★感性論哲学、ドラッカー、そして易経をコラボして行くと
そこに何が見えてくるのでしょうか?
一つの宇宙、天というものを
角度を変えて見ているような気がしてなりません。
それを見たくて、感じたくて、ブログしています。
よろしかったら、あなたもお付き合いしてくれませんか。
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【 感性論哲学・日々の言葉 2012/12/1(土)】
153
身体における絶えざる新陳代謝、物質交代によって
身体を形成している物質的素材は、
全く新たなるものになってしまっているにもかかわらず、
なおかつ、私は自己認識において私であり、
他のものにはなっていないということ、
すなわち、「私」は相変わらず「私」であるという自己同一性を
維持し続ける事が出来ているのは、
私が、生まれて以来このかた、
他のあらゆる存在や外界からの事実的に区別されて存在している
同一の個体・同一の身体性において存在して来たという事実によるのである。
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【 ドラッカーの金言 11/30(金) 】
もし、それが意味のある変化であるならば、
いかなる機会をもたらすか。
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【一日遅れの「易経一日一言」(竹村亜希子著・致知出版社)より】
~帝王学の書~11月30日の『易経一日一言』(致知出版社)
☆幾と機と期を観る☆
「幾」は、「ごく僅(わず)か」「兆し」「機微」を意味する。
「機」は仕掛けを動かす小さな木軸。
そこから、物事の仕組みのツボ・勘所という意味がある。
「期」は約束された時。時が熟し、満ちることである。
「幾と機と期を観る」とは、物事を成し遂げるために必要な力である。
ごくわずかな物事の変化の兆しを察し、
その物事を動かす勘所に焦点を合わせたら、後は、
時の熟するのを待つことが大切である。
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