![]() | 昭和と日本人 失敗の本質 (中経の文庫) Amazon |
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徳島県が過去最低、全国都道府県最低の投票率になったことは残念。台風の影響や与党有利の選挙情勢からなのでしょうね。
東京都知事・希望の党代表の小池百合子氏の愛読書は「失敗の本質」だといいます。氏が旧日本軍の失敗の本質を知り尽くしていたとしても今回の総選挙の結果にどう応えるか。本来持つ勘の鋭さ裏目に出て致命的失敗を起こしてしまった。
太平洋戦争までの日本の失敗が、結果的に対米従属という日本の戦後秩序をつくっていて簡単に脱却が出来なくなっています。むしろ安全保障面から脱却しようとはさらさら思えない状況なのかも。対米従属に挑戦した政治家は潰されてきた歴史もありますし。
読書メモ⤵︎
・新聞がリードした開戦への道~日本の新聞は国際連盟脱退の松岡洋右を国民的英雄と称え、脱退の是非については問題にしようとはしなかった
・満州国を承認せよ、妥協を断固拒否せよと新聞が政府に要求したようなもの
・国民は一方的な新聞報道を吹き込まれ、焦燥と鬱屈した孤立感と排外的な感情とをつのらせていった。単一民族神話にもとづく排外意識という昭和日本人のもつ精神の病。それは極度なまでの熱狂をともなう
・近代日本史が学校で満足に教えられていないのは歴史家の怠慢
・日露戦争は明治日本を世界五大強国のひとつの発展させた
・満州とは、対ロシア(ソビエト)にたいする国防の生命線としての満州であり、開拓・収奪が大いに可能な資源地帯としての満州、日本内地からの未開の沃野の人口流出先としての満州であった
・若き日の吉田茂は、対中国強硬派の外交官だった
・戦争にはもともと聖戦などというものはない。国の正義の旗印は例外なく国家利益の思想的粉飾にすぎない
・太平洋戦争をきっかけとして、アジアの植民地が独立を獲得したのは事実だが、侵略の側面のかなりあった「大東亜戦争」の免罪符とすのは歴史にたいして忠実なことだろうか?
・開戦勅書は、対英米戦争を自存自衛のための防衛戦争と規定していた
・真珠湾奇襲やマレー半島奇襲上陸は他国領土への「侵略」ではなく「自衛権の行使である」と東京裁判では一貫して日本側は論じぬいた
・アメリカには世界輿論にそった政策が基礎にあった、日本の政策には伝統的な国際法観で理論武装を固めたにすぎなかった点に根因があった
・当時の指導者は、大きな力をもつ世界輿論を無視し、独善的な政策のもと、自衛権を過信した
・「大東亜戦争」は大東亜新秩序建設を目的とする戦争とした
・山本五十六は、熱狂し熱情にかられ動揺しやすい国民性を知っていた。日本人の集団主義にたいする恐れを抱き続けた
・日露戦争は日本帝国にとっては惨勝であった。戦費は国家予算の8倍に相当する額だった
・政党の凋落は官僚制の強化につながることは歴史の教訓
・戦後日本は皇国史観復活などありえないほどに、強固な民主国家を築いてきた
・組織というモノは、失敗の研究を徹底的にし、その責任を明らかにしようとはしないもの
・日本はかつて、そしていまも、自身の構想はなく、常に外側の圧力によって軌道を修正し、調節して政策らしきものをつくってきた
・日本の行動のことごとくが、ハル国務長官らから単に南方への侵略政策をごまかすためのものとみられていた
・太平洋戦争にかんする戦後の論調では、陸軍悪玉・海軍善玉論がすっかり定着してしまった
・昭和10年 の国力の差
鉄鋼生産 米 3464万トン 日480万トン
原油生産高 米 13,491万トン 日27万トン
国民所得 米 1676億円(1412円/人) 日 112億(165円/人)
・太平洋戦争での戦艦群が戦局におよぼした影響はほとんどない。戦局を決定づけたのは、航空母艦を中心とする高速機動部隊や潜水艦による徹底的な通商破壊戦によってであった
・軍人はつねに過去の戦争を戦う
・昭和20年初めの時点で大日本帝国には勝利はおろか、有利な講和をのぞめるチャンスは百に一つもなかったことは明らか。連合国が戦争終結の条件を日本を無条件降伏以外にない、と決めたのは昭和18年11月のこと
・日本本土が戦場となることを運命づけられたのは昭和19年7月のサイパン島とマリアナ諸島の陥落によって
・日本が太平洋戦争を決議したとき、当時の政府と軍部は戦争終結のカタチを研究しないであなたまかせで突入した
・昭和20年3月には日本分割案が出ていた
・ソビエトは樺太・千島という分け前をすでにもらっていた
・戦争終結は反対する軍部を抑えどうにか終戦に持ち込むことができた。日本分割の危機など国民誰も知らなかった
・ジョン・ガンサー「日本は天皇によって統治されているのではなく、天皇の名において統治されている」
・ポツダム宣言受諾は連合国にとっては、日本の降伏の意思表示にすぎなかった。国際法上の正式の降伏は降伏条項の正式調印であることを日本のトップはしっかりとわきまえていなかった
・戦後50年は、実利主義と出世主義と甘えの構造に色濃くそまった小さな世界と小さな人物
・鈴木貫太郎は政治力では及ばなかったが、終戦の大事業を成し遂げた源泉は無私無欲につきる