ」

 

電話口に荒井からそう説明され、ハヤブサは少しばかり複雑な思いになった。あこがれだった全日本プロレス参戦の道を拓いてくれたとあれば、感謝してもしきれない。ただ、その一方では邪魔者の自分を他団体のリングへ押し込み、いない間にFMWでやりたいことをやろうとしているのではとの疑念も湧いてきた。

 

いずれにせよ、願ってもないチャンスが訪れたのだからとにかく全力でやろうと雑念を振り払った。何よりもメジャーと言われる団体で認められ「FMWは全日本の二軍」というレッテルを覆したかった。

 

ハヤブサに用意された初の全日本マットは1997年4月2日、大阪府立体育会館。自宅に戻り、そのことを春子に伝えるとみるみるうちに目が丸くなった。

 

「なんでそんな顔してんの? 大丈夫だよ、1カ月近くあるし今はけっこうコンディションも…」

「バカ! そんなことじゃないわよ。あなた、気がつかなかったの?」

「へっ!?

「4月2日っていったら、結婚式の5日前じゃない!」

「あ…」

 

全日本のリングに上がれるというだけでいっぱいっぱいだったため、まったく頭から抜けていた。どう考えても、その頃は式の準備で忙しい。

 

「こりゃ大変だわ、ハッハッハッ!」

 

ちょっと怒った顔をする春子に対し、ごまかすかのように笑った。いや、じっさいどうなるものでもないのだから、笑うしかなかった。

 

そして参戦当日。ハヤブサは新幹線に乗り、ひとりで大阪へと向かった。FMWの若手がセコンドとしてつくなど身分不相応。早目に会場入りし、あとから到着した全日本の選手たちひとりひとりに挨拶をする。

 

フレンドリーに接してくれる選手もいれば、無愛想な人もいた。インディーの人間が来たとあれば「おまえなんかがウチのリングに上がれるのか」とプライドをチラつかせるのは当然だ。

 

そんな中、誰よりも気さくに話してくれたのが全日本のエース・三沢光晴。じつは1年ほど前からプライベートでの付き合いが始まっていたのだ。

 

共通の知り合いであるマスコミが「2人は酒の飲み方が似ているから、会わせたら面白いのでは」と、紹介してくれたのがきっかけだった。メジャー団体のトップレスラーでありながら、三沢は威張るところがまったくない。

 

当時は自分が全日本に上がるなど想像もしていないから、よくしてもらえるだけでありがたかった。ハヤブサの飲みっぷりを三沢も気に入り、お互いがシリーズオフになると週2、3回会っては飲んだ。

 

全日本参戦が決まってすぐに報告すると「頑張ってね、江崎君なら大丈夫だから」と言われた。あの三沢光晴の言葉とあり、そのひとことですごく気が楽になった。

 

「おー、来たか。いつも通りにやってそれを見せればお客さんは喜んでくれるよ。そう緊張するな。終わったら祝いがてら飲みにいこうな」

 

開場前に顔を合わせると、そこでもリラックスできる言葉をくれた。その後、アリーナでランニングするハヤブサに「江崎君、リングの上を使って練習していいから」と声をかけたのも三沢だった。

 

プロレスのリングは、どれも同じようであって団体ごとに硬さやロープの張り具合が違う。空中殺法を出す上で、特に把握しておく必要がある。三沢はかつて2代目タイガーマスクとして活動し、同じように飛び技を得意としていた。

 

だから、ハヤブサがリングの感触を確認したいという気持ちがわかったのだろう。FMWからひとりで乗り込んだ自分にも、助けてくれる人がいる。そう思うと、ガ然頑張らなければと気合が入った。

 

さっそくリングに立って、至近距離からロープに飛んで感触を確認していると、あの低い声で「おーい、ハヤブサ」と呼ばれた。いつの間にか、馬場も会場へ到着していた。

 

「あ、すいません! ご挨拶が遅れて…」と慌てて馬場のもとへ飛んでいこうとしたが「いや、そのままでいいから受け身をとってみろ」と止められた。会見の時は何も言われなかったが、これが試合をする上でのテストなのかと途端に緊張を覚えた。

 

といっても、今までやってきたことをそのまま見せる以外にない。ハヤブサは何度か後ろ受け身と前受け身をやった。リングの硬さも、思ったほど違和感はなかった。

 

無言で見ていた馬場だったが「できればいいんだ」とだけ言い残し、背を向けた。どうやら“合格”らしい。

 

あとでわかったことなのだが、馬場はハヤブサがどういう選手なのかまったく知らずに大仁田の相談を聞き、OKを出していた。だから、観客をどれほど満足させられるか、もっというならどんな技を出し、どんなスタイルで闘うのかさえ無頓着だった。

 

それでケガだけはされたら困ると、バンプに関しては自分の目で確認したのだ。試合前から別の緊張に見舞われたもののなんとかそれをクリアし、ハヤブサは全日本マットでの初試合に足を踏み出した。

冬木弘道(こうどう)は国際プロレスでデビューするも団体が崩壊し、全日本へ拾われた。若手時代の三沢光晴や越中詩郎、川田利明らと切磋琢磨し、のちに天龍源一郎率いる天龍同盟の一員となる。
 
その天龍が全日本を離脱し、SWSへ移籍するとあとを追うように退団。SWSが内部分裂するとWARまで行動をともにするも、ここで反旗を翻し敵対する側に。インディー団体を流浪していた邪道&外道と冬木軍を結成し、そのユニットをプロモーション化し団体を離脱すると、FMWへ参戦してきた。
 
いわば“外様”となるわけで、ハヤブサら正規軍の対抗勢力であるチーム・ノーリスペクト(TNR)のボスに君臨したが、リングを降りれば経験豊富な年長者であり、何よりもバランスのとれたプロレス頭を持っていたことから必然的に団体の舵取りを任されるようになる。いくらエースといっても、全体のカードを決めるマッチメイクを含むすべてをハヤブサひとりが背負うのはさすがに負担が大きい。
 
たとえ対戦する側であっても、ハヤブサにとってはファン時代から見ていて尊敬できる人間でもあった。自分より若い人間たちの中ではやりたい放題の大仁田も、同じ“大人”である冬木がそこにいるとすべてを思い通りに進めるのが難しくなる。
 
