【赤間神宮(あかまじんぐう)】(山口県下関市)

赤間神宮は、文治元年(1185年)の壇ノ浦(だんのうら)の戦いで入水し、幼くして亡くなった81代安徳天皇(あんとくてんのう)をお祀りする神社ですが、それ以前の貞観元年(859年)に阿弥陀寺として創建したのが始まりです。
永年に渡りお寺として御魂のご供養とお祀りをされていましたが、明治時代に寺院と分かれて「天皇社」と改称後、ご鎮座地の名前から「赤間宮」となりました。
「赤間神宮」となった昭和15年(1940年)官幣大社に昇格し、その際には大がかりな改築も行なわれましたが、第二次世界大戦の戦渦によって焼失してしまい、現在の社殿はすべて戦後再建されたものです。
遡ること840年ほど前の平安末期。安徳天皇は母が平清盛(たいらのきよもり)の娘・徳子(建礼門院)であったため、源平合戦で平氏が源氏に敗戦を重ねると、平家一門と一緒に都落ちすることに。
下関の壇ノ浦の戦いで初めは優勢であった平氏も、潮の流れが変わると次第に劣勢になり、敗北が決定的となると、安徳天皇の祖母である二位尼(平清盛の妻)が、安徳天皇を抱きかかえ入水し、わずか6歳で生涯を終えてしまいます。
全国に安徳天皇の陵墓とされる場所がいくつかありますが、ここ赤間神宮にも陵墓があり、さらにこの地から北に50kmほど行くと、宮内庁指定の「安徳天皇西市御陵墓参考地(王居止御陵)」もあります。
赤間神宮は平家一門を祀り供養する塚があり、前身の阿弥陀寺は『耳なし芳一』の舞台として有名でした。
写真の水天門 - 神門は竜宮城を模した竜宮造の楼門で、登録有形文化財に指定され、関門海峡を臨み、美しい白壁に朱塗が映えます。
水天門の「水天」の名称は安徳天皇が水天宮のご祭神とされ、水天大神と称されたことによります。
ご利益は水難除け、家内安全、開運招福、国家鎮護、安産祈願など。
幼くして入水し生涯を終えてしまった、安徳天皇の願いが込められています。
◆ご祭神
81代安徳天皇
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