日本を思ふ (文春文庫)/文藝春秋
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内容は現代仮名遣いにしています。

福田恒存氏は戦後の保守派知識人の巨人であり、第一人者。福田氏の「日本を思ふ」は、氏の歴史・文化・日本近現代史・国際情勢に対する造詣の深さを感じます。氏は、明治維新からの日本の近代化は日本の独立を保つためにやむを得なかった面があるとしながらも、その勘違いや弱点を鋭く指摘していて、特に戦後日本の状況に対する憂いの思いが強く伝わってきます。

もちろん、その歴史観・憲法観については議論のあるところであり、主流派とは言えない部分(個人的にもすべて賛同しているわけではない)もありますが、事実の積み重ねと論理としての一定の説得力を持つのではないかと思います。特に天皇制や憲法観への見解についてはなるほど、と思わされるものがありますね。

●日本および日本人(1954)


・食べ物・思想・文物でも日本ほど次から次へと短い期間の間に雑多なものが流れ込んできた国はない。そのありさまは世界史上特筆すべき文化的大事件。日本人が呆然自失し、自己を失うのは当然。


・自己の弱点を肯定した上で西洋流の生き方に立ち向かうのでなければいつまでたっても劣等感は払拭されずいっそうひどくなる


・日本自身の特異性をもって世界の文化に寄与する、世界のことを考える考え方がすでに植民地的


・東京が文明開化でヨーロッパの都会に劣るのは舗装不完全であること


・日本人の道徳感の根底は美感


・もともと明確な宗教意識を持たなかった日本人は明治以降、儒教や武士道もあいまいになり、国民的道義の帰趨を失った。わずかに教育勅語がその空白を埋めていた


・日本人はいかに論理的に正しくても、全体の調和を欠いたものに対しては、本質的に疑いをもつ


・日本人の道徳感や美感にとって自己主張は醜いこと


・恋愛も日本人の場合情熱ではない。性の快楽は自己主張であり、姦淫も美化しなければ気がすまなかった


・すべてを美感で盛り上げ、美感で解決していこうとしたため、自我対他我という問題が道徳の領域まで持ち込まれずに終わった


・江戸時代は、遊郭も家庭も美化して同時に両者の併存が行われていた


・明治になって西洋文化が輸入されると、その人間観・道徳観・社会観の同時の流れ込みは、一般民衆よりも知識階級に混乱が起きた。欧米=近代、日本=封建という単純な観念にとらわれ、戦後いっそうひどくなった


・日本の進歩主義者は日本人の積極的な長所を否定しながら、消極的端緒によりかかっている


・近代日本の逆説的現実


・日本人には現実的な意味で、道徳的良心というものはない


・富国強兵策は、アジアをひとつのものとして欧米に対立させる立場は一見、アジアの自立独立民族主義ともいえるが、畢竟欧米を先進国とみなし、それにならい追い付こうとする目的から。この目的のためにはアジア個々の民族の差は無視され、あらゆることが前近代性、後進性というものに焦点が合わせられて論じられた


・非人格性は日本人特有のもの


・日本人は人と人との和を大切にする


・日本人は美的に潔癖であるかわりに、思想的論理的には潔癖ではない。形式的美徳に潔癖でありすぎたため、思想的に潔癖でないことをさほど気にしなかった


・勤勉は能率や義務の問題ではなく、美徳と調和の問題だった


・現代日本人の混乱は、和合を美とを生活の原理とする民族が、能率や権利義務を生活の原理とする西洋人の思想と制度を受け入れたことから生じている


・「すみません」という言葉は必ずしも自分の非を認めたことを意味しないで相手との摩擦を避けるための潤滑油として用いられる


・日本人は、はじめから自分の鏡に映らぬ相手を認めようとしないし、相手の鏡に映らぬ自分を持たない。これが島国根性。


・日本は先進国の植民地獲得の合法的なルールを無視してやったのがいけないので、結局はナショナリズムに慣れていなかった


・西洋人の生き方考え方の根幹をなすものは、言うまでもなくキリスト教。その最も顕著な特徴は超自然の絶対者としての神を定めたこと。これが日本人にはどうしてもわからない


・天皇は、明治以降日本人が常に対外的意識を持って生きねばならない必要に迫られ、そのための国家意識の中心として当時の指導者たちが天皇を神格化した。元来の天皇の地位は司祭者であり神ではなかった


・日本流の神がないなかで、天皇は神であると言うとき、それが無意識のうちに西洋流の神に対抗し、それに牽制されてなんとなく絶対者のような色彩を帯び、国家主義でもないものが、超国家主義的相貌を呈してくる。明治になって絶対的な思想を根底にひめた西洋の価値観にぶつかってみると対抗上どうしても絶対者が必要になってくる、これが天皇制だった


