平和の祭典として意味がある行事。

 

しかし、放映権の問題や、経費の問題など、

お金が絡みすぎて、もはや、クリーンなイメージはなし。

 

国威発揚とかなら、古い時代を彷彿とさせるぐらいだが、

いまや、勝手に有名人を作り上げ、

テレビはそれをネタに番組と視聴率を稼ぎ、

ビジネスの要素が強すぎ。

 

もちろん選手の強化のためには金がかかり、

その分を回収しなければならないだろうし、

選手もそのことで、いやな思いを許容しつつ、

強化費の恩恵に与っているから、割り切ってもいるだろう。

 

しかしながら、号泣したとかで、賛否両論沸き起こる

のって、余計なお世話。

大体賛否両論は、各個人の感情に過ぎず、

選手の感情と対等であるはずだから、

人の感情をどうこういう自体が、平等でない。

 

一生懸命やって、悔しい思いをして、泣きたいから泣いた

で、いいじゃない。

その涙の裏に何があろうとも、どうでもいいじゃない。

まさか、泣いてはいけないというスポンサーやテレビ局

との契約があったのだろうか。

 

カメラもそんなの映すなよな。

そっとして、泣かせておけばいいじゃない。

人のおかしな映像をネタにして成り立つテレビ業界や

ネットの勝手な意見など、

本当に自制心が足らない。

 

自制心を捨てて、あら捜しをして、自分が目立つという

心根は、昔の日本人には少なかった気がする。

そういうやつを軽蔑する、プライドがあった気がする。

 

目立つ奴が得をするなんて、バカらしい。

 

本当に努力して、何も言わず、勝つことを期待されて、

ご苦労さんなことだ。

 

目に見えない、映像にならない、努力に拍手を送ればいい。

 

どの国だって、どの選手だって、一生懸命

ある場合には、国家の威信を背負って、戦っている。

 

競技のすばらしさ、厳しさ、辛さ、そういうものを前にして

偉そうなことは言えないな。

 

みんなみんな、素晴らしい。

それで、いいじゃない。