【地ノ神島神社(ちのこうじまじんじゃ)】(長崎県北松浦郡小値賀町) | 八百万の神の浮世絵師 持田大輔

八百万の神の浮世絵師 持田大輔

日本最古の歴史書『古事記』を題材に絵を描き活動しています。
八百万の神々が織りなす天地創造、天岩戸伝説など神様の喜怒哀楽が記された神話を少しでも多くの方に知って頂きたいと思います。

【地ノ神島神社(ちのこうじまじんじゃ)】(長崎県北松浦郡小値賀町)


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長崎県五島列島北部にある小値賀島(おぢかじま)の地ノ神嶋神社は、

 

前方湾に向かって鎮座していて、慶雲元年(704年)には対岸の写真の奥に見える

 

野崎島に沖ノ神嶋神社(おきのこうじまじんじゃ)が分祀されたと伝承があり、

 

それを元すると創建年代は慶雲元年以前と考えられる古社です。



写真の海のすぐそばにある一の鳥居は、肥前型鳥居のうち特に

 

「鎮信鳥居(しげのぶとりい)」と呼ばれる旧平戸藩領内のみに

 

少数分布している珍しい形のもので、江戸時代の初期の寛文6年(1666年)に建立されました。


平安時代の嘉祥4年(851年)に正六位下の神階が授与され、

 

世には別当寺として萬福寺が創建されたといわれます。



地ノ神島神社と沖ノ神島神社は対の関係で、前方湾を挟み

 

向かい合っている形で建立され、遣唐使船団の航路が五島列島経由の

 

南東路に変更された大宝2年(702年)と創建年が近い事、

 

航海上の要衝に面していることから、遣唐使船団の

 

航海祈願が奉斎の始まりとも考えられています。

 


ご祭神の鴨一速王(かもわけいちはやおう)はヤマトタケルの子で

 

14代仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の異母弟にあたり、

 

神功皇后の三韓征伐に付き従った後、この小値賀島に留まり

 

西国警護を命ぜられたと伝えられています。



沖ノ神島神社は拝殿の後背に、王位石(おゑ石、おえいし)と呼ばれる巨大な盤座が存在し、

 

頂上までの高さ24m、両柱の端から端までの幅12m、頂上の広さ5m×3mという

 

非常に大きなものであり、自然の産物か人の手によるものか未だその成り立ちは定かではありません。


神社創建以前の古代から原始的祭祀場として神島信仰の対象となった巨石ともされ、

 

かつては王位石の上で神楽が舞われたとも云われている神秘的な神社で、

 

「小値賀諸島の文化的景観」として、文化庁より重要文化的景観の指定を受けました。

 



◆御祭神
鴨一速王(ヤマトタケルの第六子)稚武王の別名とされる
十城別王(とおきわけのみこ/ヤマトタケルの子)
七郎氏広王(しちろううじひろ/十城別王の配下)
一説に鴨一速王はヤマトタケルとも、志々伎神社(しじきじんじゃ)(長崎県平戸市)と同様の御祭神。

 

 

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