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地元の有力企業、旭木工の二代目社長中村幸雄様の社葬がありました。
つい先日、発刊され、いただいて読んでいたのですが、社葬の前に改めて読み直しました。
・二代目社長の生き様を記したもの
・徳島市渭東地区は、昭和初期は木工業が盛ん。建具店や仏壇店が並び、職人と街の活気があった
・1945年7月4日徳島大空襲、6/1~7/24までに空襲は7回。木工所は被災
・1949年も木工所が全焼
・朝日橋が旭に 直感とイメージが社名に
・娯楽は映画を見ること、「すずらん」という定食屋のトンカツ、プロレス興行、「滝の焼き餅」
・関西大学入学も、旭木工経営難で家業のために中退するも推薦校友証書が
・「二進一退」
人よりも先に動くこと
相手に先んじる最初の二歩
スピード×スピード×スピード
攻めるも守もスピードが第一
・「勝負に出るのは51%の確率があれば良い」
・初代は簡単に借金の保証人に
・経営難の原因は不良在庫の山、これが建具→家具製造シフトのきっかけに
・初代は建具職人で経営者ではなかった 父=建具 自分=家具
・初代「天下を取りたかったら、渭東地区を離れて新町へ行け」
・建具ではなく収納家具の時代
・高島屋の家具売り場は、自社製品の質を高めるためのヒントの山~気づいたことをメモに
・家具を積むトラックを買った
・収納家具とともに婚礼家具へ
・県外の実力者や名門との交友を大切にし、新町の旦那衆が集まる場で経済発展の議論をし情報を得た
・商工会議所やライオンズクラブのような全国組織を利用し人脈は全国に
・顧問弁護士や会計士は親子三代に渡っての付き合い
・小学校の工場見学の受け入れは、利益を還元して社会貢献する教えを具現化したもの
・キャッチコピー「家具は、旭だ!フェリー前」
・ショールームでは商品価格をはっきり明示
・東京ではニューオータニなど有名な一流ホテルに泊まり、そこにある最先端の調度品や家具を調べた
・パーツ方式で一部を委託製造にして効率化とコスト削減 トヨタ方式を参考にアサヒ方式に
・「職人は猛獣と思って扱え」と先輩経営者
・怠けた社員を置いておくほうが会社にとって害になる
・家具ブームの終わり(昭和58年)
・原点・再発見・創造・真剣勝負
・いつまでも木工業の隆盛は続かない、県外のいろんな人と会って家具以外の何か、を研究
・新規事業は「花嫁衣裳」 「家具と衣裳」は突拍子もない展開
・桂由美氏との出会いでフランチャイズを
・ブライダルは妻がリード ブライダルはデリケートな業界。男性ではなく女性 妻と娘たち
・別事業への大胆な事業進出と見事な成果
・製造事業からの撤退、箱物から脚物へのニーズの変化
・ライフスタイルの変化 婚礼需要の先細り 婚礼家具不要論
・生き残れるのは仕入れ力の強い大型チェーンという結論(ニトリ・IKEAなど)
・家具店を生き残らせるには
・息子孝雄は介護バブルの現状を耳にし、介護ビジネスの現場を確かめた
・福祉用具貸与事業で県内3割のシェアに
・家具という分野にとらわれすぎては脱却できなかっただろう
・孝雄が介護という新しい根幹を育てることにより世代交代の準備が整った
・社長交代もスムーズに、会社にはあまり行かないように専務の存在感を大きく
・会長となり、自然に会社から身を引く
・介護事業はあと20年は大丈夫
・企業は生き物、時代の流れに合わせた経営を
・周りの人が遊んでいるときも、遊ばず働いた
・恩人社長ベスト3 人生三大危機
・ニトリ社長とも面談
・「自力正道」人に命令されない自主独立の境地を拓くには正しい道を歩む
・「陽気報徳の心をもって世のため人のために尽くす」
・人生をかけて育て上げた一本の幹は大木となり、これからもまっすぐに伸びてゆく
この本は、
戦後の徳島経済史、激しい時代の変化を先取りして建具→家具→ブライダル→介護と新事業の幹を育ててきたファミリービジネス、経営と事業継承のひとつのあり方を学ぶことのできる読みやすく生きた経験が詰まっている良書です。
中村副会頭様、原田社長様、誠にありがとうございました。中村幸雄様の冥福をお祈り申し上げます。