こんばんはーKenzoです☆

 

今日は「アモールファティ」というテーマで思ったことを書いてみようと思います。

 

皆さんはこの言葉をご存知でしょうか?

ラテン語で「運命愛」を意味する言葉で、ニーチェによって提唱された哲学用語でもあります。

 

 

 

「この世のあるがままを受け入れ、そしてそれを愛する」とここにはあります。

 

皆さんは今ここの現実をどれだけ愛しているでしょうか?

生きていれば楽しいこともあれば悲しいこともあります。

そんな、起伏の激しい人生を全て受け入れて愛することができているでしょうか?

 

 

自分の過去でもそうですが、日本にしても同じことが言えます。

日本は77年前、1941年12月8日に真珠湾を攻撃し、それをきっかけに太平洋戦争へと突入していきました。

結果として日本は原子爆弾を2つも落とされ、天皇の人間宣言もさせられた上で敗戦しました。

 

「日本はいけないことをやったんだ」「日本は過ちを犯したんだ」

私達はそう歴史で習ってきたと思います。

こんな日本をどう愛せばいいのでしょうか?

 

 

それを解く鍵が「アモールファティ」です。

この言葉は、実はとんでもなく奥が深いものなんです!!

 

この言葉が真に分かり、それを以て自分を、そして日本を見ることができた時、

日本は真の強さで目覚めることができます。

 

皆でアモールファティの意味・価値を深めていけたらいいですね☆

 

1/21(土)にはこんなオンラインイベントもあるので、良かったら覗いてみてください(*^_^*)

 

 

※以下イベント詳細

アモール・ファティ祭

小医は病を医す 中医は人を医す 大医は国を医す

人間とは環境に翻弄されるだけの弱い存在なのでしょうか?

病というのも環境です。人間は病を恐れ、死を恐れ、それを回避しようと何かにすがって生きる存在でしょうか?・・・私は「断じてそうではない。」と言います。

なぜなら人間とは、宇宙森羅万象の絶対的な主導権を持っています。どんな環境下においても、その主導権を手放してはならないのです。たとえ肉体が病に倒れたとしても、です。

そして絶対的主導権を持つためには「人間とは何者なのか」を明確に知ることが必要十分条件となります。

①人間とは生命体ではなく、精神体であるということ。

②精神体とは、命よりも大切なものを持っているということ。

③精神体のエンジンは歓喜であるということ。

医師である私長岡美妃が日本文明を語るのには意図があります。それは人間は精神体であり、その精神は文明と呼応しているからです。産業革命以降の物質文明は、人間と自然を使い捨ての商品として扱いました。人間の精神が病むのは当然のことでしょう。そんな中、心の国日本が、精神文明を築いてきた日本が、武士道精神の国日本が、文明を建て直しにいくのは自然な流れなのです。

日本文明のアモール・ファティとは、戦後の日本が歩んだ精神性を物語ります。日本文明は骨抜きにされたのではなく、ニーチェの言うアモール・ファティをやったのです。すなわち自らの運命を愛し受け入れ、そして時が来るのを待っていたのです。

物質文明の末期ガン状態の今、日本の時が来ました。今ここから日本の武士道精神を蘇らせ、世界に無刀の心「和」を教えに行くミッションに目覚める時です。

NIPPONDO〜amor.fatiとは、私から日本文明へのコーリングです。

【詳細】

日程:2023年1月21日(土)

時間:20時〜22時

※終了後〜22時30分で長岡美妃×NohJesuへの相談会を行います。

手段:Zoom、YouTubeライブ配信

参加費:キャンペーン期間に付き5500円→無料

詳細/申込:https://reiwaphilosophy.com/?p=10546

【お申し込み特典】

アモール・ファティ祭にお申し込み頂くと、2月5日(土)開催NohJesu nTech マスター1Dayの無料参加チケットをプレゼントいたします。詳細はお申し込み後に送信されるメールをご確認ください。

主催 令和哲学カフェ