対大仁田厚という点でも、その存在は大きかった。冬木は「単にいい試合をしたところで、新日本や全日本のような大きな団体には勝てない。FMWでしか見られないような、独自路線を築くべき」と、当時はまだマニアの間でしか浸透していなかったエンターテインメント色の強いプロレスへ振り切るよう、荒井社長に進言する。
 
海の向こうではWWF(現WWE)やWCWがストーリー性に富んだテレビ中心のショーを毎週生放送で展開していた。マイクアピールがあり、バックステージの様子を場内の巨大ヴィジョンが追い、毎週ごとに因縁や抗争が進んでいく。
 
日本のプロレスは力道山時代から勝負論が重視されており“ショー”という言い回しをすると「見せものとはなんだ! 俺たちは真剣に闘っているんだぞ!」と選手たちが激怒した。そんな中、冬木はレスラーでありながら堂々と「金をとって見せるものは、すべてショーなんだよ」と言ってのけた。
 
ハヤブサら選手たちもアメリカでWWFWCWが、毎週のように大会場をフルハウスにしているのは知っていた。日本でそれに着手する団体がないならば、自分たちが最初にやろうじゃないかと冬木が提示した方向性に同調。
 
それまでウリとしていた“胸いっぱいのプロレス”は継続し見せていくが、器を変えることで新しい作品にする――そんな解釈だった。FMWに参戦するや、冬木軍の3人に雁之助、金村、非道が合流。FMWは正規軍とTNR、そして大仁田率いるZENの3軍による闘いの図式が繰り広げられていった。
 
そんなある日のことだった。巡業先に荒井から電話がかかってきた。
 
「あ、ハヤブサ選手。喜んでよ! 全日本プロレスさんへ参戦できることになったよ。 明日、ジャイアント馬場さんが記者会見を開いてくださるから、一度巡業先から戻ってきて。それと、ちゃんとスーツを着てきてね」
 
その日の試合を終えたハヤブサは、翌朝一番の新幹線に乗り東京へ。着替えるために、いったん自宅へ戻る。メキシコ遠征から戻ってきて以来、同棲していた春子が「どうしたの? 巡業中じゃあ…」と驚く。
 
「それがさ、全日本へ出ることになったんだよ」
「全日本…って、馬場さんの団体?」
「そう! 三沢さんや小橋さんのいる団体」
「えーっ、それって…ちゃんとした大きな団体じゃない!」
「なんだよ、FMWがちゃんとした団体じゃないような言い方するなよ! でも、なんてたってメジャーだからなあ」
 
そんな会話の中で、春子が「おめでとう」と言いながらクローゼットから出したスーツを着させてくれた。2人は1カ月後に、いよいよ身を固める約束を交わしていた。
 
同い年の江崎英治と春子は、翌年には揃って三十代となる。メキシコへいく前から数えると、つきあい始めて5年。そろそろ男としてケジメをつけなければと思っていた。
 
何よりも大きかったのは、春子が子供を身ごもったこと。妊娠を告げられた時は「こんなチャランポランな俺が人の親になるのか!?」と実感が湧かなかったが、今まで以上に彼女が愛おしくなった。
 
生まれてくる子供のために、そして父親として…ハヤブサが背負うのはFMWだけではなくなった。そんな中、全日本参戦が実現するというのも運命的だなと思った。
 
会見場に指定された、赤坂にあるキャピタル東急ホテルへ30分早く着いたハヤブサは、ソワソワする気持ちを抑えるべく顔見知りの記者と話しながら馬場の到着を持った。ところが待ち合わせの時刻になってもあの大きな姿が見られない。
 
おかしいなと思っていると、全日本のフロントの人が「ハヤブサ選手、もう馬場さん来てるよ!」と飛んできた。ロビーではなく、カフェにいたのだ。
 
青ざめながら店内へ入ると、一番奥で巨大な背中越しに葉巻の煙が天井へ向かい伸びている。ハヤブサはその横へ回り込み、正面へ立つのと同時にすごい勢いで頭を下げた。
 
「お疲れ様です! はじめまして! FMWのハヤブサと申します! 遅れて申し訳ございませんでした!!
 
テレビ以外では初めて間近から見る馬場は、座っているにもかかわらずとんでもなく大きかった。慌てるハヤブサを一べつしたあと、煙が伸びる天井へと目をやる。
 
それは、微笑を浮かべているといえばそうであり、無視を決め込むようでもあった。たった数秒の沈黙が、長く長く感じられた。

19961116日。この日、ハヤブサは大阪郊外の高石市にある臨界スポーツセンターにてTAKAみちのくとシングルマッチで対戦している。日刊紙に「大仁田、ついに復帰を決意!」と、デカデカと報じられた数日後の大会だった。

 

たとえどんな試合をやろうとも、翌週の専門誌にはそちらの方が大きく載り、自分たちが隅に追いやられるのはわかりきっていた。大仁田がアクションを起こすたびに、試合リポートのスペースが減る。事情を知らぬファンは「FMWがつまらなくなったから」と受け取ったが、じっさいは話題性に負けぬようにと選手が一丸となり、クオリティーはむしろ上がっていた。

 

TAKAはみちのくプロレスで飛び技を持ち味に活躍している選手だったが、自身の幅を広げたいとの向上心で打撃と関節技が中心のバトラーツや、ハードコアな闘いを繰り広げるFMWといったまったく違うスタイルのリングへ飛び込んでいた。もちろん、狙うはエース・ハヤブサの首。

 

ウエートの違いこそあれど、お互いに空中殺法を得意とするため試合はスイング。FMWの人間ではなくとも、TAKAもハヤブサたちがどんな思いでリングに上がっているかわかっていたから「すごいものを見せてやる!」と大いに意気込み、そうした感情と姿勢がスーパーバウトを生み出した。

 

プロレス業界的には地方でおこなわれた一試合にすぎずとも、ハヤブサにとっては砂漠の中でオアシスを見つけたような一戦として今も強く心に刻まれている。大熱闘の末、新技である旋回式ファルコンアローでTAKAから3カウントを奪った瞬間の盛り上がりは、大会場となんら遜色のないものだった。

 

熱狂し、リングを取り囲むファン一人ひとりの顔を見ながら、ハヤブサは「俺たちは間違っていない。何があっても、このファンの人たちは俺たちを応援してくれるんだ」と確信した。数日後、この試合を報じる専門誌を見るとカラー4ページで掲載されていた。それはビッグマッチにおけるメイン並みの扱いだった。

 

