- 安倍首相の「歴史観」を問う/講談社
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・2015年戦後民主主義体制は音をたてて崩れている。それは安倍内閣が進める安全保障政策に起因しているが、憲法の軸が一内閣によって自在に解釈を変えられている立憲主義の崩壊といっていい
・安倍首相の歴史観はもともとあやふやな論にもとづいている
・安倍首相は、相手からの質問に真正面から答えるのではなく、言葉尻をとらえて開き直り、問題整理・一般にといった言い方で論議そのものを避けているのが特徴
・安倍首相の答弁や言い分は昭和10年代の陸軍幕僚の構図とほとんど同じ
①形容句 具体的に説明するのに形容句を用いる ②立論不足 まともな立論がされないので5分ともたない ③耳学問 社会科学人文科学はまったく身に付けていない
・安倍首相は背広ではなく軍服を着ていまの政策を進めているように見える。これは戦後民主主義体制そのもの自己否定
・ここのところ戦後ずっと大事にされてきた価値が、ガタガタくずれていくという感じ
・「昭和史の教訓だけは確かめておきたい。さらなる軍事化が必要だとか、憲法改正だとかいうのはその先の問題です。現在の日本社会は、昭和史の総括を充分に行っていないから、同じ過ちの繰り返しが多いんですね」
・日本はポツダム宣言を受け入れて降伏したが、その第10項に戦争指導者を戦争犯罪人として裁く、という一項があり、1945年8月14日夜~それを恐れた軍事指導者たちはわが身安泰のために史料を燃やしてしまった
・歴史修正主義とは、始めから旗を立てる。日本は侵略してないという旗、史実から都合の言い分の断片だけを集めてくる、太平洋戦争は聖戦だった、という旗を立てる 史料をもとに論争しながらつくりあげてきた歴史認識とはまったく別の方法
・歴史修正主義が現在の日本には無責任な形でかなり広がっている
・安倍首相の歴史観は、東京裁判は戦勝国の復讐の裁判、侵略という定義はない、歴史修正主義的な歴史観、日本だけが歴史修正主義が権力と一体化してしまっている。この点で日本は、世界史的な包囲網に入っているのではないか
・ナチスの例に見られるように、負けた国は必ず復讐戦を行ってきたのが人類史上で繰り返されてきた
・日本は日露戦争後、ロシア・ソ連を仮想敵国として怖がっていた、1945年のソ連の対日宣戦布告は復讐戦だった
・日本は敗戦ののち、戦間期の思想を持たない人類史上はじめて実験していた
・他国に攻め入らない、他国の人たちを殺戮したこともない、国民も殺傷されたことはない、戦間期の思想を日本は持たなかった、この健全さが70年続いてきたのは誇り
・安倍首相が靖国に行ったことに対して、ヨーロッパの国々が関心を示すのは日本が戦間期の思想を持つようになったのか、ということ。ある意味で中国もそれを望んでいる
・中国は「日本は第二次大戦のときの考えに戻り反省していない」と世界各国に説明して回っている、中国は日本を挑発しているが、長い歴史で培われた政治的技法を駆使して外交においても周到に手を打っている
・日本が戦間期の思想を持つようになったと言われることは日本にとって大変不幸な事態。70年間、国民的な良識によって戦争を反省してきたにもかかわらず、それが国際社会に認知されない、歴史修正主義の考えが権力と合体っしてしまったことこそ現代の危機的状況
・昭和という時代の三つの区分
①大日本帝国が崩壊するまでの昭和前期
②サンフランシスコ平和条約発効独立回復するまでの昭和中期
③昭和後期
昭和史には人類が歴史上体験したことがすべて詰まっている~戦争、占領地行政、被占領、テロ、クーデター、革命騒動、社会主義的社会運動、貧しさ、豊かさ
・内と外から、過去と現在から昭和を見ることで私たちの国の姿をより深く、より広い視野で描くことができる
・昭和20年9月2日日本が降伏文書に調印したとき、マッカーサーは歴史的な復讐を行った。ペリーが浦賀に来航したときの艦船に掲げられていた星条旗をペリー記念館から取り寄せてミズーリ号の甲板に飾った~その復讐とは「アメリカが日本の鎖国を解いて国際社会に出してやった、アメリカがサポートし日本の近代化の国づくりに協力した、それに逆らった仕返しとしてこういうふうになる」
