やっぴぃ☆

 

えー、どうも。

例えばですよ。大事な友達でも恋人でも身内でもいい。そういう大事な人をいろいろ心配して、気を揉んでるとします。

 

で、いろいろ考えた末、文面なんかもすげー考えて、これなら大丈夫かなーなんて思いながら連絡してみたりする。

 

返事。

『了解(^-^)』

 

って時なんだけど、皆さんどう思います?

いかにも『めんどくせーな』という感じ、にじみ出てません?(笑)

 

でもね、思うようにしてるんです。できるだけ。

その人も実はすげー色々考えた挙句、この文面にしたんだろうなとか、実はメールが4万件くらい来てる中、必死で返した返信がこれなんじゃないだろうかとか。

 

そう考えると気が休まるかって?

 

休まるかーw

 

でもそう考える事がやっぱり大事なんだよな。

許そうよ、許すところから新たな何かが開けるかもしれないんだから、と思うわけですよ、例え『どうせ『めんどくせー』って思ってるんだろうなー』って思っててもです、ええ、侍ですけどね、ええ、ええ。

 

ところでこの前の『強打』についての日記が、自分でも意外なほどにツイッターで盛り上がったので、今回は話を変えて似たようなことについて問題提起をしながら、日記にしてみようかと思います。

 

前回は『強打=うるさい』という『音の観点』からの考察をしてみましたが、前回にも少し書いた『強打=威圧行為』ということに関するところから考えてみたいと思います。

 

ちなみに『あからさまに人を脅すような強打』については論外なんで話の中には入ってきません。

あくまで『自分ではそう思っていない強打』ということにのみの言及です。

 

威圧とは

『威光や威力で、相手をおさえつける事』

となっていますが、そもそもこの

『圧力をかける行為』

ということについて今回は触れてみたいと思っています。

 

先日とある方々が、それも麻雀が打てる人たちの中でもこんな話題になりました。

つまり『あなた(その方)の打ち方は威圧的で怖いから直すべきだ』ということなんですが、ここから話しはこじれにこじれ、ディベートというよりは半分喧嘩みたいになってしまいました。

 

打てる方たちですらこうなるわけですから、一般的な打ち手は問題にしないだけで、随分色んな辛い経験をしているのかなーなんて思っています。

 

まぁ麻雀に限らず、威圧的な行為・態度って一言で言うと『怖くてイヤ』ですよね。一般的には。

歩いていたら前から萬田銀次郎みたいな人が歩いてきたら、それだけで目線を切りますもんね(笑)

 

しかし、問題を解決する時は、そもそもの根底から考えなおす、というのが侍の持論ですので、考えてみよう。

 

そもそも、麻雀において『圧をかける』ということはいけない事なんだろうか?

 

例えばスポーツで考えてみると、気合を入れるために雄たけびを上げるシーンはよくある。これは気合の表れとして誰も文句を言わない。

 

もちろん麻雀では雄たけびなんかあげたら首根っこ掴まれて外へぽーいですけども(笑)、ただ闘牌をみていると『気合の一打ですねー』なんてシーンはよくある。

 

これは決して強打で無いにしても、例えばリーチに対してドラを押したりすると、これは脅威でしかない。気合の入った打牌ではあるけど、同時に充分他家に対して『圧はかかっている』と言える。

 

これを『怖いからやめてくれ』と言えるでしょうか?

 

またね、わたくし事ですが、常に笑顔で打つように心がけています。笑顔は言い過ぎかな、楽しそうにって感じ。

 

なんでって言いますと、僕は目が細くて、ぼーっと無表情で打ってると、ただただそれでキレながら打ってるように見られるんですよ。

それで後輩たちから

『侍さん、後輩に無駄な気を使わせるんやめてもらっていいですか?』

とか言われる、ダメ先輩なんですがw

 

このように

『全く意図していないのに知らない間に圧がかかっている』

というケースは腐るほどあると思っています。

 

例えば強い人が普通に打っている。強打だってしない。でもその人が打っているだけでもう一般的な打ち手には圧がかかっているわけです。

 

その人のアクション一つですら怖く感じるわけですから、これはもう圧がかかっていると言わざるを得ないですが、かといってこの方に非があるでしょうか?

 

また、色んなスポーツが『フェアプレー』を謳う中でも、反則すれすれの行為は、これ当然あるわけです。言っちゃえば、それ込みでその競技と言える。

 

プロレスは『反則は5秒以内までOK』となっているわけで、ヒール軍団が反則をしたから卑怯だという人はいたとしても、それで、『反則をするかもしれないぞ、こいつら』という圧をかけてるから卑怯だという人はいない。

 

囲碁や将棋の世界では黙って黙々と刺すというイメージがあるかもしれないけれど、実際は待ち時間に扇子をパチパチさせたりとか、長くなると散歩に出たりなんていう陽動作戦的なものもあると聞いた事があります。

 

これなどはもう立派な『無言のプレッシャー』ですが、これが卑怯だからやめてくれという棋士はおらず、これ込みで対局が成り立っているわけです。

 

麻雀ではどうでしょう。

麻雀は切ってから自分の番が回るまではおそらく10秒弱の時間があるわけですね。ひとり頭2~3秒弱ってところでしょうか。

 

それだけあれば煙草に火をつけたり、ジュースを飲んだりは充分出来るんですが、ある人が切るのにほんの一瞬止まった。その瞬間に例えばジュースを飲んだとする。

 

これ、止まった人は多少思うかもしれない。

『この人、自分が切るの遅いと思ったからジュースでも飲むかってなったのか』

なんてことを。だとすればこれは充分に圧がかかったと言える。

 

ということは、喉が渇いてジュースすら飲めない。終電が気になったから時計を見たいけど、時計すら見れないなんて事態にもなる。

仮にホントに『遅っせーな、切るの』と思いながらだとしても、規制まではできません。

 

また打てる側の人の意見で言えば、初心者が切った牌にピクついた。初心者の方には大変申し訳ないですが、これとて立派な『圧』といえます。だってピクってなったら怖いですもん。なんかあるのかなって思うし。

 

結局、

『圧をかけちゃいけない』

というのが仮に正解だとしても、これも強打と一緒で、規制をするという事はほぼ不可能と言えると僕は思っています。

 

これを規制することは、つまりその全てが規制の対象とならざるを得なくなり、簡単に言うと『麻雀が打てなくなる』という事態になりますから。

『すごく怖いんでドラとか切らないでもらえますか?』って言います?(笑)

 

結局はね、メールと同じですよ。

相手の気持ちを考えて、例えイヤだなーと思ったり感じたりしても、許す。認める。

この気持ちが大事だと思いますよ。

 

仮に『めんどくせーな、うぜーな』って思われていたとしても、ですね。うん、メールと一緒。

みんな仲良く。これがやっぱり基本だと僕は思うなぁ。