今朝は6時半に起床する。市内燃えるもの回収日。

庭にあった草取りの大ビニール袋2つ、市から許可のあった下水道の排水

 

路から回収した水に浮いた油類・うろ・石鹸用の浮遊物など普通バケツ

1杯分の汚物(前記のもの)の袋を集積所にだしたのだ。

 

お盆の掃除の多くの枯れ草があった。袋で両手に2袋を2往復であった。

これで我が家の庭は一応綺麗になったのだ。次は家庭菜園のミニトマト

 

モロヘイヤ、唐辛子などが終われば・・・支柱の解体などをして枯れた

樹木・植物を廃棄となる。・・・・これは9月、10月になると思われる。

 

そして思い立ったのだが、本日の高温を承知して…自宅から7キロの里仁

農園のブルーベリー狩りにと出かける。到着は8時半過ぎ・・・。もう

 

気温は31度ほどである。受付を済まして本日はブルーベリーの試食・熟

したかどうかと。‥‥(^^♪駐車場には顧客は10台ほど。ひろいブルー

 

ベリー畑には人の影が見えない。畑が広すぎるのだ。。。

それから1時間余り樹木の日陰に隠れてのブルーベリー採取である。

 

口に運びながら…少しの持ち帰りに採取もする。

バケツに半分は持ち帰りであった。

 

30代の男性が強い日光に無防備でブルーベリーをもぎ取っている。日差し

に焼けながら無帽子、半そでシャツと半袖ズボンだ。・・・・厳しい紫外線を

 

自身に受けて・・・こちら危険だと感じた。こちら、白内障で手術を必要

としている状態だ。(医師が運転免許が取れているからまだ手術はしないと

 

判断しておられる・・・・)(あまりにも高齢者が多くて順番がなかなか来

ないのだ・・・)

 

昨年の11月8日に亡くなった知人のAさんは、日光の紫外線を気にしない

人であった。満70歳になった年に皮膚がん(出血性皮膚がん・血液ガン他)

 

で亡くなっている。・・・それを思い出したのだ。

時間はどんどんと経っていく。休憩はテントの下で30分近く、お店の氷、

 

持参した水筒で過ごす。途中には来週月曜日に入院する病院係員から、確認の

電話が入る。入院の確認電話・注意事項であった。いよいよOPの事前電話

 

4日前となる。(^^♪2月から先生が直していこうと言われてから6か月が

経過する。(当時は両側肩と上腕が筋痛症となり、不自由であったのだ。)

 

先生に手術の延期を申し出ていたのだ。

このブルーベリー狩りは本年は最後の日である。来年も来るぞと自覚もする。

 

(^^♪

帰宅すると午前11時であった。そして今は午後2時半。気温は38度ほど。

 

もう、室内での避暑は必須である。パソコンと新聞で一日が終わる(^^♪

 

 

本日の写真は昨日のブログの通りである。

 

 


 

 

7月下旬の鳥取駅前。

 

 

 

 

 

 

町内のAさん夫婦と市内の焼き肉やへと走る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実はスマホの応答で地図と電話番号がでる。三日前に予約をしたのだ。

しかし、スマホの地図は小さくて・・・・店と電話番校が一部重なる。

 

そして店の名は、太平門と大門の二店で隣同士である。

 

こちら、目的のお店に先に入ると「予約はありません」と・・・。その店で

店員に事情を話すと・・・・同じような名前のお店を紹介されて間違いが判明。

 

・・・・。上記の役肉店での利用となったのだ(^^♪

そんなこともある。

 

 

 

 

高齢者はお肉や魚を食するようにといろいろな報道が流れる。

元気が出ると。(^^♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

韓国料理。ビビンバ ご飯はいつも戴く。(^^♪

 

 

 

 

 

韓国ラーメン。完食。(^^♪

 

 

 

 

 

 

帰路。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

30年間にわたり空き家となっていた家が漸くリフォーム。

小学校、中学校の同級生の家。70年ほど前にはこの家の二階で勉強した

 

覚えもある。(^^♪

 

 

 

 

 

町内の昔からの農家が取り壊された。

昔、60年ほど前には八百屋さんをしておられた。

 

お店の前にある小さな荷車(軽四輪)が駐車してあり、悪ガキと一緒に運転席に

のって遊んだ覚えがある。当時、自動車は珍しかったのだ。

 

まだまだ馬と牛が荷車を引いて歩いていた時代である。道は砂利道で有る。

砂利道の上に馬糞がぽたぽたと落ちていた。こちら、歩行の際は下をみてよけて

 

歩いたものである。(^^♪

 

 

 

 

 

 

 

大きな敷地で有った。

この家は門が何時も閉ざされていて・・・交流は無かった。

 

 

 

つづく。