【荒平天神(あらひらてんじん)】(鹿児島県鹿屋市)
@art.mochida.daisuke
大隅半島に鎮座する荒平天神は、本来の名は「菅原神社」といい、
天神様というと学問の神で有名な「太宰府天満宮」(
そのため学業成就、進学や受験と
錦江湾(鹿児島湾)に面した南
平安時代に文武両道の秀才として名を馳せた菅原道真公。
幼少より詩歌に才を発揮し、11歳で初めて漢詩を詠んだといわれ
当時は59代宇多天皇(うだてんのう)から側近として抜擢される
60代醍醐天皇(だいごてんのう)
しかしながら道真公は、謀反の濡れ衣を着せられ
大宰帥(だざいの
道真公死後の様々な天変地異や関係者の急死は、
道真公の霊の祟り
朝廷は道真公の罪を赦すと共に贈位を行ったと
また連座で流罪されていた子供たちも罪を解かれ、
京に
それほどの影響力を持っていたために、
現在で
全国に8万もの神社
この天神様をお祀
その数多くある天神神社の中でも、
これほど海に面しつつ南国色に
引き潮時には砂浜を歩いて参拝でき、
大潮の満潮時にはこの砂浜が
ただ小島の上に社殿があるのですが、かなり急な階段で老朽化して
途中に大きい岩と木の根が階段の参道を跨いでい
参拝時は歩きやすい靴がオススメ。
狭い境内で無人の神社の
天神様ではお馴染みの神牛が手水所の
海岸から突き出た形で建てられている荒平神社は、
その光景が美し
鳥居と岩山を結ぶ砂州の部分
岩山に渡ることができず、お参
観光するには満潮時が人気が高いようですが、
参
この荒平天神が建立されたのは、今から400年以上も昔の戦国時
天文年間(1532年~1555年)という言い伝えがあり、
大正時代に一度焼失してしまったそうですが、奇
そんな歴史も、また神秘
この大隅半島はその昔、隼人族や熊襲の縄張りで、
大和政権が勢力
そのため大隅隼人は養老4年(720年)に隼人の乱を起こし反
度々朝廷と戦いを繰り広げていた一族です。
隼人族や、その後この地で繁栄した肝付氏と
◆ご祭神
• 菅原道真公
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