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一年の締めくくりとも思い先日、妻とシネマ「杉原千畝」を観てきました。

杉原千畝(映画では唐沢寿明が演じる)は、日本の外交官で日本が日独伊三国同盟を結んだ後にリトアニア領事として赴任し、同盟国ドイツのユダヤ人迫害に同調した日本政府の意向(外務省の訓令)に背き、ビザを求めて逃れようとするユダヤ人を自らの意志で「命のビザ」を発給し続けた人です。今回はその物語。

杉原氏の意志の強さ優しさだけでなく、当時の国際情勢判断の正確さ、外交官でありつつも任務としての優れた諜報員であった様子が映画ではわかりやすく描かれていました。

少し前になりますが2007年9月にリトアニアを訪れた時に、杉原氏が赴任していたカウナスの杉原千畝記念館(旧日本領事館)を観る機会に恵まれ、そこでまさしくヴィザを発給し続けた机が展示されており、杉原氏の功績に改めて感激したことを思い出していました。

杉原氏が戦後復権してロシアの専門家とし外交官として活躍していれば日露関係ももっと早く解決できていたかも知れませんね。

国の命に背いた杉原氏の判断は結果的に正しかったことを考えると、国の方針に反対することも時には大事だということを教えてくれます。(杉原氏は2000年に外務省から名誉回復し顕彰された)

杉原氏の行為は、戦時中無数の悲惨な出来事の中のわずかな一粒の光かも知れません。日本人は戦後70年を迎えて私たちの祖父母が間接的であっても関わった戦争の被害さえも忘れようとしていますが、ましてや戦争の加害の歴史などなかったかのようにしようとしているかのようにみえます。安倍首相の戦後70年談話にあるように一方的な謝罪を私たち以降の世代にさせないようにするためには、大局の歴史的事実を忘れずに知っておくこと。その方が発展し続けるアジアの中で貢献しつつ稼いでいく日本の国益になるのではないかと思いましたね。

機会ありましたら、リトアニアの杉原千畝記念館、ポーランドのアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所(2010年11月訪問)、そしてベルリンの各種戦争博物館に訪問してみたら日本人の足りないところが見えてくるかも。

いつかベルリンに行けたらなあ。

もちろん、映画よろしければ!