- 世界でもっとも貧しい大統領 ホセ・ムヒカの言葉/双葉社
- ¥1,080
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http://booklog.jp/item/1/4575309044
参議院選挙の関係で、政治ネタが多いですが。
大統領でありながら、収入の約9割を寄附し、毎月1000ドルで生活し、1987年製のクルマを使い、質素な家に住み続けている「世界でもっとも貧しい大統領」南米ウルグアイの第40代大統領(2010-2015)ホセ・ムヒカが2016年4月に来日して話題になり、一時売り切れとなった本です。
大統領が、2012年リオ会議で行ったスピーチhttp://hana.bi/2012/07/mujica-speech-nihongo/ が世界に感動を与えました。
大統領は世界の現状を憂い、貧富の格差、グローバリゼーションのあり方、これらの問題解決のための政治と国連の無力について訴えました。
これは、大量消費社会・金融資本主義の行き過ぎで、格差を当たり前の固定概念として受け入れ、贅沢な消費を謳歌している一部の先進国民や富裕層、政治家などの権力者への強烈な警告と批判でもあります。
日本はこれからは高齢化少子化が進み続ける、経済成長どころかこれから少しずつ衰退し、いずれは財政破綻を迎えるやもしれません。
その中で、努力しながら経済成長を成し遂げ、世界に貢献することと同時に、所得が下がったとしてももう少しシンプルかつ質素な生活で幸せに暮らせる21世紀に相応しい新しい清貧的なライフスタイルを日本人は模索し実践することも必要でしょう。
ホセ・ムヒカのような清貧の生活は誰でもできるわけではないかも知れませんが、まずは自分の生き方とは?幸せとは?必要なものとは何かを考えると、自らの生き方やライフスタイルを見直すことで、政治に対しても、政治家に対しても、国や自治体の予算配分にしても、エネルギーや環境問題にしても、安全保障の問題にしても、そのあるべきそれぞれの姿を立ち止まって考える機会。
それが、今回の参議院選挙になればいいのではないかと思います。
読書メモ↓
・ウルグアイ東方共和国 第40代大統領 ホセ・ムヒカ リオ会議でのスピーチはもっとも衝撃的なスピーチだった
・「私は貧乏ではない。 質素なだけです。」
・世界でもっとも貧しい大統領 (在任 2010.3.1~2015.3.1)
・大統領官邸に住むことを拒み、妻が所有する小さな農場で暮らした。部屋は3つ。愛車は1987年生VWビートル。移動用に大統領専用車は使わない。妻は上院議員
・大統領の給料は29万ウルグアイペソ。日本円で131万円(2015)うち90%を慈善事業と所属政党に寄付残りは貯金。貯金は貧しい子どもたちを受け入れる農業学校をつくるため
・生活費は月1000ドル。妻の議員としての収入から。
・個人資産は愛車の1800ドルだけ 妻の資産は家と土地とトラクターで215,000ドル
・「貧乏とは欲が多すぎて満足できない人のことです」
・「私は持っているもので贅沢に暮らすことができます」
・私たちは欲しい物がどんどん手に入る生活こそ裕福である、という価値観の中で生きてきた。収入が増えると、それだけたくさんの物や、より高価な物が買えるようになり、それが豊かになることだと信じてきたし、それを張り合いにして働いてきたところもある
・「私たちは、まるで消費するためだけに生まれてきたかのようです。それができないとき、不満を持ち、貧しく、そして、自己疎外感を抱きます」
・プジョー製自転車を60年乗り続けている
・「質素は自由のための闘いです」「物であふれることが自由なのではなく、時間であふれることこそ自由なのです」
・贅沢な暮らしは無駄な時間をとられ、わずらわしい束縛。
・「人がものを買うときは、お金で買ってはいけない。そのお金を溜めるために割いた人生の時間で買っているのです」
・「私は消費主義を敵視しています。現在の超消費主義のお陰で、私たちはもっとも肝心なことを忘れてしまい、人類の幸福とはほとんど関係のないことに、人としての能力を無駄遣いしているのです」
・「人間のもっとも大事なものが生きる時間だとしたら、この消費主義社会はそのもっとお大事なものを奪っている」
・私たちが実行した社会モデル。改めて見直さなければならないのは、私たちのライフスタイル
・「スーツケースはいつも軽めで必要なものだけ。物をもつことで人生を複雑にするより、私には好きな事ができる自由な時間のほうが大切です」
・「余裕のある人には弱者を助ける義務がある。貧しい生活をしている人々の生活が改善されれば、我々の生活も良くなります」
・「人生はもらうだけでは駄目なのです。まずは自分の何かをあげること。どんなにボロクソな状態でも、必ず自分より悲惨な状態の人に何かをあげられます」
・「世界が物とお金と資源で溢れているなか、人に車を貸すことも惜しみ、貧乏人に手を差し伸べず、野良犬にご飯も家もあげないような、こんなにもセコい世界は他にあるのでしょうか。神様にあやまりたい」
・ウルグアイ 南米の共和制国家。人口約340万人、生活水準は安定、南米の唯一の福祉国家であり南米のスイス
・ムヒカの理念は、「世界を変えたいという強い思い」と「格差のない社会と自由を夢見」た
・「敗北者とは、闘いをやめた人のこと。人間は強い生き物であり、多くのことを乗り越えられる。悪いことは良いことを運んでくれる」
・「たくさんの物を持つことにこだわれば、それらのケアの人生の多大な時間を割かなければならなくなる。自分の時間は自分が好きなことに費やす。それが自由」
・ネクタイとは人生を複雑にするだけで、何の役にも立たないただの布(ムヒカ)
・1995年下院議員2005年農牧大臣2010年大統領。大統領就任時、勝者も敗者もない。支配者を選んだのではない。野党とも協調し、可能ならば与党以外からも閣僚を入れて政治を行っていく
・大統領になっても元の家に住み続けた。「私は国民の多数派と同じ生活をしているだけ」「ほとんどの大統領は少数派と同じような生活を送っている」
・国民の多数派と同様の生活を続ける理由は、「代表民主制は、多数派の人が決定権を持つ世界だから」
・「私たちの住む世界が多数派によって統治されなければならないとするなら、私たちは自らの視点の拠りどころを、少数派ではなく、多数派の視点に置くように努力をする必要があります」