一方で、プロレス界の話題は大仁田復帰で塗り尽くされた。どこまでいっても主従関係は変わらないし、変えられない。

 

大仁田は大仁田で「俺が復帰することでFMWを盛り上がるんじゃ。何が悪い?」と言い張る。揚げ句の果てには、後楽園ホールに乱入し、大立ち回りをやってのけると復帰を拒絶し「ウソツキ!」と罵声を浴びせる観客に対し「おまえら、一度もウソをついたことがないんか!」と開き直った。

 

かくして1211日、駒沢オリンピック公園体育館におけるその年最後のビッグマッチで、大仁田は1年7カ月ぶりにポーゴのパートナーとしてリングへ復帰した。当初は引退試合に華を添える一夜限りのカムバックと言っていたが真に受けるものはおらず、じっさい年が明けると団体内団体といえるZENを結成、なし崩し的に出場を続けるようになる。

 

変わらず浴びせられるブーイングと罵声を逆手に取った大仁田は、涙のカリスマから一転し“ミスター・ライアー”を名乗った。本人から「俺はウソツキ」と言われたら、ファンもそれ以上は突っ込めない。

 

そんな流れの中、ハヤブサに2つの転機が訪れる。ひとつは駒沢大会のザ・グレート・サスケ戦に勝ったあと、バックステージで宣言した「小橋さんと闘いたい」に端を発した全日本プロレスへの参戦。

 

四天王プロレスの旗手として全日本の主力を担う小橋健太(現・建太)は、プロ入りする前からのあこがれの存在で、ヘビー級に転向した時点でいつか胸を借りたい相手として心の片隅にあった。FMWではエースであっても、他団体にはもっと上の選手たちがいる。そんな存在と対戦することで、自分のグレードを上げたかった。

 

ハヤブサの意志をくみ、全日本への橋渡し役になったのは意外にも大仁田だった。自身にとっての古巣であり、ジャイアント馬場の付け人を経験しているから「ウチのハヤブサをお願いします」と頭を下げることができた。

 

大仁田は、復帰したことをハヤブサが快く思っていないのはわかっていた。だから活躍の場がFMWから全日本中心となれば、自分がやりやすくなる。もしかすると、一抹の罪悪感もあったのかもしれない。

 

ハヤブサの全日本参戦は、4カ月後に実現する。もうひとつは、大学時代からの盟友であるミスター雁之助のFMW復帰だ。

 

ターザン後藤について退団し、他団体で暴れていたもののどこかくすぶり続ける日々。ライバルであり、親友のハヤブサが自分たちのリングで躍動する姿が、雁之助にはまぶしく映るようになった。

 

「ハヤブサとやりたいので、FMWに戻ります…すいません」

 

怒られるのを覚悟で後藤に電話で告げたところ「そうか、頑張れよ」と、ひとことだけ返ってきた。雁之助は涙が止まらなかった。

 

二度と上がれないと思っていたFMWのリングへ帰るにあたり、雁之助はハヤブサと敵対する道を選ぶ。出戻りの人間が何食わぬ顔で仲良くやっていけるはずなどないと思ったのだ。

 

97年一発目の後楽園ホール大会。フライングキッド市原とともに乱入する形で、雁之助は数年ぶりに盟友と再会する。表向きには複雑な心境を吐露しつつ、ハヤブサは「味方が帰ってきた」と喜んだ。

 

大仁田以外の話題を作る上で、雁之助の復帰はインパクトがあった。これからは、2人でそれに負けないような試合ができる。

 

一度は大仁田に誘われZENのメンバーとなった雁之助だったが、すぐに反目。冬木軍プロモーションとしてFMWへ参戦していた冬木弘道や、金村らとチーム・ノーリスペクトなるユニットを結成する。

 

どこに所属しようとも、ハヤブサからすれば雁之助と自分たちならではの闘いができればよかった。そしてもうひとつ、のちに心強い存在となるのが冬木だった。

川崎球場後、安静に入ったハヤブサだったが悠長に休んでいる気はサラサラなかった。完全に治すには最低1年はかかると言われていたが、指をくわえて大仁田の復帰を眺めるわけにはいかない。

 

そもそも、そんなにリングを離れられるほどの余裕は会社になかった。8月のビッグマッチを復帰の場と定め、それまでに少しでもよくなれば…といった感じだった。

 

同大会は東京・旧汐留駅跡地で開催することになっていた。そこは6年前に大仁田とターザン後藤が史上初の電流爆破デスマッチをおこなった地として、FMWにゆかりのある場所だった。

 

中川浩二を相手に白星こそ飾ったものの、じっさいに体を動かしてみると本調子にはほど遠いことを痛感した。それもそのはず、8つあった症状のうち完治したものは何一つなかった。

 

要はまったく動かぬ状態から、ごまかしごまかしやれるようになっただけ。「こんなことなら、もっと早く休むべきだった」とも思ったが、そこでリングに上がり続けたからこそ今の自分がいるのもわかっていた。

 

夏のビッグマッチは、なんとか乗り越えることができた。だが仲間れしたテリー・ファンクとの決着戦として、この日のメインで時限爆弾デスマッチを闘い敗れたミスター・ポーゴが、そのダメージにより引退を宣言。

 

そこで大仁田と組みたいと、全国のファンへ土下座して回るようになる。これにはハヤブサたちもゲンナリするしかなかった。

 

新生となってからも極悪魔王としてヒールを貫いてきたポーゴだが、FMWの功労者であることに変わりはない。だからこそ最後の望みは尊重したいとの思いはあったが、一方では大仁田復帰の恰好の理由となる。

 

自分から復帰を望んでいるのではなく、ポーゴの希望をかなえてやるため――浪花節に持っていけば、拒絶反応はなくなると踏んだのだろう。ところが、じっさいは違った。

 

大仁田復帰の影がチラつくようになってから、観客動員が落ちたのだ。選手だけでなく、新生FMWを応援し続けてきたファンもNOを突きつけた。

 

「大仁田は復帰するんですか? だとしたら裏切られた思いです。あの引退試合はなんだったんですか!? ハヤブサさんたちの手で絶対に阻止してください」

 

直接、ファンから言われたこともあった。でも、自分のタッチしていないところで流れがどんどん進んでいくのだから、どうにもできない。それがまた、申し訳なかった。

 

