いま戦争と平和を語る (日経ビジネス人文庫)/日本経済新聞出版社
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昭和史の第一人者、文芸春秋元専務の半藤氏の戦後70年を節目に発刊された文庫本です。

半藤氏へのインタビューを通して日本の近現代史、特に1945年までの日本の姿、戦後の日本の姿をえぐります。

・天皇陛下「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。・・この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」


・天皇陛下 日本の将来で最も心配なことは「次第に過去の歴史が忘れられていくこと」「昭和の歴史には様々な教訓があり、歴史的事実を知って未来に備えることが大切」


・半藤「歴史という言葉の裏側には、常にぴったりと事実というものが貼りついていることをしっかり理解しなければ、歴史を正しく知ったことにならない」


・近代日本は慶応元年に開国という国策が決まった時から建国がはじまったとみたほうがいい


・日露戦争に勝って強国の仲間入りをしたと同時に勝ったことがよくない方向にいった


・世界に冠たる国民だということで、おのれを見失い、かえって世界を相手にけんかを売るような形になって、国際連盟から脱退する孤立して世界を相手に戦争を始め滅ぼしてしまう。国を作るのに40年、滅ぼすのに40年


・1952年に独立、40年後の1992年にバブル崩壊、40年後2032年はどういう国家になるか心配


・慶応元年以降の幕末は、一致した国策とは関係ない権力闘争。明治10年西郷隆盛が西南戦争で敗れるまで続く


・伊藤博文が中心となって、国家の基軸に天皇家を置いて、官僚国家、立憲民主国家をつくり、官僚によって国家を運営していくことにした


・日本人は国家をつくりだして、植民地になる危険性があるときからすでに外に膨張していこうという意欲を持っていた


・日本の地政学的問題として島国で海岸線が長い、そのため外に出て守るほかなかった


・対外的防衛という意識と、早く欧米に追いつきたいという意識が強かった。その悪しき植民地主義、帝国主義を学んでいった


・天皇家のお祭りを全部国民におろし、一緒にお祝いすることによって天皇を基軸とする国家づくりが進んだ


・歴史はまったく同じように繰り返さない、でも歴史は人間がつくっていくものである以上、世界を相手に戦争した昭和史をもう一度丁寧に学ぶことが大切


・日露戦争に勝って、日本人の頭の中にあるアジアが吹っ飛んで欧米諸国と相手をする意識になった

アジアを軽蔑し始めるのが日露戦争後


・日本の近代史というのはアジアとの関係をどんどん失っていくものだった


・日本人は危機に直面すると奇妙に攘夷の精神が湧き出てくる


・戦争の反省として、国民的熱狂を防がなければならない


・「絶対日本は勝つ」「絶対日本は正しい」絶対なんてない


・昭和40年になても、戦後日本の国家において昭和史や戦争と真正面から向き合っている人は少なかった


・日露戦争は辛勝だった、そのために事実を隠した、勝利は教訓にならない


・東郷さんや乃木さんは軍神扱いするな、軍神なんていない、と演説した


・日露戦争は賠償金なしで20億円の戦費はそのまま残った


・日露戦争後、国民のほとんどが大国主義の選択に与した。漱石・荷風・石橋湛山など小国主義の方がいい膨張主義はよろしくない、という意見もあった


・残念ながら日露戦争後の日本というものは、墓穴を掘り、大国主義でいい調子になりだした


・日露戦争で陸海軍は、本当の戦史を隠した。「歴史を正しく残さない、歴史を隠蔽し、歪曲し、全部格好いいものに仕立て上げて、日本人がいかに世界に冠たる優秀な人間であるかという神話だけを創作した」


・漱石は、そういう国家のあり方を批判していた


・昭和期の日本を歪めた大事件は、満州事変、二・二六事件、三国同盟


・人物は近衛文麿・松岡洋右・伏見宮博恭王・東条英機

近衛は無責任、松岡洋右は日米諒解案を木端微塵にした、伏見宮は海軍の人事をでたらめにした、東条は日本国民にとって不幸


・八紘一宇は昭和15年1月、日中戦争の意義づけに出てくる。国是大方針としては空想的・現実的ではない


・三国同盟で松岡は、ドイツが勝つと思ったから結んだだけ


・日露戦争後の日本人の傾向①学歴偏重出世主義②金権主義③享楽主義④虚無主義厭世主義


・夏目漱石は日露戦争後の日本の現実を見ていて「三四郎」の冒頭で「日本は亡びる」といった


・大日本帝国憲法は天皇の絶対権力を規定しているように見えるが、実際は天皇が思い通りに権力を行使できない


・天皇は機関のひとつだった


・情報というのは、うんとオープンにしてひろげておかなければいけない


・日本の失敗は多民族の自立の精神、ナショナリズムを理解できなかったこと。他国の人たちがどのように国を思い、行動するかということをおよそ想像できなかったのではないか


