階段を下りながら、ふと思う。

 

この若者たちは、なぜ、こんなに明るいのだろう。

 

確かに今日は金曜日。若者だけに有り余る人生が輝かないわけがない。そうか、君たちは県下一の進学校の生徒だったね。それなら、明るい将来しか、ないわけだ。

 

自分は退職して、再任用という、体のいい派遣業に身をやつしている。年金をもらうまではまだ5年もあり、その間は、自分で稼げというけれど、あまりに低い再任用雇用の給与では、暮らしもぎりぎりだ。

 

こういう老人では、明るい将来を描けない。

そういう老人の見える世界は、金曜日の午後も、

空模様のように曇っている。

 

なのに、なぜ君たちはそんなに明るい。

 

でも、近くの工事現場で働く若い君は、そんなに明るそうには見えない。きっと、俺とおんなじで、その日暮らしで、明日にそれほどの明るさはないのだろう。

 

こういう社会を見ると、何とかして、暮らし良い社会にしたいものだと思うが、それは無理だと本当に気づく。

 

なぜなら、世の中のリーダーになる人は、明るい、県下一の進学校を出た若者だ。その中でも、熾烈な競争を勝ち抜いた一部「明るい」人々だ。

 

彼らには、明るい未来と自分の豊かな暮らししか見えない。

社会の底辺でうごめく庶民の暮らしなど、ごみのようなものだ。

 

なぜ、今の現状を変える必要がある。

奴隷制度を残しておいた方が、富裕層は助かるのだ。

 

選挙とかというやつは、どうせ庶民はわからない。

どうせ投票にもいかない。

社会制度は複雑にして、素人が入ってこれないようにして、

俺たち頭のいい奴のみが上手に使えるようにしておけばよろしい。

 

こんな、ありもしない声が頭の中にこだまする。

 

自分も相当ひねくれている。

そういえば、花金とかという言葉もあったなあ。

誰が、使うんだ。

給料が上がった、大企業にお勤めの都会人か?

 

どうせ、各県から選抜された、県下一二の進学校出身の若者たちだろう。

 

そういう人たちが、この世の中を変えるはずがないじゃないか。

 

もし、変えるとしたら、恵まれない人々にしか、動機はないが、恵まれない人々には学もなければ、団結力も、根気良さもない。

 

だから、いつまでたっても、孤立した不満をつぶやくぐらいしかできない。

 

アメリカでは、俳優業組合とか自動車製造業者のストライキがあり、それなりの権利を勝ち取っているようだが、日本ではおそらく無理だな。

 

ストライキが労働者の権利だなんて、授業で教わっても、頭に残っていないだろう。エリート層は知っているが、必要ない。

 

こんなに悪意はあるはずがない。

でも、人によって見える風景は全然違う。

豊かな人には、この世はバラ色にしか、見えない。

貧しい人には、この世は灰色にしか、見えない。

でも、それで終わりである。

 

力のあるバラ色の人は、よりバラ色にしようとするし、

力のない灰色の人は、あきらめて、下を向く。

 

雨が打ち付ける、窓の音を聞きながら、

室温をあげすぎないように最低限の暖房にして、

明日とあさっては土日だから、社会のことは考えないようにしよう。

 

猫は、毛布の上で寝ている。

彼らは、そんなことを考えない分幸せなんだろうか。

撫でてみるか。