『闇の奥』
著者 ジョゼフ・コンラッド
翻訳 高見浩
出版 新潮社
ジョゼフ・コンラッド(1857–1924)
1857年、現在のウクライナにあたるポーランド系の家庭に生まれる。17歳で船員となり、約20年間にわたって世界各地を航海した。1886年にイギリスへ帰化し、英語で小説を書き始める。1890年のコンゴ滞在体験をもとに『闇の奥』などの代表作を執筆した。1924年にイギリスで死去し、20世紀英文学を代表する作家の一人と評価されている。
こちらは以前参加した読書会の課題図書として読みました。
その時は光文社古典新訳文庫で読みましたが、ある参加者の方が新潮社の翻訳が素晴らしいとおっしゃっていたので、今回は読み比べてみました。
確かに高見浩さんの翻訳は良いですね。格式を感じるのに読みやすくもあります。古典に分類される本書ですが、古めかしい表現はありませんでした。
そう、コッポラが『地獄の黙示録』の原作にもしているこの作品ですが、巻末の年譜を見ると、かなり古い時代に書かれたものなんですよね。私は『地獄の黙示録』のイメージが強くて、比較的現代に近い頃に書かれたものだと思い込んでいました。
さて、この物語の一番の主題は、クルツ氏の言った「The horror! The horror!」が何を意味するのか、ということだと思います。
文庫本でまだ30ページくらいのところで、ちょっと面白いことに気づきました。
マーロウがまだコンゴへ行く前、会社の採用のために医師の診察を受ける場面があります。
そこで医師は、身体の状態だけではなく、アフリカへ行く人間の「精神」に関心を示します。
そして、自分のささやかな仮説を、これから彼の地へ赴く人々が立証してくれるだろう、というようなことを言うのです。
これを読んだとき、私は思いました。
「あれ? もう答えを言っちゃってない?」
まだ文庫本で30ページくらいです。
マーロウはこれからコンゴへ向かおうとしているだけで、クルツにだってまだ会っていません。なのに、もう「彼の地へ行った人間の精神に何が起こるのか」という問いが提示されています。
そして、このあとマーロウはクルツの話を聞き、クルツを追って奥地へ入って行きます。
つまり私は、クルツに会ってから「なるほど、これが闇の奥か」と思うのではなく、クルツに会うずっと前から、小説そのものが「これからあなたが見るのは、人間の精神の変化ですよ」と教えてくれているように感じました。
まだ30ページなのに、もう『闇の奥』の「闇」が見え始めています。
そして、クルツがアフリカの奥地で見たものは何だったのか。
私が思い浮かべたのは、ニーチェの以下の言葉です。
「怪物と闘う者は、その過程で自分も怪物にならぬように気をつけよ。深淵を覗きこむとき、深淵もまたこちらを覗きこんでいる。」
『善悪の彼岸』
クルツはアフリカで大量の虐殺を行う過程で精神の均衡を失い、世界の深淵を覗き、またクルツも深淵に覗かれた。
それは、深淵を見たことがある人だけが形容し、描写することのできる景色なのかもしれません。
けれど、それは決してクルツだけの特別な話ではなく、誰しもが薄皮一枚剥いだところで、深淵と隣り合っているのかもしれない。
マーロウを診た医師が、人間の精神について仮説を立て、関心を抱いた点は、まさにそこにあったのだろうと思います。
そしてクルツが最後に残した言葉、
「The horror! The horror!」
本書では「地獄だ! 地獄だ!」と訳されています。光文社古典新訳文庫(黒原敏行訳)では「恐ろしい、恐ろしい」という訳でした。
どちらも、それぞれの角度からこの言葉の本質を突いているように思います。短い言葉なのに、何を意味するのかを考えれば考えるほど、その恐ろしさが増していく。訳すのも、とても苦労する名台詞なのだろうと思います。
そして、もしかするとクルツが最後に見た「地獄」とは、アフリカの奥地にあったものではなく、そこを覗き込むことで初めて見えてしまった、人間自身の姿だったのかもしれません。
そう考えると、『闇の奥』というタイトルの意味も、少し違って見えてきます。
闇の奥にあるのは、遠い異国の恐ろしい世界ではなく、私たち自身の中にもあるものなのかもしれない。
だからこそ、クルツの最後の言葉は、100年以上経った今でも、読む者の胸に残るのだと思います。





