![]() | 戦後経済史 1,728円 Amazon |
http://booklog.jp/item/1/4492371184
野口悠紀雄氏がまとめた、日本戦後経済史と自らの人生の歩みを重ね合わせたわかりやすい本。
氏は大蔵省出身、経済学者であるが故に官僚を熟知している上に、日本経済の真の成長への提言を豊富なデータと客観的な分析力、そして自らの半生を盛り込んだ戦後日本経済について評価と危機感をはっきりと盛り込んでいます。
氏の主張で、なるほどと思うことは、
1940年体制と名付けた当時の戦時体制構築のためにつくられた諸構造が、戦後日本に温存され、高度成長の原動力となったが、世界経済の環境変化で1940年体制そのものを脱却しないと日本経済の発展はなくなる危険性さえある
部分にあります。氏の分析力は定評がありながら、政府の経済政策への批判に政府が応えているとはいえないこと。氏の分析は今後事実で証明されることになるでしょう。
読書メモ↓
・1940年体制の始まりと終わりを筆者は見てきた
・1945年3月10日、東京大空襲に遭った。10万人亡くなった。その原因は日本軍が防衛できなかった、空襲が科学的・効率的に行われたこと。3月10日の経験は助けてくれなかったこと、究極の危機を知らせてくれなかったことが、国家への不信の原点
・敗戦を覚悟した国家や軍が最初にすべきことは、攻撃戦域や被占領地域にある非戦闘員の安全を図ること。少なくともヨーロッパ戦史ではそれが実行されていた。日本の場合は国も軍も厳しい敗戦の国際常識すら無視であった。(半藤一利)
・1945年5月にドイツが降伏していたにもかかわらず、日本が戦争を継続したのは、誰も戦争の責任を取りたくなかったから
・1940年、革新官僚たちは、第二次世界大戦を遂行し国家の総力を戦争に振り向ける国家総動員体制をつくった。彼らがつくった経済制度は戦後もほぼそのままの形で生き残り、戦後日本の基本を形成した
・革新官僚とは、満州国に派遣されて、国家経営に当たっていた官僚群。その中心人物は岸信介。41年に商工大臣となり、彼ら統制派が商工省を掌握した。彼らの理念は産業の国家統制。企業は公共の利益に奉仕すべきであり、不労所得で生活する特権階級の存在を許してはならない、とする考えは社会主義の思想であり、岸は日本型社会主義経済の建設を目指した
・革新官僚は、直接金融から間接金融へと
・1942年の日本銀行法は戦時体制の統制的金融改革の仕上げだった
・ドイツに続いて1940年には源泉徴収制度が導入された
・日本の大企業は、純粋に戦後生まれの企業はソニーとホンダしかない
・経団連の母体は、戦時中につくられた統制会と統制会の上部機構である、重要産業協議会
・こうした「1940年体制」は戦時につくられた経済体制であり、終戦によっても生き残り戦後日本経済の基盤となった
・戦時期につくられた国家総動員体制が戦後経済の復興をもたらし、戦時期成長した企業が高度成長を実現した
・40年体制史観からすれば安倍内閣の経済政策は、戦後レジュームからの脱却ではなく、國の関与を強めようとする戦時・戦後体制への復帰
・占領期、軍需省は商工省に看板替え
・大蔵省や商工省など経済官庁は公職追放から逃れた
・GHQは日本の官庁の実態に無知だった
・金融機関は無傷で残った。GHQは大銀行が企業を資金面から支配する日本型の仕組みを理解していなかった
・占領軍の将校が日本人と話をするのは英語で官僚と。官僚は都合のいい情報しか占領軍に伝えなかった。占領軍をコントロールすることは容易だった
・1947年の国家公務員法はフーバー顧問団の草案を官僚が骨抜きにして国会通過させてしまったもの
・日本では官僚の政治任用という制度が存在していない
・西ドイツでも戦後経済政策の実施は、ナチ時代のテクノクラートが重要な役割を果たした。官僚機構が温存されたのは日本だけではない
・日本型経営と呼ばれる経営スタイルは戦時中に原形が作られた
