ヤッパくんです。
今回はちょっと自分の仕事や勉強とは別のお話です。
先日、自分の息子が幼稚園をめでたく卒園しました。
留年もなく、立派なもんです。(←念のため、これはネタですよ笑。)
卒園式に参列するのは、長男に続いて2度目。既に一度経験済ではありましたが、園児と先生のお別れのあいさつや、みんなで最後の「お歌」を歌うなどのイベントの連続に、やはり最後はしんみりしてしまいますね。
親としては、別に卒園式を終えても自分の子供にはまたこれからもいやというほど会えますし、正直ヨソのお子様にはそれほど興味もございませんので(暴言失礼汗)、ひとつの節目を終えたなという実感しかありませんが、先生達にとっては本当にこれが最後の園児たちとのお別れです。そんな「感情」が、式の前後にもそこばしこに感じられて、こっちまでちょっと胸に来るものがあります。
なるほど、幼稚園教諭というものは、残酷な職業だな、と。
なぜならば、1年ごとに、毎回「お別れ」を経験しなければならないから。
一年ごとに、自分がかかわってきた人間の大半が入れ替わってしまう職業というものは、そうないのではないかと思います。なんせ、年長クラスの担任ともなれば、30人程度の子供と1年、家族のような付き合いをしながらその先には明確な「お別れ」が待っています。
ということは、「卒業」のある小学生以上の教諭も同じではないかというと、そこは根底から違う。
小学生以上が「卒業」するときには、卒業する児童・生徒もその重みを理解できるようになっています。だから、「先生さようなら」と姿勢を正して別れを告げ、去っていくでしょう。しかるに幼稚園児というものはその重みがなんなのか、理解をしていません。
さしずめ園児の心境とすれば、
「きょうホンバンだって、ホ・ン・バ・ン!ちゃんとレンシュウしたとおりセンセイにオハナわたせるかな?ドキドキ。あれ、センセイなんでないてるの?ほえ?」
みたいな感じで、なんだかよく分からないまま幼稚園での最後の儀式を終えてしまいます。
先生との最後のお話の時間も、なんだかよく分からないまま真面目に聞いたり、となりの子供にちょっかいを出したりしてます。到底、別れの重さを理解している年ではありません。
しかるに、その別れの重さは、片側の先生だけに重くのしかかってきます。
幼稚園の舞台となった年長クラスの教室は、先生と園児の思い出がたくさん詰まっていました。
クラスの子全員のお誕生日の日、お泊り会など年を通して行ってきたイベントのスナップ写真、おともだちや先生の似顔絵など。先生自身が書いた「かわいいイラスト」もてんこ盛りです。
状況がよくわかっていない卒園児と教室で最後の別れをした後は、先生が一人でその「思い出の数々」をきれいさっぱり剥がしていくのでしょう。そのとき、どのような心境なんだろう、と思いました。
幼稚園教諭という職業は、意外に離職率が高いようです。高度な専門職であり、なるにも相当な苦労をするにも関わらず。人づてで聞いた話では、その幼稚園でも教諭を採用するときは、「最低でも5年は居てほしい」と園長に懇願されるとのこと。
離職の原因は、いろいろオトナの事情もあるようです。オトナの事情なら、どの業界にだってある。
しかし、それだけではないしんどさがあるのでは、と思いました。
仕事だからと割り切るべきところもあるかもしれないけど、20代の女性が中心のこの仕事。
自分の半分位の人生経験しか積み重ねていない彼女たちが日々直面している苦労に、賛辞の一つくらい送ってもいいんじゃないかと思ったので、書いてみました。
↓こんな事情をどっぷり抱えた幼稚園経営ですら、事例としては単なる1事例。
事例を解くときは、その重さを十二分に踏まえていかないといかんすね。
かといってマス目埋めるの止まっちゃいかんっ とか思ったらポチm(__)m
学校法人は診断士ネタにはそぐわないんじゃないかとツムジを曲げた貴方もポチm(__)m
どうぞよろしゅうお願いしますだ。ポチ。

にほんブログ村