・日本人と西洋人との対立の根本はこの絶対者の有無にあり、西洋と接触することによってほとんどかかわりのなかった絶対者の思想に直面している


・西欧を先進国として、それに追い付こうという立場から、アジアの前近代的な非人格性を否定し、西欧の近代精神たる個人主義を身につけろということではなく、それを異質なものとしてとらえ、位置づけることによって日本及び日本人の独立が可能になり、日本人の個人主義が成立する


●日本人の思想的態度(1951)


・(近代)世界史の主流が西洋にあったことは認めるが、どちらが正しいか進歩的かということでは説明がつかない


・勝てば官軍。もともと正義などというものはないから、勝ちさえすればそれが正義だと、勝ちさえすれば正義を支配しうるという前提がそこに働いている


・政治はデモクラシーは湿度の高い日本では、つきのわるいライターのようなもの。太平洋戦争は西洋式の方法たる近代の帝国主義を使いこなせなかったみじめさの方が強く映る


・思想とは、現実の環境を改変するための挺子であり道具


・人間は主体であると同時に、いつ見られる客体に転落するかわからない


・人間は強いものではなく、強いもの勝ちの世の中。後進国は先進国につねに負けるようにできている


・近代日本のゆがみはヨーロッパの罪ではなく、日本人の負うべき責任


●近代の宿命(1947)


・私たちは驚くほど変化しないし変化することを好みもしない


・18世紀の初期自由主義によって主張された自由の概念は、個人に生得の権利があることを強調しているが、政治は個人の権利を妨害せず、すすんで保護するものでなければならず、政治はその義務を履行する機関にすぎない。ここに社会契約説が生まれる


・18世紀は個人主義の時代である。単なる利己主義ではなく、個人の自由を保証する目的から社会の合理化を企てたという意味において、社会改革社会改良の時代だった


・19世紀に比して18世紀が楽天主義の時代に見えるのは、個人の純粋性と支配=被支配n自己との間の調和に合理化が行われうると信じていたため。19世紀にはそれは失われた


・19世紀に至ってはじめて知識階級という明確な階級が出現した


・19世紀は支配階級と労働階級、の二つの型にそれぞれ結びつく二つの知識階級と三つの集団に分けられる


・ヨーロッパが近代に危機に直面したとき、日本は同じ言葉で自分たちの現実を理解した。ヨーロッパの主題を翻訳してそのままに通用してしまう現実がパラレルに展開されていた


・ヨーロッパの近代を本質的に究明して、日本に真の意味の近代はなかったことを知らなければならない


・日本人がヨーロッパに羨望するものこそ、ほかならぬ近代日本における歴史性の欠如


・明治政府の指導者たちは天皇の神格化したが、それは歴史的一貫性の空虚感を埋めるためにもちだされた偶像


・明治革命は過去の政治機構を破壊した。儒教道徳はその帰趨を見失った


・近代日本は資本主義をはじめから利己的な道徳として発展せしめる以外に道はなかった。資本主義が天皇制と結びつき、国家主義・帝国主義と結託せざるをえなかった


●日本現代の諸問題(1954)


・平和論はその大部分が問題のための問題に終わっている


・日本の国内だけ見ていると平和論は力があるように見受けられるが、世界的にはなんの力ももってはいない


・平和か無か、というのはそれはそのまま共産主義か資本主義かという問題につながる


・日本のような小国はどうしても強大な国家と協力しなければならない、しかし対等な協力などとうていできるものではない。利害は強国の方が得をしやすい。日本はなぜアメリカと協力してはいけないのか、そのはっきりした解答を平和論者からいただきたい


●進歩主義の自己欺瞞(1960)


・進歩主義とは、社会を進歩させようとする思想的態度であり、社会を進歩させまいとする方策を阻止しようとする思想的態度、それは行動というより批評の形をとる


・国語問題において何が正しいかという観念より、何が易しいか、何が便利かという観念の方が優先している


・進歩主義は進歩に仕えるだけでなく、進歩以外のものには仕えないことを誓った思想的態度


・敗戦によって得た自由は、日本の一般大衆にとって重荷であったばかりでなく、保守党政治家にとって重荷であったばかりでなく、日本の進歩主義にとって重荷だった


・日本の進歩主義者は反動政権の手に任せてしまった。仕事を引き受けることそのことを反動的な行動と考える過ちを犯した。彼らが愛するのは事実としての進歩ではなく、価値としての進歩


・進歩主義は現代の文明国に残存する唯一のタブー


・進歩は未知の世界に、実験されたことのない世界に一歩を踏み出す賭けであり、取り返しのつかぬ失敗をするかもしれぬ危険を伴っていたが、近代日本においては、その先進国が歩んで成功した方法によってすでに実現されている保証付きの目的地に向かって歩き出すことでしかなかった


・進歩が価値であり、能率が価値であり、自由や平等が価値であると、それで何でも解決できると思いあがりはじめたのが現代における進歩主義の迷妄ではないか


●平和の理念(1964)