「ここまで人の気持ちを考えずにできるのかと思いました。そこは本当に、すごいと思いますよ。FMWの人間で復帰を認めている者はひとりもいなかったし、ファンはもっとあからさまだった。それでも復帰のためならなんでもできるし、あの人は狂えるんですよ。そこが自分との違いだと思った。あの当時、今ぐらいの気持ちがあれば僕も狂えたかもしれないけど、若かったからただただ硬くなるしかなかった。それでコミュニケーションをとることも拒絶してしまったんですけど…たとえ話をしても変わらなかったでしょうね。

 

選手とファンの総意だからと、それを納得させる形にできればよかったのに自分はそれができなかった。使わない(試合を組まない)と言えればよかったのに、僕も荒井さんも言えなかった。なぜそこまで大仁田厚の存在を意識していたかといったら、一番近くで見ていてそのすごさを知っていたから。これはかなわないっていうのがわかっていました。なんだかんだいっても、すごいことは肌で知っている。だからこそ負けたくないという思いが強かった。一代であれだけのものを築いたんですから」

 

これまでの取材ではいいことも悪いことも楽しげに話してきたハヤブサだったが、大仁田復帰に関しては口の中にニガいものを含んでいるかのような言葉の吐き出し方となった。それは、恨みや憎しみといったものとも違う。当時の力関係によりどうすることもできなかった悔いであり、悪い方向へと進んでいくのを止められない哀しみだった。

 

引退した時点でFMWは別会社となっており、大仁田にはなんら権限もない。にもかかわらず、旗揚げ時からの部下だった荒井はその要求を拒絶することができず、ハヤブサも面と向かって「復帰はやめてください」とは言えなかった。

 

ポーゴの引退ロードとリンクする形でアクションを起こし、着々と復帰のお膳立てを整えていく大仁田。そのたびに新聞や専門誌は大々的にとりあげる。FMWの試合よりもニュースバリューが高い…それが現実だった。

 

大仁田が動けば試合リポートは隅に追いやられ、どんなにいいファイトで観客を沸かせても大きくは載らない。だからといって、ここで腐っていたらそれこそ今まで築いてきた新生FMWの信用を失ってしまう。

 

「たとえ大仁田さんに食われて小さい扱いになっても、投げやりになっちゃダメだ。チケットを買って見に来てくれたお客さんを満足させるのが、俺たちの一番大切な仕事じゃないか。それに、たとえ大仁田さんが復帰してもそれよりいい試合を見せれば、ファンは必ず評価してくれる」

 

誰が言い聞かせるわけでもなく、選手たちはそんな信念で結ばれていた。ハヤブサも不完全な体調でありながら飛びまくった。こういう時だからこそ、より新生FMWらしさを伝えなければ…と。

「江崎さん、どうしました? 具合が悪いんですか?」

 

東スポを握り締めながら「ウッ、ウッ…」と声を漏らす患者の姿を見かけた看護婦が、そう聞いてきた。確かにベッドの上で泣いていたら、どこかが痛いと思われるのも致し方ない。

 

「いえ、大丈夫です。なんともないです」

 

そう答えながら、ハヤブサはティッシュペーパーで鼻をかむフリをしながら涙を拭いた。いつかはこういう話が出るだろうと思ってはいたが、いざ自分が何もできぬ状況で突きつけられると悔し泣きするしかなかった。

 

「大仁田はFMW札幌大会に登場。外国人勢をひとりで一網打尽すると『おい、俺は絶対に復帰しない! おまえら、俺を復帰させるなよ!!』とFMWの選手たちにゲキを飛ばした。だが会場に姿を現したということは、復帰を視野に入れた行動と受け取るべきだろう」

 

紙面では、そのように記事が書かれていた。エースを欠いた聖地・札幌。まるでスキを突くかのように、大仁田はハヤブサのいない会場で暴れ回ったのだ。

 

好意的に受け取るなら、エース不在のFMWで話題作りのために動いてくれたとなる。だが、シリーズが終わって見舞いに訪れる選手たちにそのことを切り出すと総じて顔が曇り、歯切れが悪くなった。

 

その様子から、大仁田が復帰に向けて動いているのがわかった。体は安静にできても、そのことを思うとハヤブサの気持ちはまるで休まらない。消灯後もすぐに寝つけず、真っ暗な天井を見つめながら考え込んでしまう日々が続いた。

 

「なんのために俺は、こんなにもボロボロになるまでやってきたんだ。わずか半年かもしれないけど、半年でここまでなってしまうぐらい自分の肉体を犠牲にしてきたっていうのに…。でも、復帰の口実を与えてしまったのは俺自身。俺が休まなければ、こんなことは絶対にさせなかった!」

 

半分は大仁田に対する憤り、もう半分は自分への怒りだった。とにかく、こうなったら早く復帰し「今のFMWに大仁田は必要ない」というファンの認識を高めるしかない。

 

本来ならば、診断書に並んだ8つの症状を完治させるには1年間の安静が必要と言われていた。そんなに休んだら、その間に大仁田が復帰してくる。ハヤブサは「5月の試合に出たいんですが…」と医師に相談した。

 

5月とは、毎年恒例の川崎球場のこと。新生としては身の丈に合った規模でないのは自分たちも重々承知していたが、大仁田引退試合の翌年に開催しなかったら「ほら見たことか。俺がいなけりゃ、ダメだろ」と乗じてくるのは、火を見るよりも明らか。スタジアムクラスを埋めるには、本調子でなくてもエースの存在は不可欠だった。

 

「……まあ、試合に出るのは止めませんが、次にジン帯が切れたらウチには来ないでください」

 

主治医にはキッパリとそう言われたが、それでも休むわけにはいかない。ハヤブサは入院から3カ月で復帰することを決めた。結局、ズラリと並んだ症状は何一つ完治せぬままだった。

 

川崎球場は、FMW女子を工藤とともに支えてきたコンバット豊田の引退試合と、ハヤブサ&田中正人vsミスター・ポーゴ&テリー・ファンクの二大カードがダブルメインイベントとして据えられた。前者は女子初のノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ。後者はノーロープ有刺鉄線電流地雷爆破ダブルヘル時限爆弾トルネードタッグデスマッチ。

 

まさに男も女も勝負を懸けた総力戦。大仁田ひとりの名前で観客を動員したのとは違うあたりも新生FMWらしい。女子の電流爆破デスマッチは大きな話題を呼んだものの、それだけでは川崎球場を満員にできないのが厳しい現実だった。

