- 日本の「運命」について語ろう/幻冬舎
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日本近現代史のブログが続いていますが、戦後70年の節目ということでご了承ください。
・明治維新とは、この原動力は「欧米列強の植民地になってはならない」これだけです
(当時資本主義とは植民地経営なしでは成り立たないと信じられていた)
・攘夷運動と開国運動は逆に見えるが、それは植民地にされてはならぬ運動として同じこと
・中国のすごいところは国も民族も違うのに科挙という官僚登用制度が残っていたこと
・戦後生まれの世代が、今の幸福、日本の繁栄がどこから来ているのかあまりにも知らない、考えずにすませてきた
・戦後すぐは食糧配給通帳があり、離婚も家出もできなかった
・方言が失われるとその土地の気性が失われる。言葉は風土の保存装置
・明治6年徴兵令により、日本は国民皆兵だった、国民皆兵は19世紀の世界の趨勢、国益のためには国民が血を流さなければならない、という論理
・ドイツの徴兵制度を参考に山縣有朋が日本の徴兵制度をつくった
・兵役法のシステムはひとりひとりの国民が軍隊そのものだったことを意味している
・昭和20年の本土決戦時、陸軍は172個師団500万人(うち内地225万人)の規模だった
・本土決戦は、外交交渉によって国体護持をする目的だった
・ソ連軍の満州国攻略は160万人の規模だった(ノルマンディは17.6万)
・第二次大戦の犠牲は、日本は約300万人、ドイツでは約800万人、ソ連は2,660万人だった
・戦後の繁栄は日本の政治システムが戦前との一貫性を断ったと世界から認められたことでもたらされた
・科挙は、王朝が代わっても続いてきていて、公平さを求めて精緻化複雑化してきた
・アヘン戦争は正当性は清にあったが、正義が勝つわけではない
・科挙のエリートでも、四書五経は過去の教えであり、西洋の産業革命以降に発明された資本主義に後れをとった
・19世紀、帝国主義の時代に清は冊封国との貿易しか認めなかったことが、列強による武力開港の背景にある
・日清戦争は朝鮮の宗主国をめぐる戦い
・中国はこの千年過半が征服国家の政権
・チャイナドレスは漢民族ではなく異民族の服
・おそらく日本人の文化は中国というよりの朝鮮半島、旧満州とひとつの流れでつながっている
・長子相続はもめ事を避ける農耕民族の伝統
・日本が和の国なのは、国土が狭くて人口密度が過密、よそ者がやってこない環境で農耕民族だったから
・幕府とはそもそもクーデター政権、朝廷が持っていた統治権、政治に関するあらゆる権利を武士が軍事力で簒奪した
・明治維新とは徳川幕府を倒し、明治政府による天皇親政の中央集権国家への転換アジアでいち早く近代国家を作りあげることに成功した
・鎖国政策は安全保障上の国策
・アメリカは日本にとって最恵国待遇の国だった
・日本とアメリカは太平洋戦争の4年間だけが関係が悪かった
・明治維新の考え方のベースは水戸の尊王思想だった
・不平等条約は1911(明治44)に解消された
・パリ講和会議で、日本は人種差別撤廃を主張。アジアの独立国で有色人種のリーダーたらんという姿勢があった
・日露戦争はロシアへの恐怖心から起こった戦争
・法という概念が人類社会に登場したのは新しく、それ以前の社会規範は礼儀だった
・大名や将軍は神秘な存在で直視できなかった
・江戸時代は目上の人の目を見るなんてとんでもないことだった
・参勤交代の効用は江戸が政治と文化の中心になっていったこと
・武士の比率が一番高い江戸、一番低い大坂これが東京と大阪のわかりやすい違い
・人類が科学とともに進化していると考えるのあh重大な錯誤、人間は時代とともに進歩ではなく変容し、あるいは退行しているのだという謙虚な認識を持たなければいけない
・戦争というものは、重大な錯誤と認識不足のせいで繰り返される