高等教育の在り方に関する特別部会に招かれたという

慶応大学塾長の伊藤さんの提案。

 

「国公私立大学の設置状態にかかわらず、大学教育の質を上げていくためには、公平な競争環境を整えることが必要である。国立・公立大学の家計負担は、年間で150万円程度に上げる」

という発言だと報道されている。

 

世の中は、東京中心に動いているが

これが諸悪の根源である。

 

慶応大学がもし、三陸沿岸部などに移転して

同じことを言うなら、「公平」という意味も

少しは理解できる。

 

あるいは、東京の国公私立をすべて同じ学費にして

国からの補助金をなくすというのでも

「公平」と言ってよいかもしれない。

 

いずれ、花の都東京に若者はだれしも憧れ

大企業も中央官庁も集中し、働く場所も

文化施設も、何もかもが格差の頂点にある東京在住者

の発言は、どこか日本を危うくする。

 

どうせ慶応は東大その他の在京高偏差値大学と

競争したいんだろうから、そういう高偏差値大学の

授業料を300万円ぐらいに固定して、競争すればいい。

 

もともと地の利の恩恵が莫大にあり、

官庁、大企業と人脈でつながっているんだから、

授業料を高く設定して、国の補助金を一切もらわず

全部自前でやればよろしい。

 

そういう恵まれた状況を普通と考え

地の利もなく、知名度もなく、大企業も存在せず

実績がないからと言って補助金も削減されるような

地方の大学を巻き込まないでほしい。

 

レギュレーションが違うのに、同じコースで競うなんて

販促以外の何物でもない。

 

一応大学の教授様なんだろうから

言葉の用い方は厳密なはずなのに、

すごい大雑把に、授業料をそろえれば「公平」なんて

論文に書いたら、吹き出す。噴飯もの。

 

こういう大雑把な一見正しそうな発言をするのは

権力を持つ政治家が、政策を実施するときに使う

騙しの手口だ。

 

公平にとれる面もあるので、あとは、言葉巧みに

自分の土俵に持ち込み、批判は検証ができない(実施していないんだから、やってみないと、善悪の判断はつかない)という論法で、あとは権力と多数決でごり押しする政治手法と変わらない。

 

東京と大企業と官僚の上層部で話が決まるので、

どうしても、地方の実態が見えないし、見る気もないし、

無視してよろしいから(国民も強いものに尻尾を振るから)

中央基準で全国のルールが決まる。

 

こういうやり方が公平なら、中央と地方の格差も

消滅可能性自治体も起きなかったはずではないか。

 

いずれ、このままだと、東京しか残らなくなる。

日本は、終わりつつある。

働き手も不足し、少子化も加速し、

地方から学校が消え、町が消え、そして・・・・

 

もはや、有名大学とか、大企業とか、都会人の話を聞いて政策を考えてはいけない。

 

地方に分散する方向で、考えるべき時だろう。

有名私大は、全部人口の少ない地方に分散移転させる。

国公立大学も、役割分担したうえで、補助金を地方に与え、

首都圏の国立大学は、授業料を高額にする。

 

今の日本を作ったのは政治と企業だろうが、

そういう一点豪華主義は、

おそらく、戦時中の大艦巨砲主義の大和の様なものだ。

 

もはや、空母の時代であるのに、いつまでも古い価値観に

上層部が取りつかれて、誰も意見は言えないし、

意見を言うやつは、権力者に近づけないし、

亡びるまで、方向転換できない。

 

東京の人は「地方」というが、それこそが、中央集権主義の表れである。

 

どの地域に育っても、同じような教育水準、文化水準、所得水準を保てるような国策、教育政策こそ、

「公平」というものだ。