 

それは裏を返せば、いかに大仁田がすごかったかという証明でもあった。他団体の選手にもオファーをかけ、できる限りのラインナップを揃えることによりなんとか形はついたが、肝心のハヤブサは本調子とはほど遠い状態での復帰だった。

 

ハヤブサにとっては2人の姉にあたるうちのひとりが爆破に殉じリングを去った。力尽きながらお互いに支え合い、泣きじゃくりながら控室へ戻った豊田と工藤を待ち構えていたのは大仁田だった。

 

豊田の引退を見届けるという名目でやってきては、ハヤブサのいる会場内でその存在感を示していた。それと比べて今の自分は、華麗に飛ぶことさえできない。

 

本当に、ただ試合へ出たというだけで不本意極まりない内容だった。勝負の方もポーゴ&テリーにダブルで火炎噴射されてリング下の地雷に転落し、敗れてしまった。

 

バックステージに戻ったところで大仁田が何かをがなり立てたが、ハヤブサはどうでもよくなっていた。復帰のダシにされるのは御免だとしか思えなかった。

 

再びハヤブサは、リングから消えた。表向きは敗戦による傷心で行方不明とされたが、とにかく体を安静にしなければならなかった。

 

その間にも復帰へのシナリオが着々と進行しているのがわかった。この件に関しては、一度たりとてコミュニケーションの場が持たれたことはなく、ハヤブサでさえ大仁田の動向が報じられた専門誌を見て把握する以外に術がなかった。

 

大仁田も、自分が内部でどのように思われているかはわかっている。だからNOと言えない荒井にだけ話し、事を進めていた。どんよりとしたムードが団体内に充満する中、ハヤブサは8月の再復帰を目指した。

欠場を決意したハヤブサだったが、その前にやっておきたいことがあった。デスマッチである。

 

もとはといえば、大仁田厚のカラーを払しょくするために手を染めずに来た。けっしてやるのが怖かったわけではない。だが、WING勢に言わせれば「俺たちの土俵に上がってこないのか?」となる。

 

新生ならではのスタイルだけでなく、WINGとリーサルウェポンのミスター・ポーゴ、正規軍の田中正人らが激突するデスマッチはFMWでも人気を博し、ウリのひとつとなっていた。だからこそハヤブサは、自分が加わった時のインパクトや話題性を切り札として残しておきたかった。

 

グランドスラムではWING勢も参加し、中でも松永光弘はハヤブサとの公式戦で本来得意とするスタイルを封印し、レスリングで勝負しそれまで出したことがなかったムーンサルト・プレスまで披露した。向こうが歩み寄りを見せたのだから、いつかはその借りを返さなければならないと思っていた。

 

それをやらずして長期欠場に入ったら、心残りとなってしまう。こうしてハヤブサは、欠場前の最後の試合にWINGとのデスマッチを選んだのである。

 

1月シリーズ最終戦は、千葉公園体育館で組まれていた。用意された舞台は「ノーロープ有刺鉄線スパイダーネットダブルヘル6人タッグデスマッチ」。

 
 

ロープの代わりにリング四方を有刺鉄線が囲み、リング下にはスパイダーネット…つまりは有刺鉄線が網のように張り巡らされた立体的な板のボードが設置される。一度落ちたら蜘蛛の巣のように体へ絡みつき、動けない。

 

有刺鉄線に身を投じるのは大仁田引退試合以来。ハヤブサはあの日と同じブラウンのコスチュームで身を包み、鈍色に光るリングへと向かった。

 

そこには松永、金村、非道の3人が手ぐすね引いて待ち構えていた。どんなにデスマッチで正規軍を上回る試合をやっても、エースを倒さなければ天下は獲れない。たとえ両翼をもがれた状態であろうとも、一切容赦する気はなかった。

 

デスマッチのリングでも、ハヤブサは自分らしさを貫いた。WING勢が持ち込んだラダーを逆利用し、その最上段からムーンサルト・プレスを敢行したばかりか、場外へ落ちた金村めがけてスパイダーネット上を飛び越えてのプランチャ・スイシーダも放った。

 

もう、とっくに飛べないはずなのに不死鳥は舞った。しかし、それは消えゆく前に煌々と燃え盛る線香花火の火だった。

 

まずは田中がスパイダーネットに叩きつけられ戦闘不能に。気がつけば、中川も有刺鉄線をグルグル巻きとされた状態で横たわっている。完全に孤立したハヤブサの両手両足を松永と非道が持ち、振り子のようにブランブランとさせ勢いをつけてから、有刺鉄線蜘蛛の巣へと放り捨てた。

 

ついに不死鳥が血の海へと飲み込まれた。まったく動けぬハヤブサを無理やり起こし、リング上に引き戻した松永が3カウントを奪うのは、造作もないことだった。

 

新生FMWのエースが、デスマッチでWINGに大惨敗――わかり切っていたこととはいえ、あまりに厳しい現実だった。これまでは技と技で闘ってきたから自分が頑張ればなんとかなったが、凶器を使用するなんでもありの闘いとなったらまるで太刀打ちできる状態ではなかったのだ。

 

現実を味わったことで、自分の中で踏ん切りがついた。リング上に関しては、残った正規軍の田中や中川、黒田哲広ら後輩に託すしかない。

 

翌日、ハヤブサは入院し体中の精密検査を受けた。一日がかりですべてを終え、病室のベッドへ横たわる。痛みのあまり毎日寝られぬことを打ち明け、鎮痛剤を打ってもらったためその日は数カ月ぶりに熟睡できた。

 

翌朝の目覚めもよく「体を休めるって、こういうことなのか」と思った。ところが主治医に提示された診断結果が記されたカルテを見るや、そんなスッキリした気分が一瞬にして吹き飛び、思わず絶句した。

 

左膝内側副靭帯損傷

右肩関節捻挫

左肘異所性石灰化

左尺骨神経麻痺

右膝捻挫

左母指中手指関節捻挫

左眼虹彩炎

外傷性緑内障

 

まるでケガのデパートだった。たった一体のカラダにこれほどの異常が刻まれるのは、交通事故でもあり得ないと言われた。

 

「こんな状態で2日前までプロレスのリングに上がっていたんだから、それってすごいことだよなあ」

 

あまりの惨状に、ハヤブサは苦笑するしかなかった。新生FMWのスタートから7カ月間、休まずに闘ってきた代償は自分の想像を絶するものだった。

 

