GWの間 1日に1冊と決めて
まあまあ読み進めてるんですが
なぜか今回のアメリカ文学
どれも300Pほどで助かるわ~
読みましたよ W・フォークナー
キツかったぁ それにしても
登場人物がムダに多いというのは
アメリカ南部に特有なのでしょうか
今作の『サンクチュアリ』でも
新しい人物がしれっと 次々出てきて
あらすじは複雑じゃないけど
状況はもお十分フクザツだとゆうのに
「ちょっと待て~い
さっきまでこんな奴おらんかったやろー」
肩で息をしながら
ついていくのが必死なyapiでした
中央公論社の文学全集なんですが
ご親切にも 本のしおりに
登場人物の簡単な解説がありまして
例によってそこで 激しくネタバレ
それにはもう慣れてきていて
本当にそのしおりがないと
もはや理解が追いつかないトコもあり
今となっては むしろ感謝ですが
それをざっと見ただけでも
この小説のクセの強~いプロットが
炸裂しており
「なんだろう こういう事件を
題材にする人って
問題意識が強いのか
猟奇趣味を愛好する変態めな人か」
本当にこういう作品を書く人の
気持ちがわからない…と
概ね不快な気持ちで読み進めました
ただ安心していただきたいのは
続行不可能になるほど エグい場面や
トラウマになるような残虐描写はないので
私から見て謎だらけのフォークナー
南部名家の御曹司っぽいのに
この作品をなんとカネ目当てで
書き上げたらしく
「ほ~ら書いたぞ~ カネくれよぉ」
困ったのは出版社の人たちです
「こんなヤバい小説出せるか~
たちまち発禁処分やないけ」
内容を危惧して出版を見合わせた
まあそれも当時としては無理もなく
私はむしろ出版社に同情しますが
面白いのは出版は差し止めたのに
なぜかゲラ刷りだけは済んでて
それをもとにフォークナーが
自分で手を入れまくったおかげで
「お茶の間にふさわしい」とまでは
いかなくとも
「さすが南部の紳士だけある」
描写で済んでいるかと思います
yapiも ほぼ思考停止状態で
物語を追っていきましたから
「作品から読み取れる著者像」も
全然なくて まっ白すぎますが
結果的にヘミングウェイより好き
てゆーか 他のどの作家とも似てない
意外と重厚でけっこう読ませるのです
無実の殺人罪で死刑寸前の
リー・グッドウィンという男性の
(名前だけじゃ性別もわからんですな)
内縁の妻ルービーの存在感と
迫力ある人生に息をのみました
不幸と悲惨の羅列ですし
新時代の女性はそうであってほしくない
髪をほつれさせつつ 顔はやせこけ
いつも料理ばっかしてる
夫が色目を使ってる若い女性に
「バカばかりお言いでないよ」
リアル人生からの 説得力ありすぎる
説教をのたまいつつも
自分の敵になりかねないその女性にも
「晩メシ食べていきな」
かつては辺りに鳴り響いた美人
ふところが深くて苦労性のヒト
同性としては すごくやられてしまいます
「姉御~~~~~」
でも一体 誰がどのタイミングで
この頑固な女性に不幸を手放して
自分を大切にする事を教えられたのか
華やかなりし時代には
毛皮のコートだけでも三着あったり
一度だけ来た服をすぐに
女中にあげてしまったり
「誰がこの蝶をつかまえるのか」と
常に追われる存在だったのに
因果な男性を愛したばっかりに
事件に巻き込まれた
善意の弁護士ホレスに着目すると
物語の流れに沿いやすいですが
この男性について
さほどしっかりした心理描写はなく
事件の終わり頃に
あまり仲が良くない妹の前で 突然涙したり
ほぼ無償で 前述のリーやルービーを
支えてきたのも
ルービーに惚れていたからなのか?
推測の域を出ません
異常性格者で犯人でもある男性
ポパイとルービー
この二人については
「なぜコトがここまで至ったか」
の描写がものすごくて
ペーソスにはもうサヨナラしようと
思ってた矢先ではありましたが
単なる「時代の悲劇」「状況の犠牲」
という言葉だけでは片付けられない
感動に近い崇高さのようなものまで
ありました
ちなみにフォークナーは
一連の南部が舞台の作品群に
『ヨクナパトーファ・サーガ』
という名前を付けています
当時のアメリカ南部の様子が
これでもかというほど
リアルに盛り込まれているのに
なぜかフォークナーは
架空の土地の名前を付けたがりました
『サンクチュアリ』の続編は
『尼僧への鎮魂歌』という作品ですが
同時収録はサートリス家を描いた
『征服されざる人々』です
例によって 程よく250Pほどですから
明日はおそらくコレでしょうね
天気が悪く 肌寒い1日だったからって
キャフェにも行かず 家にこもって
こんな濃すぎる小説ばっか読んでたら
そのうち気が触れるかもですが