月末の火曜。午前中は各地の気象情報を知らせるテレビを見る。

線状降雨帯の情報が、都道府県段階で発表となるとこのことだ。

 

テレビ朝日のモーニングショーは過去の水害による災害の状況を

再現して、この線状降水帯の豪富については十分に注意するよう

 

にと呼びかけていた。

こちらの昼間の空の暗さ・雲の暑さは台風の予感を思わせるほど

 

気味の悪いものであった。

しとしとと雨がつづく。幼い頃は小さな公営住宅で母と留守番し

 

ていたあのころを思い出してもうすぐ80歳に近い年齢となって

しまったことを自覚したのだ。何度もこのごろは自覚するのであ

 

るが・・・。

お昼になる。家にじっとしていても・・・と家内が外出しようと

 

提案で有った。いつもの外出の習慣が・・・(元気づくりだ!)

そのようなことでの発案となる。雨の日は行くところは温泉。公衆

 

浴場である。(^^♪本日は最高気温14度ほど。お風呂は特にめずら

しいことでないが・・・・・自宅から17キロ離れた鳥取市鹿野町

 

ゆうとぴあ鹿野へと走ろうとなる。午後1時過ぎに一般道を走る。

ゆっくりと30分ほどのドライブで到着。火曜日は女性デーで特別

 

料金80円カットである。金曜日は男性デーとなる。

他にも地元観光案内手帳・トリパスでの割引もあると。(^^♪

 

割引はコロナ感染期間の4年間はすべて利用用が半額の割引で有った。

お風呂で30分、休憩室での時間は飲み物、運動器具利用で30分の

 

啓時間ほどであった。(^^♪帰宅は温泉地のスーパー、住まいのスーパ

ーでの買い物で4時の帰宅であったのだ。外出は3時間で終わった。

 

本日の運動は温泉入浴で心臓の運動となったのだ(^^♪

 

 

本日の写真は昨日のブログのつづきである。5月8日撮影。(^^♪

 

 

 

 

鳥取市民会館。昭和の歌歌謡祭。夢グループ主宰。鳥取公演(^^♪

 

歌手 あべ静江 72歳  尾藤イサオ 81歳 など本人が出演であった。

開幕前である。

 

 

両者とも現役時代とあまり変わらぬ声でもい持ち歌を歌い上げていた。あべ静江は

一時脳卒中から病臥してのリハビリで回復したという。ボ党イサオは80代と思えない

 

当時の歌そのままに、マイクを振り回して会場を走りまわる。もう、こちらびっくりの

パワー全開の活躍であった。・・・どちらかと言えばいつ脳卒中で倒れても仕方ないと

 

思える歌いっぷりであった。見事であったのだ。

・・・・こちらたまにはテレビで宣伝する実演に芸術には参加するものだと感じたのだ。

 

家内は学校時代の学友にスマホでの報告で10人ほどのネットワークでこのことを知らせ

たが、次から次へと返事があった。四国松山宇和島、九州鹿児島・・など西日本を拠点に

 

歌謡祭を巡業であったのだ(^^♪

 

※開場後の写真撮影は遠慮願いたいと掲示があり写真は1枚で終わったのだ(^^♪

 

 

 

 

翌9日の散策で町内を歩く。鳥取市立川1丁目付近。

 

 

 

 

鳥取藩関係者が祭られるお寺である。

3体の和尚様の像が祭られる。生き仏である。おおよそ20年前に私は参りをしたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

鳥取藩主 池田光伸 開基 とある。

これは小学校中学校同期の田尻くんの生家でもある。彼は3年前に亡くなっている。

 

 

 

 

本堂。この室内には四国一巡の各仏像がお堂の端に順番で収められている。

 

 

 

 

手前の四角の水槽は蓮の花の植物である。田尻君が5年ほどまえにそれぞれ

給水をしていたことを思い出したのだ。

 

 

 

 

お住職の住まい。庫裏。

 

 

 

最近建立された離れである。

 

 

 

 

この黒い瓦は数年前に吹き替えられたのだった(^^♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西日本の中国・四国などから拝観バスが訪れる。

旧友が突然にこの場所に来られて、わが家に電話は入る。

 

直ぐにこの大雲院行って、短い交流をするのである。

 

 

 

 

正面は県立東高等学校。

たまたまパトカーが走り過ぎたのだ。(^^♪

 

 

 

 

兄が通った高校で有る。7歳上の兄だ。亡くなって7年となる。

 

 

 

つづく。