大企業経営者のほぼすべてが内部昇進者であること、直接金融から間接金融への転換を進めたこと
・日本の労働組合の特殊性、企業別の組織がほとんどであること(1938年の産業報国連盟が母体)
・企業別組合は会社と運命共同体。これが高度成長に大きく寄与した
・戦後の日本を特徴づける企業の経営スタイルと労使関係はいずれもが戦時期にルーツを持っている
・日本型経営の企業は、経営トップから現場の作業員まで、全員が共通の目的のために協力するという意味で軍隊と同じ性格の組織
・敗戦時、日本経済のためにまず行われたのは金融機関の救済
・日本では工場のインフラの大部分が壊滅したため、新しい時代に適合した社会インフラを作ることができた
・戦後の高率のインフレは庶民は苦しかったが影響は比較的少なく、多額の金融資産や不動産を所有する地主や富裕層が大きな被害を被った
・46年の財産税法は個人所有の財産に対して税を課し、1500万円超の税率は90%だった。これによって、日本の地主階級と富裕層は没落した
・ヨーロッパでは貴族や資本家層が温存されたが、日本は戦前の支配階級が戦後一掃され中流の社会構造の基本が作られた
・インフレにより、国債の実質価値が低下し、戦時国債の重圧から逃れられ、財政は健全化した
・日本の戦後税制の基本は、シャウプ勧告というより、40年の税制改革によって確立されたもの
・40年の税制改正で特筆されるのは給与所得の源泉徴収が導入されたこと
・中国の大躍進政策などの迷走で西側先進諸国に対して経済的な鎖国を続けたことが、日本の経済成長の基盤を作った
・戦後の日本は、(1940年体制として)金利抑制と金融鎖国の下にあった
・日本の経済官僚制度は、完全にクリーンではなかったが、国民の不満を爆発させるような腐敗には至らなかった
・1954年12月~神武景気、55年体制の誕生は政治の基本的な体制として確立した
・1954年当時、高校進学率は50%、大学進学率は10%ほど。勉強できるのは大変贅沢だった
・GHQは日本経済についてはほとんど何も知らなかった。日本のテクノクラートたちが占領軍の権威を利用して、改革を実現させた
・官僚を中心とする戦時体制がそのまま機能した。戦後経済の復興は、戦時下で確率された40年体制が実現し、行動経済成長に向かう重要なステップだった「1940年体制史観」と命名(野口)
・池田内閣の10年での所得倍増計画は日本の成長力からみれば控えめな計画
・60~66年に日本お国民所得は2.3倍に
・日本では経済成長率の高さが、産業構造の変革を助けた
・日本国民は農家保護政策を受け入れ、戦後の所得格差の拡大が抑えられた
・野口氏、大蔵省入省時の大蔵大臣は田中角栄(45)
・野口氏、政府の懸賞論文「21世紀の日本」を作成、最優秀総理大臣賞
・中国は1970年代半ばまで鎖国状態、これが日本の高度成長の恩人
・GDPに占める輸出額は高度成長期を通じて15%日本は2000年代まで内需主導だった
・1963年GATT11条国に移行。貿易自由化の国に
・国の豊かさを決めるものは何なのか?がはっきりした答えが得られていない
・イギリス1967年ポンドをドルに対して14%切り下げ。日独の非アングロサクソン型経済体制が優位に
・ニクソンショック、金とドルとの兌換停止。国際通貨体制は固定相場制から変動相場制に
・円高傾向にもかかわらず、80年代に入って貿易黒字が増加し株価も上昇した
・大蔵省は形式にとらわれない効率第一主義だった
・74年はオイルショックの余波から消費者物価上昇率が23%になった
・オイルショック後、物価が上がり経済成長率が下がり、失業率も高くなった。これをスタグフレーションと呼ぶ
・日本は金利自由化に失敗し、バブルを引き起こした
・オイルショックを乗り切ったのは、為替レート円高の進行、賃上げを労組が自主的に抑制し会社の存続を優先したから。これは1940年体制によりもたらされた勝利
・このときに日本経済システムに対する過大な評価が定着した