10日後、もっとも悪化していた左ヒジを手術する。血腫を取り除き、切れた筋肉を股から移植しつないだ。それ以外のところは、とにかく安静にして回復させるとのことだった。

 

2月に入り、新シリーズが始まるとやはり客入りが気になった。歩けぬほどではなかったから、後楽園ホールで試合がある時は現場にいきたかったが「治療に専念してください」と荒井に止められた。

 

リング上はエース不在を突いてWINGとリーサルウェポンが幅を利かせるようになり、正規軍の戦力ダウンが如実に表れる。それでもハヤブサの分もと田中がリーダーシップを執り、ファンを熱狂させていた。

 

そんなある日のことだった。東京スポーツ紙に何気なく目を通すと、そこには信じ難い見出しが躍っていた。「大仁田、FMW復帰か!?」――。

選手たちが体を張って闘い抜いた「グランドスラム」の評判が広まったのだろう、秋口に入ると地方興行も含め観客動員が伸びてきた。ハヤブサが体現するスペクタクルな胸いっぱいのプロレス、WING勢が繰り広げる狂喜乱舞ならぬ凶器乱舞のハードコアなデスマッチ、さらには工藤めぐみとコンバット豊田を中心とする女子の抗争劇。この3つを柱とするパッケージが新生FMWのカラーとして確立されたのだ。

 

それは、大仁田厚ひとりの存在で成り立っていた頃とは明らかに違うものだった。人々は、あくまでも“現在”のFMWを求めて集まり、そして熱狂した。リング内の充実だけでなく数字も好調とあれば、会社としても諸手をあげて喜ぶところだが…。

 

「ハヤブサ選手、グランドスラムも終わったことだし少しでも休んだ方がいいですよ。今だったらほかの選手たちが頑張ってくれているから、なんとかなると思うから」

 

社長の荒井からは、何度となくそのように言われていた。エースの欠場が団体として痛いのは当然だし、動員への影響も少なくはない。それでもハヤブサの体調を傍目から見ていたら限界を超えているのは誰の目にも明らかだった。

 

プロレスラーは、みな大なり小なり無理を押してリングに上がっている。だが、この時点でハヤブサの状態は尋常ではなくなっていた。何しろ、全身の痛みのあまり夜眠れないのだ。

 

試合や巡業の疲労を回復させるべく睡眠はなくてはならない。にもかかわらず、ホテルのベッドへ横になったら最後、寝返りさえ打てずに朝まで唸っていた。

 

こうなると、眠りにつく方法はひとつ。アルコールである。飲んで酔い潰れたら、ようやく気を失うことができた。

 

ハヤブサは巡業に出ると毎晩のように飲み歩いた。一部の選手や事情を知らぬ関係者からは「エースなのに自己管理ができていない。体調が悪いんだから、飲み歩く時間があるんだったら少しでも早く寝るべきだ」との声があがったが、そんなことは本人が一番わかっていた。

 

自分でも「こんなに浴びるほど飲んだら体に悪いよなあ…逆効果だよ」と思ったが、そうでもしなければ眠りにつけないのだから仕方がなかった。こういう時の酒はけっしてうまいものではない。気を紛らわすために、若手を引き連れて相手をしてもらった。

 

また、試合中にケガをしても応急処置を受ける以外は病院へいかぬようにした。容態を見られたら「こんな体でプロレスなんてとんでもない! 絶対安静にしてください」と言われるのがオチだからだ。とうとう日常では、杖がないと歩けぬまでになったが、それでもハヤブサは休まなかった。

 

よく「リングは麻薬のようなもの」と言われるが、ハヤブサのコスチュームに身を包み、目にペイントを施して花道を進み、キャンバスへ飛び込んだ瞬間に四方からシャワーのような歓声が浴びせられると、先ほどまで全身を包んでいた激痛がスーッと消えてしまうのだ。そして、声援に背中を押されるかのように飛んで、舞い、闘う。

 

ファンの応援によって気持ちが高揚し、アドレナリンの分泌で肉体がハイになる。その快感を知ってしまったら、プロレスラーはやめられない。とはいうものの、試合が終わればリング上で動いた代償が襲いかかってくる。その繰り返しだった。

 

「……いや、荒井さん、気持ちは嬉しいですけど俺、やっぱり休めませんよ」

 

エースとしての責任感もあったが、もうひとつの不安として休んでしまったら現場のまとまりが崩れてしまうのではとの思いが大きかった。会社がハヤブサ路線を敷き、自分が身を削ってそれに応えることでみんなが同じ方向を向いてきた。

 

しかしそうした共通意識がいなくなったら、各自の思惑が強く出てきてバラバラになってしまう。江崎英治という人間が未熟で、全幅の信頼を置かれていないのは自分でもわかっていたが、ハヤブサは他の選手たちも認めるプロレスラー。だからこそ、その存在は大きい。

 

そんな悩みを抱えつつ出場を続けるうちに、年末には左上腕部三頭筋が断裂し、皮膚内へ血が溜まってヒジから指まで痺れるようになった。そして体のあちこちをかばいながら動いていた影響か、今度は左目がかすんできた。

 

これはさすがにまずかった。いくらリングという劇薬を施しても、視界を失ったら距離を正確に測れなくなる。つまり、飛び技が出せない。

 

ハヤブサから空中殺法をとるのは、両翼をもがれたようなもの。なんとか年内最後のビッグマッチである横浜文化体育館大会も出場し、フェニックス・スプラッシュを決めることができたが、いよいよ荒井が社長命令として年明けから欠場するよう、通達する。

 

試合に負けた時でさえ味わったことのない挫折感、絶望感という名の悔しさ――自分自身に腹が立ち、それが涙となって体からにじみ出た。

 

「ハヤブサ選手、よく受け入れてくれました。会社としても苦渋の決断です。だけど…江崎君、僕は社長としてではなく君が新人時代からずっと一緒にやってきた戦友として、これ以上は見過ごせないよ」

 

命令を下したのが荒井でなかったら、ハヤブサは首をタテに振らなかったかもしれない。“戦友”の言葉が、重かった。

プロレスラーは不思議な人種である。体に痛みを刻まれるのがわかっていながらリングへと向かう。上を目指せば目指すほど過酷な闘いが待っているのに、使命感がそこから逃れることを許さない。

 