・「もっとも良くないことは、国民から政治が嫌われること。そうなると、政治は失敗に終わります」
・警備は国民との壁になる
・貧困の撲滅を志し、金融政策の番犬となり、国家支出を厳正化した
・移動は愛車で。海外へはエコノミークラス。
・「政治というのは、ある人には有利でも別の人には不利になる、という選択肢を選ばなくてはなりません。マジョリティにいるのか、マイノリティにいるのか。中立でいられず、どちらを助けるかを決断しなくてはならないのが政治」
・「弾圧だけで問題を解決することはできない」
・「この地球上で、唯一価値のある中毒は「愛」だけ」
・「彼らが生きたいように生きること。それがベストです」
・「私は大統領ではありますが、個人的には神を信じていません」
・「世界は、地球全体、グローバルな法整備をする能力に欠けている。本来すべてをカバーすべき政治が弱体化しているからです。人間の生活が地球環境に危機を与えている、と言われますが、現在の無力な政治が問題であり、気づかないまま、このような社会に貢献をしてきたのです」
・「国連には権力、独立性がないため、世界で押し潰されそうになっている多数派の貧しい人を助けることができていません」
・無力な政治とは、「経済に屈し、金融システムをコントロールしない、単なる管理者」
・「政治はヒューマンリレーションズ(産業組織の中で当事者の人間的触れ合いによる生産性向上を考える)統治をすべき」
・「我々は健全な消費を考えなければなりません。必要なことに消費することで、市場を拡大することができる。そうすれば、雇用も増え、すべての人々に働く場所ができます。このようなことをせず、使い捨ての無駄なものを大量に生産し、それをイノベーションと呼んでいるのです」
・ムヒカ大統領の最後の支持率は65%
・ムヒカは一国会議員だが、今やラテンアメリカを代表する存在になりつつある
・「私の目標は、国内の不公平をちょっぴり減らすこと、もっとも弱い人々を助けること、ひとつの政治的な考え方や、前進するのに役立つような未来への視線のあり方を残すこと」
・資源と可能性に満ちた地球に、今までにない富の集中、貧富の差が見られる
・人間は無限に良くなっていく社会を作れる、と信じる
(転載許可済み・下線は筆者)
ムヒカ大統領のリオ会議スピーチ: (訳:打村明)
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会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。
ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。
しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。私たちの本音は何なのでしょうか?現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?
質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。
息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億~80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?
なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?
マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。
私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?
このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?
このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。
現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。
ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。
このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。
石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。
昔の賢明な方々、エピクロス 、セネカ やアイマラ民族 までこんなことを言っています
「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」
これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。
国の代表者としてリオ会議の決議や会合にそういう気持ちで参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。
根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。
私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、世界でもっとも美味しい1300万頭の牛が私の国にはあります。羊も800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。
私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。なぜか?バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。
そして自分にこんな質問を投げかけます:これが人類の運命なのか?私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。
幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。
ありがとうございました。