・ナショナリズムは二つあり、上からのナショナリズム(官僚や軍人が国策を決めるときに国威の発揚のため) 下からのナショナリズム(共同体に伝わる道徳、規範、倫理、生活に根差した愛郷心) ふたつある
下からのナショナリズムが、上からの国策によって抑圧され、解体され、変形して利用されていくのが近代の問題
・昭和16年1月に示達された戦陣訓「命は重くない、捕虜になるな、死ぬまで戦え」国益という上からのナショナリズムが、戦争によって、仕方らの健全なナショナリズムを押しつぶしてきた
・戦争指導者の子どもは戦場に行かない。戦争を進めるならば決めた人から、決めた人の子弟から行け
・昭和16年12月の開戦に至るまでには「大本営政府連絡会議」は議会よりも大きな権限を持ってしまった
開戦は東条首相・陸相はじめこの会議10人で決めた
・軍人たちは戦争が終わるなんて考えない、勝つまでやるのが戦争の結論
・軍人は政治についての教育を受けていなから勝つまでやる、勝って国にご奉公するというのが基本的考え方
・太平洋戦争
①期 開戦からミッドウエー海戦敗戦まで
②期 18年4月山本長官の戦死まで
③期 19年7月サイパン陥落まで
④期 20年3月硫黄島陥落まで ここから特攻隊が始まる
⑤期 沖縄戦・原爆投下・敗戦まで
この戦争で軍人は240万人死んで、うち7割が餓死といわれる
・昭和20年6月は義勇兵役法できる。男子15-60歳までが兵隊に
・本土決戦をやっていたら勝ったなどとあh歴史を侮辱していて到底あり得ない話
・日本は軍事があって政治がある、という仕組みだった
・「弾圧立法の運用」「官民あげての暴力」「国定教科書の軍事化」「情報発信の一元化」
・謙虚に史実と向き合えば、見えてくる歴史的な知恵があるはず
・現在の我々は未来の人々に必ず検証される
・安倍首相は麗句の言葉を先行させる「現憲法は占領押し付け憲法」「侵略は学問上の定義なし」「美しい国」「日本を取り戻す」「積極的平和主義」
・主権回復の独立式典(2013.4.28)強行の本質は、1945年8月15日は戦闘で敗れたが政治は負けてない、1952年4月28日は政治で敗れた。東京裁判の7人のA級戦犯は政治戦争による戦死という解釈=吉田政権はアメリカの傀儡政権であり、戦後民主主義は占領行政の一巻となってしまう
・安倍首相は、平時の法体系から軍事を軸にする法体系に国民の意識を移行させようとしているかに思える
・安倍首相は戦後民主主義体制を否定して、大日本帝国型のシステムへの回帰を考えているのではなか、自立する市民ではなく、国家に隷属する国民志向
・自民党は保守政党ではなく右傾化した全体主義政党になったと見られかねない
・戦時体制とは、平時の体制を維持するのに自信がなく、政治や外交が失敗したときの次の手段として軍事的手段を威嚇脅迫に使う意味
・昭和初期のメディアの役割は「メディアは国家の宣伝機関」という語に尽きる
・大本営発表はそれを相対化する情報は国民に伝えられることはなかった
・近代日本人の変容はあの昭和の史実解明にかかっている
・人は自らの体験を語るのに 1:1:8 正直:虚言:ふつう
・敗戦決定の際の政治軍事指導者の涙は、①指導者の天皇に申し訳ない涙 ②一等国幻想崩壊の悔しさ ③責任を回避する保身の涙
・ポールジョンソン 「日本人はひとたび目標を定めるとその地点までの最短距離を脇目もふらずに懸命に走り続ける」
・戦前の軍事主導体制と戦後の経済主導体制はネガとポジの関係
・戦後民主主義の「戦後」を取り払う努力をしたのか、より普遍的なデモクラシーの体制を構築することに真面目に取り組んできtのかを改めて問い直さなければならない
・「太平洋戦争」「大東亜戦争」はそれぞれに政治的な言葉
・記録を残す、自らの役割を正直に語っておく、は政治家の鉄則だが日本社会はルーズ
・昭和前期の軍事主導の軍国主義体制、昭和ファシズム体制には一定の法則がある
「正方形縮小の法則」~4つの「弾圧立法の運用」「官民あげての暴力」「国定教科書の軍事化」「情報発信の一元化」
・安倍首相の歴史観、歴史に向き合う姿勢はかなり危うい
・昭和初期の指導者は ①思想的哲学的発想の習慣を持たず、軍事ですべてを解決する思考 ②主観的判断を客観化相対化することができない。二元的発想