長かった「グランドスラム」も最終戦を迎えた。テクニシャンの大矢剛功、グラエジエーターと並ぶ大型外国人のスーパー・レザー、WINGの大将・松永光弘らを抑え、毎試合苦戦を強いられながらもハヤブサはなんとかリーグ戦上位2位に残り、優勝戦へと進出。

 

ハヤブサには、一般的なスポーツ選手が抱くような「優勝したい」「一番になりたい」といった欲求はなかった。いや、ゼロではないが新生FMWをファンに認めてもらう、そのためには自分が頑張らなければとの思いの方が遥かに強く、それが満身創痍の体と精神を支え、突き動かしていた。

 

試合前に病院へいき、痛み止めを打ってもらうたびに医者からは「なんでそこまでしてプロレスをやるんですか?」と聞かれる。常人の発想では、もはや無理をするといった段階を超えていたのだ。

 

そのたびに、苦笑しながら「いやあ、好きだからしょうがないんです」と答えると、医者はみんな呆れたと言わんばかりの表情をした。この日も後楽園ホール近くの病院へ寄ってからの会場入りだった。

 

優勝戦の相手は、やはりというべきかグラジエーター。札幌の公式戦では逆転勝ちを収めたが、それはまさに“拾った”との感覚であり、ハヤブサ自身に超えることができたとの思いは微塵もなかった。

 

優勝がかかった試合である。グラジは札幌の時以上に厳しく、危険覚悟で攻めてくるだろう。勝つかどうか以前に、その攻撃に肉体が耐えられるかどうか。

 

プロレスは、格闘技と違っていかに相手の技を受けられるかに凄みがある。ディフェンスも必要だが、どんな攻撃にも壊れない体を見せつけることで説得力を表現する

 

だからグラジの技を受けて体が壊れ、試合として成立しなくなるようならば闘う資格などない。ハヤブサは、そう受け取っていた。

 

全国で繰り広げられたグランドスラムの評判が東京のファンに伝わっていたのだろう。後楽園は新生となって以来もっとも多くの観衆で膨れ上がった。札幌大会の模様を掲載した専門誌が発売された日から、一度止まっていたチケットの売れ行きが伸びたという。

 

やはり、いい試合を見せることが数字を伸ばす上で一番の近道なのだ。そのいい試合をやるなら、グラジに勝る相手はいない。

 

とはいえグラジといい試合をするのがいかに大変なのか、それもまた事実。そんな相手と2カ月で3度の一騎打ちをやったら、無傷でいられる方がおかしい。

 

リング上で宿命のライバルと対峙した瞬間、ハヤブサは新生となってからこれまでの後楽園とは違った空気を感じた。自分の優勝に対する期待の大きさによるものだけでは、明らかにない。客席に神経を向けると、グラジに対する歓声も高まっているのがわかった。

 

FMWとリーサルウェポンの抗争は続いていたが、ファンにとってハヤブサとグラジの一騎打ちがある種の“聖域”に達しているかのようだった。八王子の死闘と、札幌の大熱戦を経て見方が変わったのだ。

 

それを敏感に察知したか、過去2度とも開始のゴング前に急襲したグラジが自ら右手を差し出す。その目は「ようやく本当の意味で俺たちの約束した試合をやれる日が来たな」と語っているようで、握り返したハヤブサも熱いものがこみあげてきた。

 

だからといって、感傷に浸るような相手ではない。グラジの目は、一瞬にしてどう猛な野獣のギラつきを宿らせた。

 

これまでの闘いの中でハヤブサは、とにかく地道にスタミナを奪っていくのが一番の勝利への近道と結論を出していた。捕まったらパワーで持っていかれるから距離を置き、組んだらグラウンドへと引きずり込む。

 

寝かせてしまえば対格差は関係ない。ハヤブサが腕を一点集中攻撃すると、グラジも普段はあまり出さぬ関節技で対抗してきた。

 

レスリングが、紡がれていく。そこから流れがシフトしハヤブサは飛び技を、グラジはパワフルな大技を狙っていくことで試合の鼓動が徐々に高まる。

 

激しくやり合っているのに、2人による会話がなされているかのよう。超満員の観客は耳をそばだて、固唾を飲みながら見つめていたが、それを破るかのごとく先に飛び技を見せたのは意外にもグラジだった。

 

ハヤブサがリング下へ落ちると、一度トップロープへ飛び乗ってから巨大なムササビのように場外ダイブ。普段は空中技を出さずとも、これほどの巨体で舞えば凄まじい破壊力となる。

 

劣勢が続いたハヤブサだったが、今度は下半身を集中的に攻めることで動きを止める。そこから飛び技でラッシュをかけた。グラジのパワフルな攻撃を食らってもことごとく凌ぎ、そして反撃していく。

 

札幌ではほとんど勝機がつかめぬ中、無我夢中でやったら3カウントが“獲れていた”という感じだったが、この日は「イケる!」と思える場面が訪れた。グラジを持ち上げてコーナー最上段に座らせ、自分も登る。ここから雪崩式フランケンシュタイナーで叩き落としたあと、フェニックス・スプラッシュを決めれば…。

 

しかし勝機のカードがペラッとめくれると、そこにあったのはジョーカーのあざ笑う姿。コーナー上で動きを止めて振り上げると、グラジは八王子で放った雪崩式アッサムボム…カミカゼ・アッサムボムでハヤブサの体がリバウンドするほどに叩きつけた。完全無欠の衝撃を食らっては、不死鳥いえども動くことはできなかった――。

 

終わった。かすかに見える後楽園ホールの天井を眺めながら、ハヤブサは「これでガッカリしたファンはFMWをもう見に来ないいだろうな…」と心の中でつぶやいた。動かなかった体の感覚が少しずつ戻ってくる。

 

仰向けの体をひっくり返し、うつ伏せとなって顔だけを上げるのが精一杯のハヤブサ。すると、そこに丸太のような腕が一本伸びてきた。

 

腕の向こうには、グラジのクシャクシャとなった顔があった。無意識のうちにハヤブサがその手を握り返すと試合中に訪れたどんな場面よりも大きなどよめきが発生。それは「グラジ」コールへと変わっていった。

 

自力では立てぬ敗者を引き起こしたグラジは自分の胸へと引っ張り込み、ハグを交わしながら「サンキュー…エザキ、アリガトウ」とささやいた。耳をつんざくばかりのコールが鳴りやまぬ中で、ハヤブサにはそれがハッキリと聞こえた。