・1980年代後半~90年代にかけて世界経済の基本的条件が転換していく際に、戦時的な体制の無条件な礼賛が日本経済が大きな環境変化に対応できない原因をつくった
・1940年体制の軛が現在の日本においても日本経済の発展を阻害し続けている
・1980年代は世界経済に対する日本の地位が飛躍的に高まった時代
・「シリコンバレーのアメリカ企業は日本を見習うべき」「日本こそが未来の世界経済の中心になる」と言われた時代
・80年代は金ピカ時代ではなく、「金メッキ」理由は、アメリカの大学は日本の大学に比べて圧倒的に強かったこと、デトロイトの荒廃は中心部だけだった
・65年~アメリカの対日貿易収支は赤字に 繊維→鉄鋼→電化製品・半導体・自動車に
・日本の金融・資本市場は80年代でも閉鎖的だった。が80年代以降金融制度を徐々に自由化し、貿易黒字の縮小を目標とするようになった
・1980年代は逆石油ショックが。一バレル10ドルまで下落。99年まで20ドル前後
・円高の進行。1985年のプラザ合意から円はドルに対して6割上昇
・86-87年の異常な金融緩和によってバブルを引き起こした
・80年代は社会主義国の機能不全が誰の目にも明らかになった
・イギリスはサッチャリズムと呼ばれた新自由主義的経済政策を推進した。国営事業の民営化、金融部門の外資規制緩和、税制では所得税減税と付加価値税の増税。アメリカもレーガンが大統領に(1981)
・ゴルバチョフのペレストロイカとグラスノスチ
・80年代末に東欧の共産主義政権が崩壊(ポーランド・ハンガリー・チェコ・スロバキア・ユーゴスラビア・ルーマニア)
・土光臨調で、財政健全化・国鉄、電電公社、専売公社の民営化を提言
・日本は社会資本を整備してきたが、大都市の通勤路線は貧弱なまま放置されてきた
・86年ころ東京がアジアの金融中心地になるという期待から地価が上昇。土地バブルが加速
・株価も上昇。日本企業の時価総額はアメリカ企業の1.5倍、世界の45%まで膨張
・ジャパンマネーが世界を買った時代
・日本の土地資産の総額は89年末で2000兆円になり、アメリカの4倍に
・自分の国に誇りを持てるのは大変重要。ただし、それは客観的な事実に裏付けられている場合
・勤勉に働くことが正当に報われず、虚業と浮利と悪徳商法が富をもたらす状況は人間の尊厳を傷つける
・都市的な用途に充てうる可住地面積は日本は狭くない
・日本は都市の利用度が低い。パリやNYに比べて東京の容積率は著しく低い。その現認は戦時中に改正借地法や借家法
・強い借地権借家権は1940年代の産物。これが富の平等化に大きな役割を果たしたが80年代には土地を保有している人ととそうでない人の間で大きな格差を生む元凶に変質した
・土地保有にかかわる税(固定資産税と相続税)の負担率が低い
・土地の高度利用を阻んでいるこれらの制度が土地を高騰させている真の原因
・「バブル」は実需の増加に伴うものではなく、将来に対する過大な期待と金融緩和によてt引き起こされた一時的な高騰だった
・80年代後半に1940年体制が必要なくなった理由①企業が必要な資金を資本市場から直接調達できるようになった(株式・転換社債・CPなど)②企業側に旺盛な資金需要がなくなった
・経済の国際化や自由化が日本に及び戦時金融体制が使命を終えた
・80年代のバブルとは、戦時経済システムである40年体制が、退場を宣告されたにもかかわらず、生き延びようとしたために引き起こされた必然の結果だった
・日銀は89年12月に三重野総裁が就任し、以後金融引き締めを実施
・株価は落ちたが91年9月まで土地は上がり続けていた。しかし91年7月から地価も下落に
・日米のひとりあたりGDPは87~95年はアメリカより高かった
・旧長銀・日債銀には11兆円超の公的資金が投入されうち7兆7千億円あまりの損失が確定した。2003年までに10兆4300億円あまりが国民負担となった
・日本はバブルの処理に10年、アメリカはリーマンショックの処理に1年
・全国の銀行の不良債権処理額は92-06年まで96兆7800億円余り