・平和とは戦争していないというだけの事


・憲法9条にある武装放棄が明記されているが、当時は完全軍廃を意味するものであった。自衛のための最小限度の軍備が許されるというそれだけのことを意味するのに過ぎぬものだとしたら、既に国連憲章によって、自衛の場合以外加盟国独自の武力行使が厳禁されている以上、特に日本だけが憲法に条文化して明記する必要はない


・憲法9条はあくまで敗北者の謝罪という消極的性格のものに過ぎない


・あれだけの大戦争を行った同一国民が敗けた瞬間に、平和の権化としてその使命感に生きるという宣言を発するのはどう考えても無理


・形式は理想主義という積極的性格のものであっても、内意は謝罪という消極的性格のものと解するほかはない。道徳的に負なるものを正なるものに擦りかえる無意識的な自己正当化である


・平和思想・平和運動が国民の間に広く受け容れられたのは命より大事なものはないという生物本能的エゴイズムにほかならず、それが自分の子どもを戦争で死なせたくないという母親のエゴイズムと重なり合ったから。その個人的エゴイズムと国のために命がけで戦うという国家的エゴイズムは次元が異なるが両立する。その背景で両者が宗教的良心と抗争する試練の下で近代国家は成長していった


・戦後の日本において、個人的エゴイズムが平和を盾に国家的エゴイズムを否定し去ったということは、戦時中にその逆であった事の単なる裏返しに過ぎない


・近代国家として成熟しきった自由主義諸国が、19世紀的独立国家の概念とそれに伴う国家的エゴイズムとを超えつつあり、集団安全保障体制を形造りつつある


・①核兵器②二大陣営の対立③技術文明の発達により政治的にも経済的にも軍事的にも世界は小さくなり、19世紀的孤立は許されなくなった現実を前に、戦争観ばかりでなく、平和観そのものを変革する必要に迫られている


・今日、平和とは戦争との平和共存状態以外の何物でもない


・平和と戦争とを問わず、その上にそれぞれが奉仕する理念の究明こそ、何より大事な事


●当用憲法論(1955)改憲派として


・日本国憲法は当時(占領下にあり)独立国ではないのに憲法と制定する権利も資格も有り得なった。自発的に憲法を制定しても事態は同じ。自発的なら被占領国ではない


・1946年に制定された(とりあえずの)当用漢字の状況と似ていることから「当用憲法」と名付けた


・現行憲法が国民の上に定着する時代など永遠にない


・憲法第9条には、自衛のための軍隊なら許されるという余地はどこにも残されていない


・両者ともに善意を忘れたのは相手方と思い込むのが人間というもの。そういう人間普遍の原理に目を塞いでつくったのが、日本国憲法前文であり9条


・明らかに押し付けられた憲法であることを政治家が詫びることからこの憲法に対面ができる


・憲法の平和の理念は前文も9条も対外的謝罪だけでなく、戦時中軍部によって苦しめられた文官たちの復讐心の表明


●偽善と感傷の国(1968)


・民主主義とは話し合いによって片付かない対立を処理する方法のひとつ


・民主主義は最善の方法ではなく、最悪の事態を避けるための消極的防衛的方法に過ぎない


・反戦はいわば戦争の危険防止という消極的行為に他ならず、平和を持って来ようという積極的な行為ではない。民主主義はそういう理念に対して、宿命的に寛大な理解者でなければならない


●文化とはなにか(1954)


・外国では日本をぜんぜん相手にしていないのに、日本では外国のことを知りだがり、その情報に一喜一憂している片思いのようないじらしさがとても腹立たしくて仕方なかった


・軍国時代の日本は目隠しされて世界の事はなにも知らなかったが、アメリカも自分の国だけで世界のことをよく知ってはいない、世界のことを一番よく知ってゐるのが日本


・良かれ悪しかれ、自己を頑強に肯定し、これを守りぬくというところにしか、文化は存在しない


●紀元節について(1955)


・紀元節(神武天皇が橿原宮に即位した)の史実的根拠はない、しかし歴史学者が史実と言っているのはその信憑性の濃いものを史実と言っているにすぎない


・神皇正統記は北畠親房が南朝が正統であるという一つの気持ちを述べたものだが、歴史はこうありたい、という切なる願いをこめて書かれた。それは史実ではないかというと史実なのだ。心の反映ということで無視できない事実である


・天皇制というものの時代に近代日本が発展したという事実、それを現在の価値判断で全部抹殺してはならない


・紀元節が史実に反するとかなんとか言うのは全くの言いがかりでその本当の反対理由は日本の過去の過ちの連続としてとらえたいという戦後の歴史観が危うくなりそうだという不安感の悲鳴に過ぎない。国民が自覚していれば紀元節と軍国主義との結託を恐れることはない


佐伯彰一

・福田氏は時事的なトピックをも本質的なレベルまで深め掘り下げる本質的志向を一貫してやっている