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​一般社団法人八百万 代表理事 
妃谷朱理 ひめたにしゅり
(旧 立川ルリ子)です。



命は時間です。
そして、生命はエネルギーです。


生命には有限という法則があり
よって、生命エネルギーも有限です。


これを、残念に思うのか
奇跡と呼ぶのかは
人それぞれの価値観ですが


どちらにしても
自分が、今、1番エネルギーを
注いでいるものが
何なのかを正確に把握するのは
とても大切なことですね。



近年、よく耳にしていた

自己肯定感が高い、低い

という言葉がありますが

例えば、「自己肯定感が低い」と言うときは
多くの方が
「自分に対してネガティブな感情が湧きやすい」
という状態の自分を自己肯定感が低い、と
認識している方が多いように感じます。


逆に自己肯定感が高いと言うときは
ポジティブな感情が多い状態を
指しているように感じます。


つまり、感情を感じることに
自分で自分をジャッジメントしている、
という状態です。


ですが、自分の感情を感じること自体に
ジャッジメントするのは
正直、キリがないと思います。


ネガティブな感情を感じることは
様々な出来事によって
誰にでも、いつでも起きうる現象で

もしも、誰かを悲しませてしまったり
自分が嫌なことをされたりしたら
それに対して
ネガティブな感情が湧いてくるのは

自分の概念や物語によって
常に矛盾を抱える私たちにとって
自然なことだし


感情を感じているのは在り方ではなく
状態でしかないのです。


それは、風邪をひいている時の自分を
本来の自分だと言っているくらい
おかしな状態です。


感情のポジティブ、ネガティブを
ジャッジし始めると
ひとつ間違えれば
謙虚さを無くしたり
自分の感情の赴くまま生きることが
自分の本質と勘違いすることに
なりかねません。


また、逆に
ネガティブな感情を抱く自分に
常に罪悪感を感じてしまうことにも
なりかねません。



感情に正邪(正しいか間違っているか、善か悪か)を
付けていくのは自分の状態をややこしくさせます。


感情を基軸にした肯定感は
繊細な方であれば
少しの刺激によって
脆く崩れ去ることもあり
とても不安定なもので
いつまで経っても無くなりません。


不安定なものは本質的ではありません。


そもそも、感情は自分の一部ですが
魂の本質ではないので
ネガティブであろうがポジティブであろうが
どちらも、感情を感じる、という
体験をしている「状態」にすぎないですし

ネガティブな感情を感じていても
そのこと自体に正邪はないのです。


一方で、感情を優先して生きることも
人それぞれの価値観で自由です。



感情を感じることは
自分の人生においての好みや
魂のプランに繋がるヒントにもなるので
基本的にどんな感情も
大切に扱うのが良いなと思います。


だから
自己肯定感を上げる=ポジティブ
ということをゴールにするより
ネガティブな感情から
自分の好みの感情が何なのかを知って
出来るだけ好みの感情を楽しんだ方がいい。


感情を基軸に肯定感のジャッジがある人は
どんな感情も感じていいんだと
許可を与えることが大切ですね。

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しばらく続きます🤣)


私が最も大切だと感じるのは
自尊心の高まりです。


魂の本質に触れているときは
自尊心の高まりを感じられ
「どんな自分も肯定している」という状態は
結果としてその状態が現れるのだ
ということがわかります。


自尊心の高まりは
「個」という自分の存在が
ありありと五感と、それ以上の感覚で
感じられている状態で
その奇跡とも言える体験と
肉体を持った自分という存在に
魂が感動に打ち震えている状態になります。


それは、決して
大袈裟に表現することを求めませんし
静かで、でも雄大で無限を感じます。


心の傷があるときは
大きな慈悲に包まれる感覚になり
過去の全てが洗われていく感覚になるため
自然と涙が溢れる時もあります。


その感覚の全てが
自分、という存在の尊厳を立ち上がらせ
愛そのものの自分を感じた時
感謝が溢れて


自分自身とこの世界に
どう表現して、どうお返しすれば良いのか、と
考えずにはいられません。


自尊心を高め
尊厳を立ち上げることは
「愛とはなにか」を思い出す
最初のポジショニングなのだと思います。




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