・日本で90年代以降法人税の税収が激減した主な原因は不良債権処理
・現在は日銀が異次元金融緩和の名の下に異常なほどの大量の国債を購入
・大蔵省が強力な権限を持つ省庁となったのは明治新政府以降
・バブル崩壊後の銀行破たんでは破たんの真の原因を作った人が断罪されていない
・中国工業化の発端は78年の鄧小平改革開放路線から
・90年代半ば中国の国有企業の改革が始まり、株式会社化や民営化が進んだ
・中国は2009年に自動車生産世界一に
・中国メーカーは巨額の研究開発費を投じ、世界各国に研究拠点を設けて技術開発を進め、技術的にも日本を凌ぎつつある
・経済的な観点から見たIT革命の意味は、情報処理コストと通信コストが劇的に低下したこと
・90年代にインターネットが一般化すると、通信コストがゼロに近づいた
・製造業は垂直統合型から水平分業型の生産方式へ。中国が工業化し、通信コストが低下したため複数の企業が市場を通じて作業を分担することが容易になった
・アップル型アップルは製品の開発と設計、販売という入口出口の作業を行うだけ
・先進国がめざすべき道は、開発や研究という付加価値の高い分野に特化し、中国企業と棲み分けていくこと
・日本型組織の基本条件は1940年代体制に適合するものだったが、それ故に80.90年代に生まれた新しい情報通信技術には不適合だった。IT革命の恩恵を社会全体として受けることができなかった
・現代の世界は、日本が大発展を遂げた時代とはまったく別ものに。そのために1940年体制からの脱却が必要
・実質為替レート指数は90年代半ばを境に長期的な円安傾向に
・中国が工業化して日本と同じ生産活動を行うようになれば日本の賃金は長期気には中国波に低下していく
・賃金低下の逃れるには、中国ではできない経済活動を行う=生産性の高い新しい産業を誕生させる、しか方法はない
・アメリカはかつての自動車など製造業から、アップルのような水平分業型の製造業やグーグルのようなIT関連の新しいサービス業、金融部門が発達しアメリカ産業の中心になった
・日本では2004年からの円安で重厚長大産業の経営が好転。国内回帰に警鐘を鳴らした
・リーマンショック後は円高に。イギリスやヨーロッパでは住宅バブルに
・実質経済成長率が10%を超えると革命は起きない。明日が確実に豊かになる社会は体制の変更を求めない
・小泉政権の郵政民営化は政治的には田中派支配を切り崩したが経済的にはさして重要ではない。小泉は日本を改革したわけではない
・世界経済のの構造変化への対応は円安ではできない。円安になれば輸出産業の利益が増えるので株価があがるため、経済がよくなったと錯覚する
・まじめに働かなくても豊かになれる。円安と金融緩和で日本経済がよくなる、という考え方に多くの日本人が捕われてしまった
・介護問題は日本全体の所得を増加させることによってしか解決できない
・日本人は物質的な備えがない限り、生命の安全を守ることができない、ということを戦争で心の底から思い知らされた
・日本人は竹やりとバケツで高齢化社会に立ち向かえ、と言っている
・豊かになるためには働く必要がある
・1970年ころまでの技術は重厚長大型、垂直統合型の生産方式に有利で、国の関与が大きな役割を果たした
・安倍内閣の経済政策は市場の役割を否定し、国の介入を強めるもの
・安倍内閣が目指しのは、戦後レジュームからの脱却ではなく、経済政策に関する限り、40年体制の復活であり、戦後レジュームへの執着
・日本企業、製造業の最大の問題は、過剰な雇用を調整できないこと。これが国際競争力を失っている
・戦後70年、これだけの期間、同一の体制が外部環境の変化にもかかわらず不変のままで維持できるはずがない
・本当の成長戦略は、政府が競争環境を整えること。競争に残った産業が新しい成長産業
・制度や組織が働きたい、という人々の欲求に応えられるものになっているかどうか
・戦後70年、日本人の基本的なものの考え方を転換する時点に