死に様アニメーター、異世界デスマーチへ行く | テツになる勇気。

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テツってのはね、乗ってりゃいいってモンじゃない。撮ってりゃイイってもんでもない。スジって一人でニヤけていたら通報寸前w。
そう、テツってのは、語ってナンボなのよ(マジかっ

 

死に方だけを描く。それが俺の仕事だった。名は日暮 凛太郎(ひぐらし りんたろう)、32歳。業界では"デスアニ"の名で知られる、ゲーム業界のちょっと変わったアニメーターだ。

俺が手がけるのは、キャラクターが死ぬ瞬間のモーション。剣で貫かれる。炎に包まれる。崖から落ちる。魔法で消し炭になる。プレイヤーが気持ちよく倒せるように、鮮やかに、そして美しく――死ぬ。その一瞬の芸術性に命を懸けていた。

そんな俺が、ある日徹夜明けのオフィスで倒れた。

気がつくと、そこは異世界だった。

 


「ここは“レイヴニア王国”。勇者様、どうかこの世界を救ってください!」

俺を起こしたのは、青と赤のグラデーションが美しい髪を持つ少女、セリアだった。言葉は理解できた。不思議と。異世界テンプレだが、細部の彩度が異様に高い。

空はコバルトブルー、草は絵の具のように濃く、血は宝石のように赤い。

だが、俺は勇者ではなかった。剣も魔法も使えない。

「俺、死に方の専門家なんだが」

そう言うと、セリアはしばらく沈黙し、次にこう言った。

「……それって、最高の才能かもしれません」

 


レイヴニア王国は滅びかけていた。

“死に様”に意味がある世界。英雄がどんな風に散ったか、それが後世の魔力や伝説として残る。だが、最近の戦士たちは皆、ダサい死に方をしてしまうらしい。死に様がカッコ悪いと、後世に魔法が継がれない。人々は“演出家”を求めていた。

そこで俺に白羽の矢が立った。

俺は王の前でこう言った。 「生き様は編集できないが、死に様は演出できる」

こうして俺は、デスマーチを始めた。

 


最初の任務は、戦地に赴き、死にかけの英雄たちの“最期”を演出すること。

ある日は老騎士に、剣を掲げての散り際を指示。

「この角度で太陽を背にして、胸を張ってください。そう、光が剣に反射して……いいですね、今!」

またある日は魔法使いの少女に、詠唱の最期までをカメラワークのように描写。

「詠唱の途中で崩れるのではなく、最後の一節まで言い切って。涙は、左目だけで流して……完璧だ」

 


だが、命は舞台ではない。誰もが望むようには死ねない。

俺の演出に救われたと笑う者もいたが、死に切れず苦しむ者もいた。

そして、俺自身がいつしか“死に様”に取り憑かれていった。美しい最期、美しい死、そればかりを追い求めるようになっていた。

ある夜、セリアが泣きながら言った。 「あなたは生きることを忘れている」

彼女はかつて兄を戦で失っていた。兄は醜く、汚れた死に方をしたという。だが、それでも彼は英雄だった。

「きれいな死に方なんて、ただの幻想だよ。生きた証は、残された人の心にしかない」

その言葉に、俺は初めて“死に様”ではなく“生き様”を考えた。

 


最終決戦の日、俺は王命で“最後の演出”を任された。

セリアの命を賭けた魔法。

だが俺は、違う選択をした。

「誰も死なせない演出をしてみたい」

魔法を分散し、敵も味方も生かす奇跡の構図を描いた。

演出ではなく、生き延びるための脚本。

それは今までで一番、不格好で、だが最高に輝いたシーンだった。

 


帰還の魔法が発動し、俺は元の世界へ戻った。

目が覚めたのは、オフィスのデスク。

「……戻ってきたのか」

だが、モニターには異世界で描いたラフ画があった。

セリアが、生き延びた者たちと笑っている構図。

俺は、それを清書している自分に気づいた。

死に方ばかりを追っていた俺が、今は“生きた証”を描いている。

人生は、儚い。だが、その儚さこそが、色彩を与える。

そう信じられるようになったのは――あの世界で、死と生の狭間を駆け抜けたからだった。