人が楽しそうにしているのをみると、なぜこんなに幸せなんだろう
そして身近な人が悲しんでいると、なんとか力になりたいと震えます
人同士が助けあって、生きる喜びになれたらどんなにいいことか
都会の人は冷たいよと、以前、古い友人がもらしたことがありました
駅で転んだ人を誰も助けないのよと言う
そうか・・・・・
ならばワタシは駅で気を失い倒れたのを、知らない方が駅員さんに知らせてくれて
医務室へ運んでいただいたことを神に出会ったと思わないと
友人から言わせれば都会ではそれは奇跡のようなことなのだと
なんということか・・・手をさしのべるとは、痛みをしる者だけが知る行為なのです
誰よりも人の心の痛みがわかる人になれるとおもいます
それは弱さを知る者だけが持てる強さとして・・・・・・
傷ついた者が優しくなれる、強くなれる、勇気を持てるのだとも言えると思うのです
弱さに誇りを持て!!!!
ただ強いのではない、それは共感をたずさえた慈しみの尊さです
あのとき苦しくてお礼も満足に言えなかった、
それなのに確かに手を握っていて駅で助けてくれた方、
それはワタシがこれから他の方へとすることを渡されたと振り返ります
そのことは、
冷たくされたときも、やさしくされたときも、
悪意は人に返さず、善意は広げていくように教えたのです
冷たくされた、でもどうしたことか冷たい人には冷たい自覚はありません
そこを責めたくなるとき、ものすごいストレスがかかります
人に失望するときに、期待しないこと、わかってもらう説得も要らないので、
その前に自分が壊れてしまうのを自分が救うというのも、慈しみの心だといえます
心に鬼を飼う人に自分の魂を渡さないよう、すがらないよう、
未練を持たないようにしたいものです。。。。。。
アメン