小澤征爾さんがお亡くなりになりました。
心からご冥福をお祈りいたします。
自分も年を取ったので、人の死が日常になりつつあり
静かな悲しみに包まれる程度に受け止めるので、
正直、それほどの大きな感情の変化は起きなかった。
ああ、亡くなったんだな。
88歳か。天寿を全うしただろう。
自分も小澤さんのCDを結構聴いたなあ、ぐらいに思っていた。
ところが、今日の朝日新聞の吉田純子氏の記事には、
自分も泣いた。というか嗚咽をこらえた。
よく覚えていないが、自分が小澤さんと正式に出会ったのは、NHK特集の「復活」というテレビ番組だったような気がする。
小澤征爾が若いころ、国際コンクールか何かで賞を取り、
凱旋記念コンサートをN響と行ったことがあり、
その時に何かミスをしたらしい。
それをきっかけに若い指揮者と伝統と格式のあるN響というわかりやすい対立があり、しばらくの間、小澤は日本で指揮しないという状況が起きていた・・・・ような前振りだった気がする。
それが、小澤がボストン交響楽団とかで有名になり、日本に暖かく迎えられるようになった・・・・ような感じだった。
いずれ、自分が感じたのは、N響という楽団のプライドの高さと共にある閉鎖性である。若者に対する厳しすぎる対応のいやらしさを強く感じた。しかしながら、これはNHKの番組であり、そこら辺を包み隠さず、さらす姿勢は、いいと思った。
何より、日本で若くして出鼻をくじかれた若い小澤が世界で、一生懸命指揮者の道を究め、世界の小澤になって、日本に復帰するという、その求道者としての姿勢に感動したのを覚えている。
自分は小澤の生き方に感動した。
その感動が形になったのが番組のエンディングで流れる
マーラーの交響曲第2番「復活」であった。
ソリストはジェシー・ノーマン、キャスリーン・バトルだったろうか。メイキングからが始まり、最後に「復活」の一番最後が流れる。
あの時も自分は涙を流した。
それ以来、小澤のCDを買って、家で聞いた。
マーラーにもはまり、復活以外にも、いろいろ聴いた。
それ以来、月日は流れて、サイトウ記念オーケストラの活動をテレビで見るぐらいで、小澤征爾の年齢とともに、静かに記憶は薄れつつあった。
でも、若者を育成するという小澤の姿勢は、
自分が若者だったころの経験が反映されたものだろうなと、自然に思っていた。
日本は芸術家に対する、というか、若者に対する支援というものが、一般的に薄い。というか支援の仕方を知らないのだと思う。多分文化としてないのだ。
でも、かすかに、難病を抱えた子が小澤のコンサートを聴きに来たシーンがあった気がしていた。記憶の奥底に何かあった気がする。
それが、今日の新聞記事によって、一気によみがえった。
今日の記事には若い夫婦がサイトウ記念オーケストラの楽屋を訪ねたシーンが描かれている。そこで、娘が死んだことを小澤に告げ、小澤があたりかまわず嗚咽を漏らしたシーンが書かれている。
そういう純粋な小澤が好きだった。
この文章を打っていても涙があふれてくる。
音楽は純粋な感動だ。
言葉を超えて、心に直接響く。
小澤はそういう人だった。
自分も心洗われた気がする。
小澤の追悼記事として、小澤を知っている人の心に直接響く、いい記事だった。
多分、この記事を書いた吉田さんも嗚咽を漏らすタイプの人間だろうと思う。
こういう文章も感動を生む音楽も
つくれない。
生まれるものである。
今日は「復活」に耳を澄ましてみよう。