 

新生FMWのエースが優勝できなかったにもかかわらず2人の健闘と、グラジの栄冠に対する心からの歓声により、後楽園はハッピーなムードが充満。ヒールユニットに属していながら、本当にすごくて素晴らしいものを持つ男が最高に輝けたステージだった。

 

世界ブラスナックルのベルトを我が子のごとく抱えるグラジへのコールが、自分のことのようにハヤブサは嬉しかった。因縁を超えてファンが勝者を称えたのは、新生FMWとしてとてつもなく大きな意義があった。

 

善玉も悪玉も、正規軍もWINGもリーサルウェポンも関係ない。これこそが、ハヤブサの言った新生FMWならではの「胸いっぱいのプロレス」だった。

どれほど眠ったのか、わからない。巡業先へと向かうバスは、いったいどのあたりを走っているのだろう。眠気まなこをこすりながら、ハヤブサは車窓のカーテンを開けて外を覗いてみた。

 

どこまでも広がる田舎の風景。それだけでは、そこがなんという町なのかやはりわからない。こういう時に、ハヤブサはメキシコ修行時代を思い起こす。

 

いったい、どこまでいけばいいのか。ついた村の名前さえわからず、試合を終えると漆黒の闇の中をガタピシ揺れる車で爆走したあの頃。

 

あの頃といっても、まだ1年ほどしか経ってない。今と比べたら、何も背負うことなく気楽にやれたなと思う。バスがガクンと揺れるごとに痛みを感じる体…激変した自分の立場を、ハヤブサは人知れず実感するのだった。

 

過酷な夏真っ盛りの時期に、FMWは「グランドスラム」で全国をまわっていた。参加選手は、毎日のように組まれたシングルの公式戦で肉体と精神を削り合った。

 

このリーグ戦には松永光弘やWING金村といったデスマッチ派もエントリーされており、スタイルの枠を超えて最強を決めるという趣きだった。その中でもハヤブサはグラジエーターとともに優勝候補へあげられていた。2人の公式戦は9月に入ってからの札幌で組まれた。

 

札幌は大仁田時代から強い地盤を築いた地であり、大会場である中島体育センターをずっと満員にしてきた。それだけに、新生としては後楽園に次ぐ勝負の大会といえた。

 

「大仁田がいた時は満員だったのに…抜けたらやっぱり入らないじゃないか」

 

そんな陰口は、意地でも叩かせたくなかった。普段はライバル意識が強いリーサルウェポンやWING勢も、こういう時は「新生FMWの力で中島を埋めよう!」と同じ目的意識が持てた。

 

勝負を懸けるべく、FMWはメインのハヤブサvsグラジとともにもうひとつの切り札を持ってきた。女子のエースである工藤めぐみによる有刺鉄線デスマッチである。

 

女子の試合で有刺鉄線を使用するのは、大仁田時代でもタブーだった。男子と比べて悲惨に映りかねないし、何よりもおんなの体に生々しい傷が残る。

 

だがシャーク土屋との抗争が激化する中で、工藤は有刺鉄線ボードを設置したリングでの決着を望んだ。それが彼女なりの、新生FMWに対する覚悟だった。

 

土屋が手にした有刺鉄線によって額を切り刻まれたその瞬間、デスマッチを見慣れているはずの札幌のファンがなんとも言えぬどよめきを漏らした。この試合によって、アイドル女子レスラーの工藤めぐみに“邪道姫”の異名が定着する。

 

血ダルマになりながら、試合を終えた工藤はバックステージまで自分で歩き、座り込むと報道陣に対しコメントを出した。その横で出番を待っていたハヤブサは、赤く染まったコスチュームに目をやり「工藤さん…こんなになるまでやったのか」と頭の中でつぶやいた。

 

コメント中は気丈だった工藤。しかし、報道陣がその場を去りハヤブサと2人きりになったところで堰を切ったかのようにえんえんと泣き出した。やはり恐怖とプレッシャーで押し潰されそうだったのだ。

 

工藤はFMWで先輩にあたる。そんな姉的存在が漏らした素の感情へ触れた時、ハヤブサは自分がシンドいなどとは言っていられないと思った。

 

ジン帯が断裂し、背骨が欠け、さらにグランドスラム中には足の親指を骨折し飛ぶさいに踏ん張りが利かなくなっていた。それでも、おんなの命である顔に傷を刻まれながらFMWのためにやろうとしている工藤の覚悟と比べたらなんだと言うのだ――そう自分に言い聞かせる最中に、グラジのテーマ曲が鳴った。

 

八王子では一敗地にまみれている上に、コンディションはその時よりも悪い。ファンはどちらが勝つかという目で期待していたが、実質的には2対8…いや1対9ぐらいで不利だった。

 

それでもハヤブサは向かっていく。試合前、局部麻酔を5本も打った右ヒザで踏ん張り、場外へトペ・コンヒーロを成功させたあと、寝転がっているとリングサイドから「ハヤブサ、大仁田が見てるぞ!」と観客の声が聞こえてきた。

 

大仁田厚――それは、ケガに苦しむ自分をもっとも奮い立たせる4文字だった。

 

「周りのみんなから『休んでください』と言われるたびに大仁田さんのことを思い出しては負けられねえだろ!って自分に言い聞かせていました。僕が休んだ瞬間に『ほら見たことか。やっぱり俺がいなきゃダメだろ』って言われるのは目に見えていましたから。大仁田厚が復帰する理由を与えてしまった時点で、俺たちの負けになってしまう。だから、どんなにケガを抱えても休むつもりはなかったです」

 

ハヤブサはグラジの猛攻を受け、耐え、そしてわずかな勝機を見いだしそこに懸けた。トップロープ上からダイブして飛びつき、一瞬にして丸め込むウラカンラナで難攻不落の相手から3カウントを奪取。

 

次の瞬間、中島体育センターは蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。熱狂したファンが、リングサイドへ押し寄せる。相手の攻撃を耐え凌ぎ、諦めることなく勝利をつかむ…それは、大仁田が表現していたものとは別のプロレスだった。

 

これまでは負けた姿ばかりを見せてきたが、初めて勝つことによってファンに何かを与えた。キャンバスをバンバンと叩きながら、キラキラと目を輝かせた青年が叫んだひとことを、ハヤブサは今も忘れていない。

 

「これが新生FMWだーっ!!