・昭和の海軍は指導にあたった軍人たちの証言を丹念に残しているが陸軍はほとんど残していない
・アメリカのアーリントン墓地はアメリカのために戦った兵士たちを宗教民族に関係なく追悼する施設
・靖国神社は、宗教的政治的であると同時に、A級戦犯の刑死者にも祭礼の対象になっている
・靖国神社参拝は自由だが閣僚は行くべきではない、理由としてA級戦犯の合祀を認めたことになる、遊就館の史実解釈を肯定したことになる
・戦間期(1919-1939)によってナチスが生まれたが、日本は敗戦後、戦間期の思想を持とうとはしなかった。再び軍事大国を目指したり、太平洋戦争で失った領土や資源、屈辱を取り戻そういった言説を受け入れず非軍事大国を目指した
・戦間期の思想を持つまいとする戦後日本の姿に、この国の歴史の良質な部分を重ね合わせるべき
・石原莞爾 敗戦後は道義国家の完成こそ最高理想
・読者は常に事実を知りたがっている
・東条英機は生粋の軍人で、軍事以外の知識はほとんど持っていなかった、演説にもニヒリズムが潜んでいる
・戦争時の精神主義、日本精神なる霊的突撃は本来の日本文化の退嬰的現象
・統帥権を手にした軍部はやりたい放題で、国民の生命・財産の保全は二の次だった
・戦後70年で、戦争体験を自覚する世代は10%代前半
戦後70年の意味は、この機をもって「同時代史から歴史」に移行していく、同時代史の中に生きた世代はどのような教訓を次の世代に歴史を託そうとしているかが試されている
・太平洋戦争の三つの教訓
①政治が軍事に従属しコントロールされてはいけない
②特攻作戦と玉砕は日本文化の伝統に反する戦略戦術である
③20世紀の戦争の国際ルールを守るのに消極的
昭和10年代の軍事指導者は西洋軍事学を相皮的に身につけ、それに生煮えの武士道をかぶせてとんでもない戦略戦術を兵士たちに要求した
・20世紀の第二次世界大戦で軍事指導者が政治家を抑圧して戦争を行った国は大日本帝国だけ、統帥権干犯という言論が誤った戦争指導の元凶
・極東の一小国が、昭和20年8月には世界の60カ国余と交戦状態にあり、この小国の敗戦により、20世紀の帝国主義的国家は壊滅の道を歩み始めたというのが歴史上の解釈
・この国の軍事政権は敗戦時に史料焼却を命じるほど歴史的責任には無頓着であるから、実証的に検証する習慣は民間側に課せられた重大な責務
・軍事に役立たぬことが一切否定された
・太平洋戦争の致命的な欠陥が4点ある
①軍事が政治をコントロール 軍事機構は勝つまで戦うという暴力に堕した
②特攻作戦・玉砕を国家公認の戦術として採用 十死零生の戦術を兵士に強いた
③捕虜の処遇をめぐる国際条約を無視 ジュネーブ条約に調印したが批准していない
④戦争終結の構想なき軍事行為 戦争に勝って相手から獲得する賠償金が奉公だと信じられていた
・ドイツの軍事学を丸暗記した者が陸大の成績優秀者になり、昭和の戦争指導を担った
あわてて武士道の都合のいい武士道の倫理をかぶせて兵士に戦陣訓として強要した
・昭和10年代の大日本帝国の軍事政策はその理念において八紘一宇を軸に据えていた事実
・1945年8月14日の閣議・軍事機構の会議で太平洋戦争に関するあらゆる史料を焼却する決定をし、通達した。これにより、太平洋戦争を知らしめる記録は存在しない状態をつくろうとした
・歴史修正主義者は、史料に語らせる謙虚さもなく、歴史を道具として使うのに必死であり、それ自体が政治で政治そのものを弄んでいるといった言い方をしてもいい。「大東亜戦争は聖戦である」「日本は侵略していない」「アジアを解放したのは日本だ」といった旗を立てる
・歴史修正主義者は世界中いるが、問題は日本では権力と一体化したかに見えること
・軍医はダーディな役割については一言も語ろうとしない
・歴史修正主義の立場に立つ一団が執拗に攻撃をつづけたのは、実は慰安婦問題に名を借りた思想闘争の趣をsなしていた
・歴史的事実を侮辱していることになってはいけない
・慰安婦に関する正式文書はポツダム宣言を受け入れたときに公式文書と同様に跡形もなく焼却されているはず
・何より事実に従って自らの歴史を認識し立論するという態度を示す必要がある
・私たちが問われているのは歴史との向き合い方
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