・昭和史の教訓として、一番学ばなければならないのは、どんな弱小国でもきちっとした歴史を持っていて自立していることを認識すること


・本当に客観的で正確な歴史は言論の自由が保障された民主主義国家でなければ語れない、言論の自由は国家安寧の生命線


・多様な言論機関がいろいろな角度から権力を監視し、国民の知る権利を大きく拡げねばならない


・「近代日本は外圧によって無理やり国をこじ開けられた。日本人は一度押しつぶされて、はい上がって、この国家を作ってきたんだ という思い込みがあるみたいですね。そういう思い込みから脱却しているのは、漱石や荷風などごく少数でした」


・対英米戦争というのは、まさに攘夷の精神、当時の新聞でも「ABCD包囲網を打ち破れ」という新聞が作り出したスローンガンだった


・真珠湾攻撃は、当時討ち入りを果たしたイメージだった


・(半藤)司馬遼太郎から日本近代史観から学ぶものはほとんどなかった


・昭和天皇は、皇統存続よりも民衆を救いたい気持ちで終戦を決断した


・天皇が大元帥陛下としての戦争遂行責任は大きかった


・天皇は戦争責任を果たすつもりで戦後を生き、国民は戦争を忘れたいという気持ちが強かったのではないか


・現天皇は、日本の近代史は自国民にもアジアの国々に対しても申し訳ないと思っているのではないか


・現天皇が戦争に言及する際は必ず張作霖爆殺からは話をはしめている、ここがターニングポイントだと


・現天皇は国民が意識しなければいけない日として「沖縄戦終了の日」「広島・長崎原爆の日」「終戦記念日」この4つの日を言います


・東京裁判で、戦争を引き起こした責任は東条・廣田が負った、でも日本人の手で裁けなかった


・新聞は戦争中事実を隠してきた、新聞はポピュリズム、冷静に自分の頭で考えるのが大事


・商業新聞は世論が沸騰する方向が売れる


・「戦後は戦争というものが日本人の意識からなくなっちゃった。

あるのはただ悲惨とか悲劇とかそういうことばかりです。

そこからくる平和とは観念なんです。

本当の平和論というのはそうじゃない。」


・日本は文化国家ないしは道義国家でいく~南原東大総長


・国家というのは一つの基軸があった方がいい


・20世紀までの戦争は、国家間のもの、21世紀の戦争は「人権が国家主権を超える」という人道主義の名のもとに無差別爆撃、専制的に防衛的攻撃を仕掛けることが正義、とされていることは非常に危険


・日本は、第二次大戦が終わって一人も主権の発動としての戦争で人を殺していないし死んでいない国家であるがゆえに日本が世界に平和を呼びかける資格がある


・軍隊というものを日本人は知らなさすぎる、自衛隊が軍隊でないのは統帥権がないこと


・軍隊はある力を持ったときは、いつだって内に向かうことができる、軍隊による安全という議論と軍隊からの安全ということをしっかり考えないといけない


・戦後日本人の国家の基軸は平和主義・非戦憲法による経済繁栄国家だった、その基軸が失われたとき代わりの基軸を何にするのかしっかり考えないといけない


・日本よ、(大国主義ではなく)いつまでも平和で穏やかな国であれ


・戦後しばらくの日本人の平和主義は心底の平和主義というよりも厭戦主義


・戦後の日本人は歴史問題から逃げた、ということは戦時中にアジアで行ってきたことから逃げたということ、それはアジアと和解しない、友人を作らないということ、生きていくためにはアメリカ一国と手を握るしかない。歴史問題を避けてきたために、それが外交にまで響いてきて、国際社会での日本の立ち位置がいびつになった


・本当の平和論とは、歴史をしっかり認識して、日本が過去にやってきた大きな戦争の正体をきちっと見ることで築きあげるもの、しかし戦後は働きづめで一切見なかった


・自分の国の国史、近代史を生徒たちにきちっと教える先生がいない


・日本に大国主義が生きている限り怪しげな歴史観が浸透していく余地がある


・日本人は陰謀説が誠に好き、物語としては面白いが・・・



昭和史の第一人者の、半藤氏の言う日露戦争の「辛勝」が日本人を戦争への道を歩む契機となった、という認識は、日本近現代史の大きな視点です。客観的な事実、証言をもとに昭和史に関する著作をたくさんもつ氏の本、もっと読むつもりです。