1つのことに向かって結論を出そうとしているときに、
無意識下に働いているモノがあって、それが邪魔をしている、ということがあるのかな。
そこを掘り起こしてみた。
また師匠の話で申し訳ないけど、(また~!と思う人はここでスルー願います)
師匠は30年も連れ添った妻を捨て、成人してる3人の子供を捨てた人。
離婚は新しい人生を立て直すための潔よい決断だと思う一方、
我侭で自分勝手で自分の想いにまっすぐな人。
そんな風にも取れる。
ワタシはそんな潔さを持ち合わせていないから、その部分に尊敬の念を抱く。
でも、自分がもってないものをその人がもっているという部分に対して、
恐怖も抱くんだよね。
師匠に対して完全に踏み込めない理由はそこにあるのかも。
決断力に長けている師匠のそばにいると、
思考より実行というワタシにとっては難しいテーマを明快に行動で提示してくれる。
だけど、夫婦として機能し始めると、どうなんだろう?という想いは消えない。
何度も記事に書いているけど、師匠と一緒になるってことは、
ワタシがこれまで造ってきた環境を全部捨て、
師匠に合わせる生き方へとベクトルが向かうことになる。
添って色を変えてみたいとも思う一方、師匠の気質である潔さが怖くもある。
もし、お互いの方向性が違ったとき、師匠は歩みよろうとするのか?
自分の想いをひたすら通そうとするのか?
母曰く・・・・「あの人はただ者ではないぞ、覚悟してかかれ」
母は当事者ではないのに、すべてのことを母に話しているわけではないのに、
師匠の気質を察知していた。
むしろ、当事者より傍観者の方がよく見えることもあるのかもしれないな。
師匠を人生のパートナーとして選ぶのは、ある種、「賭け」なんだ。
ワタシが乗るか反るか・・・・その答えを師匠は欲しがっている。
ワタシがここまでダラダラしてきたのは、師匠という決定力をもっている人間を失いたくないから。
あれほどまで自分の想いに忠実になれる人は他にいないから。
彼の影響力が必要なんだ。
つくづく、自分勝手だ (-。-;)
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今日は・・・・・・・お休みです。
こういう種類のコンサートに行くのは始めてです。:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
お付き合いだからしゃーないと思いつつ、まさにこのタイミングで笑いが欲しかったところ。
爆笑かな