東日本は太平洋側は線状降水帯が報じられる。

鳥取は一日中、暗い大空・黒い大きな雲が天空を覆ったのだ。

 

朝は新聞とテレビ朝日モーニングショーを見てすぐに市内のリュウマチ科

の医院に出むく。先生は前回の血液検査結果をみて「治癒・症状はマイナス1」

 

と完治をこちらに告げる。6か月に及ぶステロイドはもう中止。

近く予想される外科手術には、ステロイドは傷口を癒さないので投薬をしない

 

ほうが良いと。再発があれば再受診となる。先生に長い間の治療を有難くお願い

できたと礼を言っての辞去であった。(^^♪

 

筋肉の使用は適当にフルでの活用ができる。(無理は鬼門。再発があるやも・・・・)

 

そして午後は、自宅菜園の手入れ、使い古したタテスの切断とゴミ出し用意。汗が

出て上下の衣服に汗が染みる。2時間近くの作業で衣服の交換であった。

 

そして直ぐに町内一周の散策へと出る。本日はリユーマチ科の医師より緩解を宣言

されたことで、両腕を振っての早い散策となる(^^♪本日は久しぶりに8000歩

 

の運動であった。まだ汗が噴き出して着替えを必要であったのだ(^^♪

自分の身体に不調・病気を心配しないでいいとは元気が出るものである(^^♪

 

 

 

本日の写真は昨日の写真の続きである。5月29日の撮影である。

 

 

 

 

鳥取市岩倉地区 学校グランド。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タチアオイ。

 

 

 

 

東京大学を真似して建てられたと聞く(^^♪

 

 

 

 

 

傍の市立住宅団地である。

 

 

 

 

 

住民が住まいの敷地に花を作っている。(^^♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕陽が樹木に映える。

 

 

 

 

 

今日も五月晴れで青い雲であった(^^♪

 

 

 

 

左側の建物は鳥取県東部庁舎。

 

 

 

 

 

稲葉三山 面影山(^^♪

 

 

 

 

 

鳥取市立川町7丁目。旧三洋電機の構内。駐車場。

 

 

 

 

 

中央の建物は工場の一部。樹木に覆われている。

木造2階建ての建物。以前は鳥取大学学芸学部の校舎で有った。

 

その前は日本陸軍鳥取40連帯兵舎であった。明治44年生まれの父は招集で

ここに3か月ほど訓練を受けて、中国大陸に派遣を受けた。

 

2年間の兵役をうけて大陸の前線にあったらしい。何も言わずに(戦争のこと)

73歳で生涯を終えたのだ。・・・・・しかし、夜中に大声を上げて飛び起きた

 

ことが何回あっただろうか。小生がこどもの頃である。

日本は戦争をしてはならない。アメリカの防波堤となってはならない。戦争の

 

犠牲となってはならない。・・・・平和憲法で和平を積み上げていくことであろう。

 

 

 

 

 

このアパートには30歳代に3年間を暮らしたのだ(^^♪

 

 

 

つづく。