http://booklog.jp/item/1/B00MB2SSJ0

 

保守の論客の西部氏とリベラルの論客の佐高氏が近現代の偉人を題材に対談した内容を収録した本。政治思想が正反対といっていい二人が対談して面白いのは、確かに見解がまったく異なる部分もあるものの、歴史観や保守という思想にたいする考え方は見事なまでに一致していること。

 

もっとも、西部氏はかつて共産主義に傾倒し、どちらかといえば保守・反米の立場に立っているから他の親米保守とは合わないのかも。

 

 

 

読書メモ↓

 

田中角栄

S安岡正篤は戦後歴代首相の指南番であり精神的支柱の陽明学者。この安岡氏に傾いた人は、官僚出身。吉田・岸・池田・佐藤。石橋・三木・田中には安岡マジックは効かなかった

 

S安岡は親台・反共から日中国交正常化に大反対する。田中はノンイデオロギー

 

S戦後の政治・首相である程度アメリカに異を唱えたのは湛山と角栄

 

S田中角栄が進めた日中国交回復は当時としては暗殺もの

 

N戦前戦中は最高責任者は次々と右翼に殺されていた

 

S小泉がぶっつぶすと言った自民党は、実は自民党ではなく田中角栄であり経世会であり郵政

 

N角栄の数を確保するために金のために命をかける政治家が懐かしい

 

N田中角栄の子分たちはある意味で竹下さんも小沢さんも結局は角栄を裏切った。裏切っても構わないが裏切るなりの礼儀作法がある

 

毛沢東

S毛は過剰な革命家

 

N発展途上国は社会主義政権でもって動かしていくしかない(ジョーンロビンソン)

 

N大量死はヒトラー・スターリン・毛沢東。大躍進政策では一千万人以上が飢え死にさせられたとされる

 

S毛沢東の革命理論に農村が都市を包囲するというものがあって共感したこともあった

 

N近代中国は歴史のつながりを断ち切って革命中国にしようとした

 

N歴史を見れば日本人ごときに中国の歴史的な総体を軽んじる資格も権利も力量もあるわけがない

 

三島由紀夫

S三輪明宏によれば、三島由紀夫という人は全部与えられた人生だった、と

 

S三島は愛に対して水準が高かった。愛国心という言い方が三島は嫌いで、愛は強制されるものではなく解き放つというものだと

 

S愛と国を並べることが三島さんには耐えられなかったのではないか

 

N盾の会では、人間というのは死を賭して行動しなければ、言葉それ自体はむなしいものだとした

 

S三島が死ぬと手のひらを返した政治家をみると、逃げなきゃ生きていけない人が政治家だとわかる

 

N英霊の声が自分の頭に張り付いていたのがあったのかも

 

チェ・ゲバラ

Sアメリカは資本主義の本山、中南米は資本主義の裏庭

 

Sアメリカはアメリカ一国だけではなくアメリカ大陸全体で資本主義をやっていて、大陸全体を資本主義の実験場であったり搾取の対象としてきた

 

JFK

Sケネディは挫折すべき理想主義

 

S日本人はケネディ神話を信じてしまっているが、ケネディといえばベトナム戦争を推進した人

 

Nデモクラシーをかきたてるのがアメリカ。その点デモクラシーは危なさを秘めている

 

Nアメリカの語源はアメリゴ・ベスプッチという詐欺師。本当はコロンブスが先に大陸に到着していた

 

Nリベラルといのは自由勝手気ままに近い意味合いも。アメリカの自由とは弱者救済ではなくものすごい差別社会。ひとまず差別構造をなくす意味で福祉政策エトセトラを行う、そこからの自由だというそういう段取りの中で意味が変わってしまった。日本人はリベラルという言葉をアメリカ式に使っているのはいかがなものか

 

親鸞

S宗教の歴史は、常に腐敗が蓄積されては改革を繰り返している歴史

 

N日本はハイブリッド。雑種文化。だから自分の立ち位置を確認する必要がある

 

司馬遼太郎と松本清張

N司馬さんは大東亜戦争・第二次世界大戦はクレージーだった、間違いだったことを認めた上で、日本の歴史も国家も大事だと言わんがために司馬史観というものに寄り添った

 

N司馬先生は日本の各地域のいろんな歴史性とか慣習、伝統を掘り起こしてゆく。でもそれらを中央集権という枠組みを作って埋もれさせたのは明治政府なのではないか

 

S日銀→ルワンダ中央銀行総裁となった服部正也氏は「戦に勝つのは兵が強いから。戦に負けるのは将が弱いからだ」と書いているが司馬遼太郎はその逆を主張したと思う

 

マイケル・サンデル

N売り手のほうが豊富な情報を持っている。情報格差がある

 

N情報という言葉は日露戦争の前後に森鴎外の時代に創られた「敵情報告」

 

S富の再配分をめぐる議論でこの考え方に功利主義者の一部は、効率の課税が働くことや投資への意欲を減退させることを懸念し異論を唱える。また課税は自分の金を好きなように使う自由、基本的な権利を侵害するおそれがある、とした理由で富の再分配に反対する人をリバタリアンと呼ぶ