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これは私たちの行動習慣を考える上で、大きな気づきの言葉だと思います
すなわち、私たちの行動は意識的な決定ではなく、
これまでの習慣や経験などに基づく無意識の決定にほとんど左右されており、
それは意志の力よりもずっと大きい、ということです。
例えば夫婦で、妻が夫に不満があるときに、その不満が解消されないまま、
しかし妻としては相手に不満がないと意識的に思い込んでいたとしても、
夫に対する対応がとげとげしくなったり、反抗的な受け答えをしてしまったりします
同じように、肥満気味な人と標準体形の人を比べると、
肥満気味な人は無意識にカロリーの高い食品を好み、そして大量に食べています
評論家の岡田斗司夫さんは著書『いつまでもデブと思うなよ』のなかで、
太っていた頃、コンビニで好みの食品を手に取ると、ものの見事なくらい、
その棚で一、二を争う高カロリー食を選んでいた、と書いています。
私はよく、努力ができる人と、できない人はどう違うのかという質問を受けますが、
これもほとんどの場合、無意識が決定し、行動を促していると思います
例えば、目の前にゴミが落ちていたり、ちらかっていたりするときに、
いわゆる「努力家」の人たちは、それが他人のゴミであっても、
すっとゴミを拾って立ち上がり、ゴミ箱に入れます
怠惰な人は自分のゴミであっても放置します
ふだんの学習において、意識的にテキストや座学で学ぶことも、もちろん大事です
しかし、ふだん、どんな人に囲まれていて、どんな言葉を受け、
行動や言動の結果にどんな見返りがあるのかということが、
その人の無意識をもっともっと、大きく形成してしまいます。
特に、長く一緒に時間を過ごす人、典型的には配偶者や親友に、
私たちは本当に大きな影響を受けてしまいますから、
どういう人と人生を過ごすかについては大きな決断が必要です
また、書籍やテレビ、インターネットなどのメディアとの付き合いにも気をつかう必要があるのです
そしてだからこそ、無意識と意識の架け橋となる「コトバ」が重要なのです
by カツマカズヨ
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なるほど~~その人の行動は無意識にその人が積み上げてきた経験そのものといえるかも
人間の価値観と価値観がぶつかりあったり、交わったりするのは
無意識部分が感じて判断してるコト
うまく交われた場合、お互いの言葉を添えてもっとお互いを高めあうことができる
だけど、ぶつかった場合、言葉を添えて意識的に解決しようとしても、
解決できないコトが多いんだなぁ。。。。。とあらためて納得^^;
コイツとは合う合わないで潔く生きていけないのが人間生活
だから、現実を生き貫くため、騙し合ったり、あきらめたりする
理想を高く求めれば求めるほど、苦しんだりする
だけど、そこに成長があるのは確か
自分が壊れないように、回避することも必要である
動物の行動学、いと面白きかな( ´艸`) うひょうひょ
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