【平野神社(ひらのじんじゃ)】(福岡市中央区)
平野神社は、福岡藩が生んだ幕末の勤王志士・平野國臣(ひらのくにおみ)を祀っている神社です。
平野國臣は文政11年(1828年)生まれで、17歳の時に江戸勤番を命じられ、20歳で福岡藩に帰国します。
24歳の時、宗像市大島の宗像大社中津宮の営繕に関わり、当時、島に匿われていた島津斉彬(しまづなりあきら)の側近である薩摩藩士の北条右門(ほうじょううえもん)と親交を深めていたといわれ、勤王・尚古主義(日本本来の古制を尊ぶ思想)に目覚めました。
ペリーが来航した嘉永6年(1853年)に再度江戸勤番になり、江戸で剣術と国学や和歌などの学問に励みつつ、さらに水戸藩の会沢正志斎(あいざわせいしさい)の新論に触れたことで尚古主義へ更に傾倒していったとされます。
安政元年(1854年)に古制の袴を着て、古風な太刀を差して帰国すると、31歳で脱藩して上京。
薩摩藩の西郷隆盛(さいごうたかもり)らと知り合い、鹿児島錦江湾で僧の月照と西郷が心中した月照事件にも立ち会います。
月照は死んでしまいますが、死の淵から西郷隆盛を助け出したのが平野國臣。
その後、國臣は各地を転々とし、35歳のときに、当時の福岡藩11代藩主・黒田長溥(くろだながひろ)に尊王を諫言し、唐人町の浜側にあった枡木屋(福岡市中央区)の獄に投獄されますが翌年出獄します。
しかしら、但馬地方(現在の兵庫県)の勤王の農兵を組織して挙兵した生野の変に参加し、再び京都六角牢に投獄されていた時に獄舎も火災にあい、囚人の脱獄を恐れた幕吏に処刑されてしまいました。
元治元年(1864年)、明治維新のわずか4年前に、日本の夜明けに身命を尽くした國臣は37歳でその生涯を終えますが、その志は維新の魁となったといえるでしょう。
國臣はまた、優れた歌人としても有名で、福岡にも居住した勤王歌人、野村望東尼(のむらぼうとうに)との歌のやり取りもよく知られていますが、國臣の一番有名な歌は「我胸の燃ゆる思ひに くらぶれば 煙はうすし 桜島山」で平野神社の小さな境内にも石碑にこの歌が刻まれています。
この歌は、國臣が薩摩に向かったときに諸事情で入国できず、薩摩人の勤王の志が自分と比べて薄いという皮肉が込められているという説もあります。
維新に乗り遅れた感のある福岡藩にとっては、唯一人ともいえる勤王の志士、平野國臣。福岡市の西公園には立派な銅像も建立されています。
◆ご祭神
平野國臣
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